研究と〝赤い糸〟
上機嫌な友人は楽しそうに資料をひっくり返していく。その様子を眺めながら、彼女は根からの科学者なのだろう、とメロディは感心した。
赤い糸に関わるらしい〝バシレイア〟について尋ねると「わかんない、どっかの誰かじゃない?」と返答されて、今は話しかけても返されるのは無関心だけだと悟った。代わりに「ねえ。何か良いことでもあったのかしら」オルトに尋ねたが、首を傾げられるだけだった。理由がわからなくても楽しそうならそれで構わないので、深追いするつもりは無かった。
「〝赤の糸〟というのは、研究する上ではよく用いるの?」
「…………説明……便利、かな……」
「そう。糸といえば、以前イリスが話してくれた赤い糸と関係している?」
オルトは首肯して「〝創星神話〟」と言った。メロディが認識している範囲で赤い糸が言及されるのは、4章のうち、【土ノ御実乃章】および【天ノ御前乃章】――【クローヌ】において、大迷宮攻略のために英雄は赤い糸を足首に結び、難攻不落から生還する。その後【ウラヌー】にて英雄は、赤い糸の先で〝星の乙女〟と巡り合う。
「〝英雄〟がペルセウス、〝星の乙女〟はバシレイアということ?」
「……巫女…………殿堂の……」
「巫女? 【クローヌ】の、ペルセウスに〝白亜の殿堂〟の問題を話した白衣の少女のこと?」
「……バシレ、イ、ア……」首肯とともに返答してくれた。すると、新たな疑問が浮かんでくる。
「ならば〝星の乙女〟は?」
「……?」
「名前。彼女の名前は?」
「……〝星の乙女〟は、〝星の乙女〟……だよ…………?」
(名前と言うよりも、称号のように聞こえるのだけれど……)
そう思ったが、この先は自分で確認することにして翌朝の予定に入れた。せっかく用意してもらった写本をまだ有効に使えていない。都合がつきにくいため人に情報収集を頼むのも必要だが、自分で時間をかけて探すのも一興だろう。
「イリスは、それを解明の赤い糸のことと言っていたけれど」
「……正しい道筋をた、どれば……誰、でも正し、事実に辿りつけるから…………わからな、いこと、わかって……それ、を、理解……するた、めに……何すれ、ば良いのか、考えられ、る…………このときの、正しい道筋、を……示してい、るの、〝赤い糸〟……正しい道筋がわかれば、それを……何度でも、誰でも再現できる……検証、できるのは、科学としての要素を満たしてる……」
「正しい道筋……聞いた話だと、運命の糸とも呼ばれるみたい。これはどのように関係しているの?」
「…………科学は、〝白亜の殿堂〟と同じ。時間……を経て……知識が宿って、蓄積されていく……から…………誰が、いつ、どうして、たどり着けるかわから……な、いし…………幾人も、の、成果……ないと、その誰か、が……た、どりつける保、証……はな、く、て…………ひらめき、は、知識や知恵……が、積み重、ねられた末……得られる可能性、が、ある……天から与えられるような、思考……だから、自力で調整したりできないことが多いと思う……運命という表現も、おかしくないと思う」
メロディとしては、英雄と〝星の乙女〟との出会いの舞台を整えた成果としての運命を意図して用いた。他方、オルトの返答から察するに科学を志す者には彼らの世界観があるらしかった。
また、どちらにおいても当事者が介入できない偶然性に対する理由付け要素らしいが、場所や人物や状況が異なるために呼びかたを違えているだけのようにも思えた。
「複雑に絡み合った糸を解いていくとやがて赤い糸が見えてきて、それを手繰れば答えにたどりつける。すなわち、すべては永遠の真理に帰す。ゆえに、すべては理に従う――〝科学者の鑑〟と謳われた女性の言葉から派生したものだから、やはり解釈も科学に寄せたほうが正しいのかしら?」
「…………解釈は……自由、だよ……?」
「そうなの?」
首肯が返されたので、ひとまず〝創星神話〟の内容から……この〝赤い糸〟は、難題を解決する鍵のこと、あるいは、将来の出会うべき人に関する何らかの方法や情報……と仮定することにした。
「ねえ、思考と解釈は――」
メロディが質問しかけた瞬間、目の前の机に次々と紙束が重なっていく。驚く暇もなく背後からイリスが椅子をはさんで友人に腕を回した。
「準備できた! 始めようっ!」
「こ、これは?」
「資料だよ、春麗祭前から探して集めてたの!」
再び集まってきた資料に視線を向けて「こんなにも?」と、声が零れた。
紙はふたつの山に分けられている。なお、机が椅子に座ったメロディの胸元くらいの高さにも関わらず一番上の資料は彼女の視線よりも頭ひとつほど高い位置にある。
