【エマティノスの誓い】
華奢な躯には鮮烈な紅花が咲いていた――探していた彼女は、少女の目の前で静かに横たわっていた。
後からやって来た白衣らがその躯を担架に乗せようとする。
「だめ……いかないで、嫌――待って、ステラリア!」
白衣のひとりは少女の腕を乱暴に掴むと、頬を叩いた。「あれの名前はスティフィアナだ」それだけ告げると、白衣は少女を床に落とすように手放した。少女は床に頭を打ちつけた。大切な人が連れていかれてしまう……その光景を前に、それ以上に記憶は嫌な扉を開けてしまった。
あの日も――体を打ちつけた痛みで床に蹲った。両親が悲鳴のように黒衣たちへ歯向かい叫んだ。どれだけ暴れて手を伸ばしても、両親と距離は縮まらない。離れていくばかり。妖しく煌めく剣が振り上げられた瞬間、父が「ピート、見るな!」咄嗟に叫び、「目を閉じなさい、忘れられな」母も言葉を続けようとした。両親の言うとおりに硬く目を閉じる。重いものがふたつ床に落ちる音がして、直後、黒衣が歩き出す。予期せぬ動きに体勢を崩され、思わず目を開けてしまい――
「リア……!」
かけつけた友人が、身体を支えるように起き上がらせてくれた。少女は彼の腕を掴んで顔を埋めた。「ひとりにしないで」少年は戸惑いながらも少女を抱きしめた。
どうして大切なものばかり奪われるのか。せめて理由が欲しかった。彼女の言うとおり――リアは、こんな……ここにどうやって連れてこられたかもわからないのよね。それでも、大切な家族がいた。みんな、ここにいるみんな、引き裂かれた家族の欠片なのよ。もう、元には戻せない。だから、偽りでも構わないから、それでも私は誰かと繋がっていたい――納得できるならば多少の理不尽だって受け入れるのに。1度だけそう思ったが、すぐに無理だと思いなおした。どのような理由があろうと、わからないことはいつまでもわからない。
(ねえ、ステラ。わたし、思い出せたよ、すべて……あなたの言うこと、本当だった、わたしにも大切な家族がいたの。もう元には戻せないけど……でもね。わからない、どうして奪われなければいけなかったのかな? ただ一緒にいたかっただけなのに、それだけで良かったのに、どうして――)
――やがて微睡みから目覚める。眠りの浅さはもう改善できなかった。他方、あまり良いとは言えない夢の内容だったから有り難かった。覚醒の契機となった、その足音を押さえて立ち去ろうとする男性の後ろ姿に「ありがとうございます」と告げる。
「ペトロネラ……!」
振り向いた男性は、金色の瞳を丸くする。自分の声の大きさに驚いたのか口元を手で覆いながら「ああ、起きていたのだね?」きまり悪そうに視線をそらした。他方、彼女は掛けてもらったブランケットを肩に羽織りなおしながら体を起こして微笑んだ。
「なぜ私を気にかけてくださるのですか?」
「……わからない。だから、知りたい」
「わたしは〝魔女〟ですよ?」
「君に出会えた奇跡を証明できるなら――君のいる世界で生きることが許されるなら、僕は〝魔女〟に騙されたままで良い。君が望むなら僕が持つものを差し出して構わない。心の女王は、ただひとりだから」
寝起きだろうと、思考は十二分に働いていた。本心を――この時代に生きた意味が欲しい――それを告げてしまうのは卑怯な気がしてならなかったので、曖昧に微笑むに留めた。
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「親は子を愛している――そんな言葉があるじゃあないですか」
青年はあくび交じりに議題を呈した。
「個人的には、あれ、大人の勝手な言い分だと思うんですよ。わかります?」
問いかけると、彼の前に座する初老は「お前の主張はいかに?」肘掛け椅子に体を預けたまま問い返した。
「子は親を選べませんし、本能的な敬愛ゆえに裏切れません。他方、親は子を選び、金に換えたり自らの分身としたり、ときには捨てる者さえいます」
「偏見か先入観か……いずれにしろお前の世界観だろう。果たして、あの子たちを巻き込むほどの事由だろうか?」
「嫌だなぁ。俺らが巻き添え喰らっているんですよ?」
「恨むならオヴィを恨め、と? いつになろうと彼の拾い癖には困らされるわけか」
「ははっ、拾われておきながらそう言いますか」
ふたりの男は笑いあう。
先に笑い声を収めた初老は、穏やかに目を閉じて静寂を待つ。青年は無感情に口をつぐんで虚空を眺める。
「お前を止めるにはもう私は無力らしいな」
初老はまっすぐ青年に向き合った。陽光の瞳が、わずかに戸惑う若さを映しだす。
あの日、自らの過去は死んだも同然だった。抱いた願いは踏みにじられ、希望の歌は闇に飲みこまれた。季節はもう二度と廻らなくて良いとさえ思えた――半世紀を経た今なら、他者の都合で天に召されるのも悪くない。
「勝手に後悔しなさい、馬鹿息子」
その後、あわせて3発の銃声が響いた。
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霧がかった意識の中、眼帯の彼は膝を曲げて視線を合わせてくれた。
「僕のことは、シュトルと呼んでくれると嬉しいな。君の名前は?」
穏やかな声色。柔らかな表情。優しい眼差し。
しかし差し伸べられたその手は、壮年に足を踏み入れて間もないくらいの容姿にしては、無骨で半生の波乱万丈を見せていた。
