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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
綻ぶトリレンマ
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帰宅と期待

 カリス公爵邸を出てからしばらく、メロディは意を決して運転席の執事の名を呼んだ。ミハエルが安全運転を継続したまま意識を少しだけ分けてくれたので話を切り出す。


「ふたつ、確認したいことがあるの」


「はい、閣下。承ります」


「〝推し〟あるいは〝会える推し〟、〝恋バナ〟〝惚気〟の相違、それから、〝いちゃいちゃ〟――これらを知っている?」


「馴染みはありません。どちらでそれらを?」


「フラナリー姉妹からよ。あなたが知らないということは、例年、学園で使われる言葉では無いのね?」


「いえ、閣下。年代や所属院が異なりますから、言い切れません。情報を集めますか?」


「ええ。言葉や意味を知っているか否か、どこで使われているのを耳にしたのか、自ら使うか否か……そのあたりも含めて」


「はい。かしこまりました」 


「もうひとつは、あなたも学園の卒業生よね?」


「はい。随分前の話ですが」


「〝すずらんの会〟を知ってる? 参加したことは?」


「存じ上げておりますし、若い時分には参加しました」


「すずらんって花なのよね? 花言葉は何?」


 我らが主も乙女らしいものに興味を抱かれるのか……父母の腕に抱かれているころから現当主を見守ってきた執事は、感慨にも近しい感心を自覚しながら当時の記憶を思い出して答える。


「幸せな再会、喜び、思いやり、継続といった前向きなものを持っています。ダクティーリオスには2輪の国花――プリムラ・ダクティーリ、イーリオスティアがありますが、イーリオスティアには門出という花言葉があるでしょう。その対に当たるものがすずらんの花言葉というわけです。門出で別れてもいつか幸せな再会がある、と……つまりは、そのような素敵な会にしようと、そのような意味合いです」


「古くから催されているの?」


「はい、ほとんど学園の設立と同じです。初代卒業生が企画してから現在まで、連綿と受け継がれていると聞いたことがあります」


「伝聞のほかに記録は残っていないのかしら」


「申し訳ございませんが、把握しておりません」


「自分で確認するから気にしないで。それよりも、会合ではどのようなことをするの?」


「僭越ながら、乗りこまれるご予定でもあるのですか?」


「ええ、カリス卿が誘ってくださったのよ!」


 メロディは嬉しそうに答えた。他方、ミハエルが心配なのは主人の予定ではなく相手だった――コンスタンティノス・カリスが浮き名を馳せているのは調べるまでもない。我が子ではなかろうと、大切に見守ってきた主人を任せるには不安も不満もある。ただ、それに気づいていない少女の楽しみを奪うのは気が引ける。「なるほど……?」含みを持たせた相槌を打つ。


「問題ないわ、円卓議会のあとに会場へ向かえば良いのよ」


「はい、閣下。おっしゃるとおりでございます」


 分野によって鋭さと鈍さの落差が激しい主人のこと、悟られないのは承知の上だった。ミハエルは口元に緩く笑みを浮かべながら返答した。

 まもなくヒストリア伯邸に到着した。メロディは帰宅するなり、ヘレンを呼んだ。コニーから贈られた琥珀のペンダントの管理を任せる。ヘレンは「良い品ですね」とメロディに笑みを見せた。