「探したらまだあるかも。必要だったら教えてね、もっかい集めるから!」
「そうしたら、あなたが大変でしょう?」
「いいのいいの! 楽しいもん!」
「けれど、あなたがやりたい研究とは違うでしょう? わたくしが職務や家の仕事で時間を取れないのは事実だけれど、あなたの研究や機械製作の時間まで使うほどでは無いと思うの」
「そんなことないよ。だって、メルはいっつも魔法使ったみたいに、すぐに正解にたどりついちゃうから」
「わからないなりに考えているだけよ。それに、魔法を使っているのはイリスのほうでしょう?」
「魔法じゃないよ、魔法は物語の中にしかないもん。これは技術だよ、知恵と努力の結晶! それから、考えた結果メルは答えにたどり着くまで時間がかからないってこと。だからね、久しぶりにこうして何か一緒にできるの嬉しい!」
嬉しい、と言われてその対象へたどり着くまでに時間を要した――出会った当初よりもここ数年はイリスたちと話す時間が短くなり続けている――同じ内容に対して、メロディは嬉しさよりも申し訳なさを思い出して、それに対して寂しさを感じた。
すると、イリスの満面の笑みが得意げなものに変わって「言わなかったら勘違いしたままだと思うから言うねー!」と続ける。
「あたしはやりたいことやってるよ。今は、メルの役に立ちたいって思うから何ができるかなって、それだけ。必要だと思ったら、あたしメルのために時間取って何でも作るよ。だから、考慮すべきは時間誓約でも技術的困難でもなくてメルの研究の、解決可能性の大きさ!」
「けれど」
そう言いかけたとき、大きな手がメロディの頭に乗せられた。
「……やりたいこと、やろう…………? そのた、めの……離れ、だから……」
「そうだよ、仕事と関係ないのにやりたいって、メルが初めて言ってくれたことだもん!」
上辺の言葉と本心からの言葉か、判別はつく――友人たちの気持ちが嬉しくなった。
メロディは自身の価値観を用いて彼らを計っていたのだと思い至り、偏見を反省した。代わりに、まだ知らない魅力を知っていこうと心に決めた。
「ありがとう。これらは仕事の合間になってしまうでしょうけれど、必ず目を通すわ」
「あれ? オルトの要約いらない?」
「あれば助かるけれど、問題ないわ」
見上げながら「読んでなかったっけ?」尋ねるとオルトは首肯を返した。イリスは書類の山に視線を戻して「あー……ごめん、まぎれさせたかも」顔の前で両手を合わせた。すると、オルトは隣からその両手を掴んで押し下げる。
「まだ、書い……て、ない……」
「え? いつも読みながらまとめてない?」
「余白、足りない」
「わ。イーライ・トレイルみたいなこと言い出した」
「だって、無い……から。紙……」
メロディが首をかしげてみせると「イリス、の……ぜんぶ使い切った」と答えた。
「えっ、あたし? オルトも使ってたでしょ?」
「うん……でも、足りなかった……から、書い……て、ない……」
「年始に予算は十分に渡したつもりだったのだけれど……」そう零すと「……それ、は、大丈夫……新しいの、届くの、まだ……」珍しく慌てたようにオルトが答えた。予算不足ではないらしいと安心したメロディは、改めてイリスに尋ねた。
「証明への道のり(バシレイアのいと)、あなたはいつも作るの?」
「え、あ……頭の中だけでやるの?」
一緒にやりたいと言ってくれたばかりの友人に、それはあまりにもかわいそうな対応だ。とっさにメロディは紙を裏返して「問題ないわ、書けそう」と笑みを見せた.それにつられてイリスも表情を綻ばせた。
「あのね! あたし、作るよ。いっつも! 足りないものがあったら不良品になっちゃうもん! 完成のために必要なものを列挙して、またそれに必要なものを考える――この繰り返しをして、どうすればいいのか明確にするんだよ!!」
「そうなの……得意かもしれないわ」
「ほんと?」
「ええ,事件捜査と似ているもの」
「じゃー、早速がんばろー! まずは書いたことを思い出してもらわないと! どこまで作業したか、覚えてる?」
「当日のことを――考え、言葉、行動、気持ち――これを4等分の紙面に書き分けてから、後日、オルトに言われて気になったところに印をつけたわ」
「あれ、そこまでいったの? あたし寝てたっけ?」
「……歩いていたわ」
「なにそれ?」
嘘も間違ったことも言っていない。ただ、どのように言葉にすればいいかわからない――メロディは笑みを返すだけにした。