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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
綻ぶトリレンマ
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微睡みと回顧

 本校舎北棟5階――エミリオスは生徒会役員室の扉を開けた。廊下との温度差を中和するため一瞬だけ立ち止まって、足を踏み入れた。


 3年生の役員2名が事務作業しながら談笑している。気がついて礼節に則った挨拶をすると彼らはすぐ作業に戻った。子爵令嬢と平民の少年は当初、同じく生徒会役員を務めるエミリオスをはじめとした黄道貴族を畏れていたが、1年が経過すれば自身の才覚を発揮するには十分なほど慣れてきたようだ。

 おそらく現生徒会長を務めるアレクシオス・イードルレーテーが纏う特有の雰囲気に加えて、初対面で「君たちと話す機会が得られて嬉しく思います。どうぞ知恵をかしてください」と微笑んで見せたのが大きいだろう。


 学術院史上最高の頭脳と謳われるアレクシオスの功績や成績は当然のように他学年にも流布されており、歳上・高貴・優秀――この3拍子が揃うと本来はそれだけで相手を萎縮させかねない。しかし、なぜか彼の場合は人を惹きつける力に変換されていた。いつの間にか恐縮しきった雰囲気は緩やかになり、どの会議も活発で良案や妙案が絶えなかった。

 相手に悟らせず完璧に目的を達成する……完全に場を掌握したアレクシオスの真髄である。だからこそ、些細な変化に気づく者は少なかったのだろう。


 ため息にならないように細くゆっくり息を吐いて肺腑を空にした。生徒会役員室のソファーはさすが質は良く、横にすると体が柔らかく沈みこんだ。

 すると、話し声が抑えられた。


「少し休みたいんだ。話していて構わない」


 気だるかったのは事実だが威圧にならないよう自然な高い声で告げると「はい、殿下。いえ、あの……」何かを言い淀んだセルギオス少年の声が聞こえたが、まもなく歩み寄ってきたアカキーア子爵令嬢は「よろしければお使いください」その手に薄紫色のストールを持っていた。差しだされたストールを努めて平静に受け取り、エミリオスは礼を言った。少女は軽く笑みを浮かべると、自らの作業に戻っていった。この距離感を悪く思わないが、如何せん、今は紫から離れていたい。しかし、親切を蔑ろにするのもどうかとストールに視線を落とす。目を閉じていれば色は気にならないと思い直し、畳んだままストールを腹部に乗せて目頭近くの窪みを指先で押した。つまむようにして数度回すと、心なしか眼球付近の熱が取れて軽くなった。



 メロディ・ヒストリアが同世代から疎外されないように印象操作を画策する。



 3年生への進級を控えたころ、エミリオスは姉姫シプリアナから計画内容を聞かされた。曰く、アレクシオスが単独で動いていたのだが女性陣への仕掛けが難航したらしい。彼女たちの主戦場といえば男子禁制のお茶会なのだから当然だ。シプリアナが弟に協力を持ちかけたのは独断かつ事後報告だったようだが、アレクシオスはエミリオスを進んで仲間に引き入れた。人手か露見かを天秤にかけたとき前者に傾いたからだ――新年祭の〝福音の舞(アナリプシ・テレティ)〟演者を経て伯爵位継承権行使を左右する裁判を目前にしたメロディ・ヒストリア嬢の〝理詰め令嬢〟としての名声に斜陽が生じたらしい――入ってしまった亀裂補修にアレクシオスが専念し、その間は王族姉弟に学内の印象操作が任された。


 その甲斐があって、半年以上3度に渡って議論された結果、無事にメロディはヒストリア伯爵の地位についた――1682年1の月1日のことである。


 学業の手を抜けるはずもなく3年生から生徒会に所属して多忙を極めながらもエミリオスは助力を続けた。ひとえに、自らの陽光のためだったからに他ならない。

 1681年の軍務省時代における加速した苛烈ぐあいには手を焼いたが、誰かのために必死な彼女から目を離せなかった。さすがに通称・城下の吸血鬼事件での独断専行については生きた心地がしなかったものの、放任主義を装ったアレクシオスも同様であり、婚約者として叱ったと聞いた。

 自らの努力を見せずに目的を達成するアレクシオスが、いままでメロディのために何をしてきたのか知っているからこそ、この期に及んで彼が正気を逸しているようにしか思えないのだ。


「人の性は変わりません。一度惚れた相手には指一本すら触れられずとも尽くさずにはいられませんから」


 この言葉に至っては、似合わない挑発だった。しかし、効果は破壊的だった。

 誰よりも彼女の手を取りたいと願い続けて、それを阻み続けた障害である男が何を言っているのか……加えて、その理由に姉を使っているのだ……王族としての自制は役に立たなかった。どのような言葉も受け入れると言わんばかりの労わりが込められた瞳を向けられて冷静を忘れるほどエミリオスの感情は乱れた。


(あの子にどれほどの非道な仕打ちをしているのか……あなた方ならば、気づいていないわけがないだろう?)