「海を漂うものという意味があるのですって。カリス家らしくて素敵よね」


「そうですね。お嬢様が身に着けましたらさらに素敵でしょう。湯浴みの後、お召しになりますか?」


「今度にするわ。湯浴みの後は離れに行くから、お茶と軽食が欲しい」


 ヘレン曰く用意は完了してるらしかった。休暇後最初の職務ということもあり、相応に疲労を自覚していたので先に湯あみを済ませたかった。

 清めた体を湯船に沈める。水面には黄色の花弁が漂っていた。ふんわりと、爽やかに優しく香る。花の名を尋ねると、アカシアだと言う。


「花言葉はなあに?」


「優美でしたでしょうか。上品な美しさとともに、香りに癒されていただきたく思いました」


「ありがとう。ねえ、すずらんは知っている?」


「はい、存じております。白雪のような、可憐な花です」


「ならば、すずらんの会は? 会合らしいのだけれど、参加したことある?」


「ええ、ありますよ。卒業生のための再会の場ですね」


「カリス卿がお誘いしてくださったの、わたくしも参加するのよ」


「それは、よろしゅうございましたねぇ」


「どのようなことをするのかしら。旧友が一堂に会するのでしょう?」


「ええ。懐かしく思います。学園の在校生が、とくに生徒会役員が率先して記念品を用意してくれたり会の進行をしてくれたりしますから、年ごとに内容は変わるのです。変わらないのは心が温かくなることでしょうかねぇ」


「心が?」


「はい。参加されればお分かりになられますよ」


 ヘレンの優しい笑みはメロディの期待を加速させた。まだ開催日の5の月初日まで10日近くある。万全の体調で楽しめるよう、それまでは特に大量に気をつけようと決めた。

 部屋着を身にまとい髪を乾かしながら肌を保湿し終えると、大きめのストールを肩からしっかり羽織ってすぐに離れの棟へ向かった。その手には、研究のための用語一覧がある。なるべく夜風に当たらないように遠回りだが室内を進んだ。廊下の窓から離れの明かりが見える。友人らはまだ研究室にいるのだ。それがわかるだけで、自分を待ってくれているわけでは無いとわかっていても、メロディの心は弾む。想像だにしない面白いことを試したり実現させたりする自由奔放な実行力に憧れ、いつでもその憧憬を裏切らない友人らは、いつでもメロディの期待を超えるのだ。


 不意に、メロディは足を止めた。もうひとりの、憧憬や期待を裏切らない人物の柔和な微笑みが思考に浮かんできた――勉学や武術を含めた優劣がつくあらゆる物事においてメロディが彼に勝利できたのはおよそ10年間において合計で両手で足りる数だけ,奇襲ではなく真っ向からだと限定すれば片手で十分だった.嫌な顔ひとつせず相手をしてくれて,知らないことをわかりやすく解説して理解させてくれた.きっと知らないところではほかにも何かしてくれていたかもしれない……9の月半ば、よく晴れた日。降車した途端、視界が幻想的に彩られた。花弁に彩られた青い空のもと、花飾りを髪に挿してくれた。「気に入ってもらえると嬉しいのだけれど」恥じるように笑ってみせた。その日はアレクシオスの誕生日祝いとして「ヒストリア伯爵領へ行きたい」と言った彼の願いを叶えるための外出だとばかり思っていたメロディにはなかなか思考が追いつかなかった。しかし、状況を理解する前に、涙が溢れて零れた。嬉しいはずなのに涙が止まらなかった。

 学んで鍛えて、できることを増やし続けていた。必死さはいつか心の憔悴を上塗りして孤独や苦悩を隠してしまった。生き急ぐように手に入れたのは〝理詰め令嬢〟の名声とそれにともなう毀誉褒貶――当時、アレクシオスはまだ幼い婚約者に言いたいことはたくさんあっただろう。しかし、彼はメロディがそうしてしまう事情を理解していたからか彼女に直接苦言を呈することは無かった。これが、それに代わる気遣いならば拒絶できる方法も理由もない。言葉が無くとも伝わるものがあった……あの涙は、悲しさや辛さだけが形どったものではなかった。嬉しさや喜びだけでもなかった。理解しきれない感情の結晶がひとりでは抱えきれなかった――ヘレンが話していた、内容が変わっても心が温かくなるのは変わらない、の意味がなんとなく輪郭だけ触れられた気がした。


 また、それほど聡明な彼が悩んだ末に、何よりも優先せざるを得ないと判断した〝真実の愛〟――その正体がわかれば、彼にだけ見えていたものが見えるかもしれない。いままでアレクシオスにだけ見えてメロディには見えていなかったものはきっと数え切れない。もう遅いことだとしても、そのうちのひとつだけでも知ることができるのなら……メロディは期待とともに離れの棟へ歩みを進めた。

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