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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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情報源は愛妻家

 始業前にローガニス卿の手配によってシリル卿がメロディの執務室に現れた。

 簡単に用件を伝えると、愛妻家の舌は軽やかに回りだす。おもしろいほど質問に回答が与えられていく。抱えていたほとんどの疑問は解消された。無論、彼から得られた情報は間違いなく研究の糧になるだろう。殊に興味深い印象を受けたのは、新しい用語と知見についてだった。


「……で……デキア、イ…………?」


「はい、閣下。溺愛でございます。少なくとも、私は妻に対して惜しみない愛を与えているつもりです。今までもそうでしたし、これからもその所存です」


「そ、それは、ベタ惚れの別称ではないのね?」


「ベタ惚れ? ふふふ、甘い。甘いですね、閣下……」


 メロディは今朝方うけとったばかりの用語一覧を参照しながらおそるおそる尋ねた。

 問いが呈されればシリル卿は怪しい笑い声をくつくつ響かせだした。すると、突然立ち上がり明言する。


「ベタ惚れなんぞ、溺愛の先行条件にすぎません!」


「なっ…………な、ん……ですって……?」


 あまりの衝撃に耐えきれずメロディは呆然とシリル卿に突きつけられた指先を眺める。彼はゆっくりとソファーに腰を下ろして言葉をつづけた。


「要するに、ベタ惚れが成立しなければ溺愛ではありません。選ばれた者にのみ許される権利――それこそ、溺愛なのです」


「ま、待って! 権利? 溺愛とは権利なの?」


「失礼、説明不足でしたね。溺愛のためには愛し愛されるに値する関係性を築かねばなりません。その関係が揺らぐようならば……言葉もありません。愛する権利とは、かくも冷酷なのです」


「冷酷さを伴う行為――何ということなの。わたくしは何も知らずして、深淵に触れようとしていたというのっ?!」


「それでも我々は、潜らねばなりません。手に入れることを望むならば、もう二度と孤独な過去には戻れないとしても。そこに何物にも代えがたい光を求めるならば」


 震える体を抱きしめるメロディに、右手が差し出される。そっと上げられた紫の瞳に映るのは、部下の精悍な造作だった。トパーズの宝飾がなされた襟元の徽章は、日の光を受けて煌めき語る――恐ろしくとも、踏み出し、進むしかないのだと。

 激励が込められた力強い瞳を、メロディは見つめ返した。朱色がかった褐色の瞳はまるで真実をまっすぐ見据えているようだった。メロディは頼りない両手を握りしめ、そっと離した。

 その手はまだ震えていたが、それでもなお、シリル卿とは固い握手を交わした。


(心強い部下がいるのは、なんという幸運なのでしょう……)


 直後、リズミカルなノックに続けて補佐官のローガニス卿が名乗った。


「いやあ、どうも。ちょっと水を差しに参りました。だいぶ熱がこもっていたようですから、このままでは就業の鐘にも気がつかないかと」


「まだ始業の時間では」


 気分を悪くしたシリル卿が抗議しようとしたそのとき、始業の合図が鳴り響く。シリル卿はメロディと顔を見合わせた。十分な時間が確保されていると思っていたが、想像以上に話し込んでしまっていたらしい。

 ほらな、と同僚の気障りな笑みを睨みつけながらシリル卿は執務室を出た。まだ語り足りなかったのかもしれない。


「時機を計っていたのか?」


「補佐官は優秀でなければ務まりませんからね」


 メロディは食えない性格の部下に何とも言えない表情になった。反対にローガニス卿の言葉は弾んでいた。続いて気軽そうに、後ろで控えていたツァフィリオ卿の背を押して前に出す。

 突然のメロディの切り替えを目の当たりにしたからか、先輩にいきなり矢面に立たされたからか、2対の視線を浴びる新任は焦りを見せた。


「え、あ、はい。あの……はい。ヒストリア閣下。ご相談よろしいでしょうか?」


「構わない。お前の抱えている5つのうち、どの件だ?」


「はい、3の月より連続している婦女の殺害事件についてです」


「1件目および4件目以降がカヴァロ区、2件目がセレス市、3件目がミティリウス区にて発生した広域指定の事件か」


「はい、閣下。その事件です」


「犯人の目星は?」


「それが……該当者がおりません」


「3件目については被害者は生存しているのだろう? 報告書にも,犯行に関して多くのことが判明したと記されている」


「は、はい。妻の様子に不審を抱いた男性より情報が寄せられ、被害者の容姿や犯行状況、日時などの条件から3件目と認定しました」


「情報提供は夫か」


「はい、夫人は体調がすぐれないらしく直接は難しかったそうです。ですから、話を聞いた男性が最寄りの憲兵所へ通報しました。巷では有名な愛妻家だそうで……。事件は続いておりますから犯人はいるはずなのです」


