同年代の恋路
日も傾いてきた頃合い、四阿でお茶とお菓子を楽しんでいた双子令嬢たちは口元に微笑を浮かべていた。そっくりなふたりの相違といえば、名前と声とドレスくらいだろうか……メロディは、自己紹介してもらったとおりに右がドルシア,左がスタシアだと認識して何度か頭の中でそれぞれの名前を唱えた。
「さっ、自己紹介も済ませたことだから。座って座って!」
スティファノスは改めてメロディの手を引いてスタシアの隣に座らせた。
婚約者の無邪気な様子に若干ドルシアは眉根を顰めて視線を落とした。他方咎めるでも呆れるでもなくテーブルに並べられた焼き菓子を口に運ぶだけだった。
姉の様子を横目で見ていたスタシアは咎める視線でスティファノスを呼んだ。彼女たちの様子を俯瞰的に見ていたコニーはどこか漂う不穏に気づいていないメロディの隣に座り焼き菓子を勧めて率先して気を引く。職務終わり間もなく糖分を欲していたメロディは紅茶を待たずバクラヴァを求めた。
隣まで来てくれた婚約者の手を取ろうとドルシアはメロディたちに背を向けるように振り向いて「ヒストリア閣下はなぜこちらに?」と小声で尋ねる。
「勤務終わりに、兄様とともに来てくれてたみたい。せっかくだから来てもらったんだよ。ドールは初対面?」
「ええ、はい。ファンは違うのですか?」
「小さいころに遊んだきりかな。僕らは春麗祭で挨拶していないから、もう10年ぶりくらいになるかも。すっかりお姉さんになっていて驚いたよ!」
「そうなのですね……」
どこか不安そうな婚約者を慮るようにスティファノスは彼女の肩に手を乗せた。
「スタシア嬢は春麗祭でお会いしたのだった?」
「はい。スパティエ閣下に計らいをいただきました」
「そっかじゃあザハリアスも会ったんだ。いいなー、僕らは両親に控えるよう言われてしまったからさー」
「ファンはそれほど閣下にお会いしたかったの?」
「え? まあ話せたら良いなくらいは思っていたかな」
握る手に力が籠められる。「それだけですか?」見上げる視線が揺れていたが「それだけって?」尋ねられると視線は落とされた。
「貴方の婚約者は私です」
「そ、そうだよ?」
「……」
「……」
なかなか要領を得ない意思疎通は、両者ともに戸惑っている。ついに、矢も楯もたまらずドルシアはまっすぐスティファノスを見上げて告げた。
「私の父も貴方のご両親も何を優先させるおつもりかわからないでしょう?」
「まあ、それは、認めるけれど……ごめんね、何の話だろう?」
「可能なのですよ? 閣下は婚約を破棄されたのですから……!」
心持ち声量を上げたこともあり、バクラヴァと紅茶に夢中だったメロディにもはっきり聞こえていた。ドルシアは結果を確かめるよう慎重に顔色をうかがう。
「破棄、ですか……?」
メロディの言葉を聞くまでもなく、すぐに後悔した。空気が冷えこんでいる――他方このとき相互の感覚に大きな隔たりがあった。
幼いころに立て続けに家族を亡くしたメロディにとって、彼らが遺したものは大切にすべきであって捨てるなどできない。離れていった人という点では、家族もアレクシオスも同等の扱いであるため、婚約者として贈ってもらったもの――アレクシオスが残したものについても捨てるという感覚すら持っていなかった。ゆえに、浮かんできた疑問は、それほど思考で濾過されず口からこぼれてしまった。何か言おうと、自分が言わねばならない使命感に駆られるが思考の中で言葉が捕まらない。それぞれがごまかすようにお菓子に手を伸ばしたりティーカップを傾けたりしていると場の雰囲気を変えようとしたのかスティファノス小公子が婚約者を庭園の散歩に誘った。ドルシアは表情を強張らせたまま躊躇いを見せた。
スタシアは姉の腕をひいて小公子には聞こえないよう耳打ちする。
「せっかくのお誘いじゃあないの、行ってきなさいな」
「だ、だけど」
「まったく。〝会える推し〟なのでしょう? それとも、代わりに私が行きましょうか?」
「だ、だめよ!」
「ならば行きなさいよ、もう」
「だって……」
「化粧は崩れてないわよ、似合ってる。かわいいかわいい。おめめキラキラ、髪もツヤツヤ、おまけに胸もドキドキ。何がいけないのかしら?」
耳まで赤くしている姉の頭を撫でるスタシアは、完全に面白がっている。メロディは、自分とコニーの姿に通ずるものを見た。
スティファノスはドルシアの傍らに膝をつき「ご体調が優れないのでしたら日を改めようか?」と、おずおず提案する。ドルシアは焦ってかぶりを振った。体はいつのまにかスティファノスに向き合っている。