そっと手を重ねて、ゆるゆるとかぶりを振った。
すると、大きな手が頭を撫でてくれた。
「きっと思い出せないだけさ。名前は、最初にもらえる贈りものだからね」
顔を上げると、彼は寂しげな表情をしていたが、こちらに気づくとはにかんでみせた。
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元気になった――笑顔だったし、楽しそうだった。でも、結局は上辺だけだった。
イーライのおかげ。僕には出来なかった――彼女の心は、彼のものだった。
守れていたのか――……わからない。望みは叶えられたけれど、命は失われた。
誓いを守れたのか――弱さを許した。けれど、彼女は壊れてしまった。
優しさを教えてくれた彼女も、もうだめだと言った。生きる意味を見いだせないと。宝花が散ったならば。それを守る炎の妖精もその意志に従うべきだから、潮時だと。涙に濡れた微笑みは有無を言わせない何かを秘めていた。
(……もう、わからない…………何も……………………)
少年は、燃え盛る小屋を眺め続けていた。
「何者だ?!」
隠れようとすらしていないのだから、見つかるのは承知していた。少年は茂みの中で佇むだけ。
「武器の携帯解除と、軍帽を外せ」
従う理由は無いが、逆らう理由もない。もうどうでも良かった――はずだった。
気だるく視線を上げると……炎のゆらめきが橙に染める柔らかな金髪、翡翠の瞳と、その補色ごとく真紅の軍服に身を包んだ彼は、かつてこの手で殺したはずだった。
少年は手放そうとした剣を握りなおし、距離を一気に詰めた。視界が歪もうとするが構わず猛攻を仕掛け続ける。名前を呼ばれた気がして、致命の剣線が的確に塞がれ続けて、空似ではないのだと確信を深めていく。心が乱れて大振りが増える。
彼はそれを剣の柄で受けた。
「なぜだ…………なぜ生きてるっ……?」
「ははっ、質問の意図が掴めない――な!」
彼は少年の腹部を蹴って距離を取った。息を整えながら声を上げる。
「死んでも殺されてもいないから――って、これは答えになるかな?」
「ふざけるな!」
少年は奥歯を噛み締めて地面を蹴った。どこか飄々とした様子で彼は「別にそんなつもりは」――攻撃を鎬で受けた――「無いよ……! ルーと大して変わんないと思うんだけどな」
口調は挑発に近いが、表情は硬かった。少年同様、彼も動揺していた。燃え盛る盟友の小屋、思わぬ戦闘、よく見知った相手との技能は同等だと理解している。致命傷を狙われる一方、自分の手では殺したくない――ついに少年は彼に馬乗りになって、とどめを刺そうと剣を大きく振りかぶった。
「生まれた時代を、恨んでいる?」
両手を左右に投げ出した彼に問われる――すぐ時間稼ぎだとわかった。しかし、少年は振り上げた剣を下ろせないまま動けなくなった。
「星は暗闇でなければ輝けない。どんなに暗くても星は輝いている……ほら、夜明け前の星が最も美しく夜空を彩っている」
彼の瞳の奥で、傍らの火炎と遥か遠く夜空を彩る星々が煌めく。
「悲しいことも辛いこともあるけれど、知りたくなかったこともあったけれどっ……この時代で、生まれて初めて、風の優しさを知った」
「っ……もう苦しんでほしくない」
「僕はまだ足掻いていたい」
「認めない、認められない……もう誰も歴史に名を刻ませない!」
少年は剣を振り下ろした。彼は自分の顔の横に突き刺させて、少年を抱きしめる。
「この時代だからこそ、様々な色彩を知ることができた……たくさんの幸せを教えてくれる程度には、この時代の人は、優しさも持っているんだよ」
少年は抵抗するが、彼は離さず言葉を続ける
「赤髪と紫眼、加えてあの頭脳。もうしばらく同じ国にいたんだ。僕らがたどり着く前から気づいていただろう? リアがペトロネラを名乗っていたこと……そう名乗りたかった理由、君にならわかるんじゃないかな? そうだろう、&>%/@?」
「…………」
抵抗が収まる。彼はさらに強く少年を抱きしめた。
「君や、イーライやリアの家族にしたこと、ルティに決断させたこと――あの実験のために必要だったすべてのことっ! 僕だって許せないし、許すつもりなんか微塵もない! だからこそ、この時代で生き抜くんだ!! この復讐を成功させたい。たとえ望まれなくとも存在するしかないのなら、遂げねばならない思いを忘れては」
「フィーも、そう言ってた」
彼は何も言えなくなった。代わりに、少年が続ける。
「たくさん泣いていたし、たくさん苦しんだ。なのに、最期は笑顔だった。笑顔で、さようなら、って。ありがとう、って」
少年は彼を突き放した。
「わからない……わかんないんだよ…………どうして? 希望が見えない、終わりが見えない、見つからない、いや、当然だ――花なんて、ここには一輪も咲いていない! 咲かない、ここは何も咲けない地なんだ!」
「っ……」
「大丈夫、僕が……僕がちゃんと送るから…………哀しみが存在しない世界――誰も泣かないように、誰も苦しまないように……」
少年は、よろめきながら剣を手に立ち上がった。彼は何も言えず、見つめ続けた。
「ここに誓約しよう――作られた悲しみをすべて断つ」
剣が高く振り上げられる。
同時に、少年の鮮やかな紅の瞳から一筋の涙がこぼれた。