 憤慨が手の震えとして現れる。不意に、この場のもうひとりの存在を思い出して落ち着くよう努めた。


 中立を重んじるヒストリア伯爵家当主になるために生まれ、自らを重圧の渦中に置いた少女――彼女と同学年として学園生活を送る夢は、入学式で打ち砕かれた。所属院は違うとして、少なくとも彼女もこの本校舎で勉学に励むのだろうと根拠なく信じていた。遠くからその姿を眺めることはできるだろうと期待していた12歳にはなかなか堪える事実だった。5年生への進級を控えたエミリオスにとって学園生活における衝撃度上位3つに未だ居座り続ける出来事である。

 他方、3つのうちのひとつは更新された。疑惑は逢瀬によって確信あるいは期待に変わってしまった。


「滅相もございません。自らを希代の賢王に重ねるなど、あまりにも恐れ多くございます」


 アレクシオスは冗談のように笑ったが、エミリオスの頬は軽く引きつった。その言葉を信じさせたいなら、神童あるいは天才と謳われるのは控えてほしい――周囲が勝手にやっていることとはいえ、当人へ向けた不満が消えるものではなかった。


 最高学年への進級を間近に控えた5年生――学術院は卒業論文、芸術院は卒業制作、武術院は卒業試験へ向けて個々に忙しい。双方ともにどうにか捻出した隙間時間を重ねて、あの逢瀬は叶えられたのだろう。

 学園内で王女と公爵家次男が会うこと自体は問題ない。隠匿を画策したのも一般生徒に目撃されたほうが面倒が付属するのがわかりきっているため許容できる。

 〝王国の宝花〟と謳われる王女と同年代きっての神童が手を組んだ計画はそれに見合うだけの結果が出ていた。他方、彼らは目的を果たしてからもその手を離せず、非道な事実を残すことになった。


(スティも思い切ったことを……)


 だからと言って、現場の写真を撮影して事実を暴露してしまうのは冷酷だろう。咄嗟に彼の構えるカメラの前へ割り込んだのは英断だったと自認するとともに、今も昔も変わらず、スティファノス・カリスは躊躇なく引金を引ける人間だと認識した。

 柔和で整った造形に加えて線の細い中性寄りの印象が強いカリス家の後継者の本質は、無慈悲で冷酷な支配者を思わせる。


 その二面性は、アレクシオスとは別の側面で、500年以上の時を経て明らかにされつつある〝慈愛の魔王〟エリアスⅡ世の姿と重なる……かつて緩衝国にされた憐れな小国の父でありながら草民に惜しみない慈愛を与え、時には非情な手段を厭わず列強諸国を掌握して大戦に終止符を打ったとされる旧ピサラ王国最後の王である……多くの資料は戦火や反乱の渦中に消えたが、ダクティーリオス王国初代王妃の父だ。加えて、かの魔王の歴史上類を見ない功績はまちがいなく歴史学者が好む英雄譚(だいざい)のひとつである。

 何を考え、何を思い、何のために――学者たちの興味は尽きない。ゆえに日進月歩、研究は止まらない。


 他方、目を閉じた状態でかろうじて意識を漂っていると、次々に関連する思考の泡が浮かんでは解ける。


「そっか、リオはメロディと結婚したいのですね!」


 無邪気に暴露された直後、泣きながら殴りかかった。王子が従兄と暴力沙汰になりかけたなど、醜聞以外の何物でもないが、このとき、ヘクトールが弟を抱えて元凶から引き離した隙にシプリアナが機転を利かせて居合わせた者たちに箝口令を遵守させた。でなければ、国王夫妻やカリス公爵夫妻に、引いては城内に広まるほどの騒動に発展していた可能性すらある。今では笑い話だが、当時は羞恥や憤怒などの感情が思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて自制できる状態ではなかった。


 あのころと比べると、感情や言葉を制御するようになった上、悪意をもって謀略を企図する程度には純真無垢ではなくなった。誰もが変わった。

 大陸諸国から称賛されるダクティーリオス王国の随一の体系化された知識及び技術――それらを可能とする真面目かつ勤勉な国民性とは、つまり、精神を削り合う言論の中において自らの利益を求めるための手段に過ぎないのだ。


 外部から鍵が掛けられた部屋に、ひとりの少女がいるとしよう――唐突に兄の問いかけが脳裏を過ぎったが、思考から追い出した。触れることも手を伸ばすことすら許されない自分に、どうしろと――自分がどのような表情をしていたか思い出せ――件の逢瀬は王族たる理性をただの言い訳だと断ずるが、同時に姉の不徳は喜べるものではない。


 答えのない、あるいは、答えを出したくない問いが成す迷宮だ。迷い込んだら最後、ひたすら精神を消耗させる。

 姉か、白百合か、あるいは……どうか3人を同時に……難しいだろう。市井で流行している小説や演劇でも、3人の重要人物のうち少なくともひとりは望まない結果を強いられている。


(だからといって、誰を)


 何を、ひいては誰を優先させれば良いのか、もうわからなくなっていた。

 最適解が無いのだから求める答えは出せない……考えるのをやめた。


 今月にでも生徒会役員の役職引継ぎがされて、進級式を経て最高学年が卒業への佳境に身を置く。そして、生徒会役員が5ヶ月以上かけて精査した結果を学務省に推薦申請することで9名の期待の星〝九瑞星〟が国内に共有される。

 アレクシオスもシプリアナも優秀である。俎上に上げられるのは想像に易しい。そのとき冷静に評定を下せるか……エミリオスは不安を抱えたまま意識を押し沈めた。

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