「ち、違います! 違うのです、あの、私は……」
「姉は植物学カルディアに所属しておりますの。きっと饒舌ですわ」まだ面白がっている妹をドルシアは視線で諫める。
「僕は薄学ですから、笑われてしまうでしょうね。ですが」
「そのようなこと!! そのようなことはございません。私は、貴方の隣を歩きたいです。それだけで満足なのです。ご不快な思いなど、決してさせません。ですから」
「僕も同じことを考えていました!」
スティファノスは勢いよく立ち上がった。ドルシアの両手を取り、上目遣いに見つめられながらその手を優しく引いて立たせる。
「僕は、草花をめでるドルシア嬢の横顔を拝見するだけで十分です。会話だって、内容よりも声を聞けるだけで幸福です」
小さいころ母の背に隠れていたメロディの手を引いてどこかの庭園を案内してくれた様子と重なる……メロディは懐かしむようにドルシアとスティファノスの後姿に目を細めた。
「彼は、変わりませんね」
「ふふっ、天然ですものねぇ」
「人に育てられているのですから、一応養殖では……?」
スタシアは一瞬だけ目を丸くすると、何か会得したように生暖かい笑みを浮かべて「そうですね。人間は、みな養殖ですわね」と同調した。続いて席を立ち丁寧に頭を下げる。
「先ほどは申し訳ございませんでした。姉に代わって謝罪申し上げます」
「いえ、わたくしこそおかしなことを聞いたようです。お気になさらないでください」
どうにかスタシアに顔を上げてもらい座らせた。謝罪よりも彼女に聞きたいことがあった。
「ドルシア様におっしゃっていた〝会える推し〟とは、一体どのようなものなのでしょう?」
「簡単に申しますと、大好きな方に会える関係にあるという意味ですわ」
「つまり、愛している方と親しい関係であるということですか?」
「そ、そうですわね」
あまりにも無垢でまっすぐな物言いに、若干スタシアの表情が引きつりコニーは苦笑を浮かべていた。しかしメロディは気づかず情報収集を進める。
「〝推し〟が愛している方を指しているのでしたら、それは、家族や友人とは別の分類になりますか?」
「そのような場合もあるかもしれませんわね」
「つまり身内へ抱く愛情が由縁である場合もあれば恋ゆえに抱く愛情である場合もあるのですね……」
新たな用語について納得とともに独りごちながらメロディはふと思いついたことを口にした。
「スタシア様にも、〝会える推し〟がいらっしゃるのですか?」
「はい?」
「詳しいようでしたので、もしかしたらと思って……」
「ええ、いますよ。恐れながら、私の推しはメロディ様ですわ」
「嬉しく思います。本当は、どなたなのですか?」
メロディが聞きたい人物名は決まっている。世辞でごまかされてなるものかと期待を込めた視線でスタシアを逃がさない。スタシアが困ったように笑みを浮かべていると、代わりに「イオエル・メテオロス公爵だよ」コニーが人物名を挙げた。
スタシアが「カリス卿っ!」咎める口調とともに立ち上がった。まあまあとなだめながら座らせると
「君たち姉妹が話しているのをいつも聞かされているからね。大丈夫、ヒストリア伯は中立派だし正直な方だから、広めることは無いさ」
「ですが」
「答えに辿りつかなければ情報官殿の尋問は終わらないから」
「……別の方だと表現するだけで十分でしたわっ」
スタシアは不満そうだがふたりの会話がひと段落ついた。メロディはそっと「スパティエ伯爵令息ではないのですか?」と尋ねなおした。春麗祭にて婚約者だと挨拶していたはずだ。スタシアは観念したようにため息をついた。
「ええ。父が決めた婚約ですもの。いまさらこちらからはお断りできかねますわ!」
スタシアはバクラヴァを口に放って数回噛むと紅茶で流し込んだ。彼女には甘すぎたらしい。
春麗祭でも同様だったが、社交の場でメテオロス公爵に連れがいることは珍しい。誰にでも気軽に関わりに行く人物のためひとりで行動するほうが向いているのもひとつの要因だろう。反面、黄道貴族のひとりとして落ち着きが無いと指摘されることはあるが大きな問題にあげられていないのはひとえに若くして大将の任を預かる実力と気安い性質が積み上げてきた彼自身の人望が大きい。
あらゆる層から慕われる彼に憧れを抱くのは納得しやすく、それは、恋愛ごとに疎いメロディに関しても同様だった。
「メテオロス公は、魅力的な方ですものね」
すっかり拗ねているスタシアに対して何か言わねばならないと思って言ってみたが、メロディ自身あまり良い表現では無いと自覚していた。