 ツァフィリオ卿は言いづらそうに報告した。メロディはひとまず部下から件のすべての報告書を受けとり、目を通していく。並行して質問しながら自分の認識に誤りがないか確認する。


「現状6件か。3つの地区の往来はどうだった?」


「1件目発生から2件目発生までのカヴァロ区からセレス市への往来、3件目発生から4件目発生までのミティリウス区からセレス市への往来を確認しました。また、各期間における隣接する地区を経由した間接的な往来についてはありませんでした」


「要するに、隣接するカヴァロ区とセレス市、セレス市とミティリウス区の往来はあるが、間接的にしか往来できないカヴァロ区とミティリウス区については2件目発生から3件目発生までにセレス市および周辺地区を経由した往来を確認できなかったということか?」


「あ、いえ。そちらはいくつかありました。しかし、1件目発生から2件目発生までのカヴァロ区からセレス市への往来、および、3件目発生から4件目発生までのミティリウス区からセレス市への往来と共通する者はひとりもおりませんでした」


「3つの地区は領主が異なるからな。関所では通行証が必要であり通行税が取られる。許可を受けた商人や旅芸人でも最短ルートを選択するだろう。殺人のためとなればもってのほかだ」


「先日、セレス市で5……いえ、6件目が確認されてからは周辺住民の不安や緊張が高まっております。なるべく早期の解決を目指してはいるのですが」


「犯人候補がいなければ、な。考察する限り、セレス市外での2件も同一犯によるものだと疑いようはないらしい」


「はい……」


 すべての報告書に目を通し終えたメロディは、力なく返事した部下に書類を返却した。


「それで、お前はどうする?」


「増員を検討しております」


「人数は?」


「わかりません。ただ、今のままでは解決が遠のいていくように思います。憲兵所には自警団の抗議が連日寄せられていますし、捜査関係者の心労は大きいように思います」


 自らの無力を握りしめたその両手には血の気が見えなかった。ツァフィリオ卿は思いつめるようにうつむき、ひとつ謝罪をこぼした。


「何をこの世の終わりのような顔をしているのだ。上を向け」


「はいっ、閣下」


 いわれたとおり天上を見上げる部下の素直さに肩の力が抜けそうになった。笑いを奥歯でかみ殺してから改めて問う。


「担当する捜査班はどこだ?」


「はい、カラマンリス卿が班長を務めています。捜査には現段階で、憲兵を含めて50名体制です」


 メロディは「そうか」とつぶやくと、心なしか落ち着きのない新任を意識の外へ追いやって、宙を眺めながら沈思黙考を貫いた。カラマンリス卿の名を聞いて、ある程度の方針は固まった。目的とやり方に無理がないと確信すると「補佐官」と職務室のローガニス卿を呼んだ。


「はい、閣下」


「電話だ。憲兵局に繋げ」


「ご用件は?」


「カラマンリス班長を呼び出せ。先月より連続する事件に関して話がある。30分ほどで構わないから、早くて都合がつくのはいつか確認してくれ」


「はい、閣下。承知しました。確認完了次第、お伝えいたします」


 ローガニス卿は礼を尽くして退室する。新任は、その先任の背中とメロディを交互に不思議そうに見つめている。


「増員は不要だ。事件は近いうちに解決する」


「え? し、しかし」


「そもそも、なぜ捜査陣に非があると思いこんでいるのだ?」


「関係者の懸命さは理解しているつもりです、しかし、もう1件目発生から1ヵ月が経過しました」


「報告書をなぞるだけでは時間の無駄だ。考えろ。こちらが手を尽くすのはそれからだ。お前から見て、報告書にはどのような印象を受けた?」


「はい。手順に則り、丁寧に書かれていました」


「ならば、原因は捜査そのものではなく、他にあると考えるのが道理だろう」


 まだ納得しきっていないツァフィリオ卿だったが、反論が思いつかず閉口するしかなかった。


「失礼いたします、閣下。カラマンリス卿より伝言です。16時過ぎに捜査本部へ帰投する、と」


「承知した。では、16時頃ツァフィリオ卿とともにそちらへ伺う。よろしく頼む」


「はい、閣下。かしこまりました」


 上司や先任によって勝手に話が進む様子にツァフィリオ卿は目を丸くするばかりだった。しかし間もなくはっとして、15時過ぎには今日の仕事を済ませておかねばならないのだと気がついた。

 上司に確かめるように視線を向けると首肯が返され、ツァフィリオ卿は職務室へ飛んで行った。

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