カリス家の兄弟
夫人の応接室から離れていくほどコニーの緊張は解いていった。ふと思い出したように、腕にかけていたストラをメロディに羽織らせながら「母と会ったことが?」と尋ねた。
制服よりも薄手な生地のドレスは若干肌寒かったので、メロディは礼とともに答えた。
「はい。学生時代に母と交流をお持ちだったそうですので、そのご縁です。それから、妃殿下の従者をしているころにも」
「そうだったのですね。でしたら、弟とも面識はありますか?」
「スティファノス小公子さまですよね。幼少期に何度かお会いしましたが、最近はすっかりご無沙汰しております」
「春麗祭ではおそらく両親の言いつけを守ったのでしょうね。今日はこの時間であれば下校していると思いますが……まあ、いつか機会があれば」
「どのようなご様子かお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「わが弟ながら優秀だと思いますよ。交渉は大人顔負けですし、学園では生徒会役員を務めていますし」
爵位継承権と王位継承権のそれぞれを譲位して問題ないと判断できるだけの信頼があると思いつつ何らかの表層からは見えない意図を秘めているのだろうと思考する。同時に、メロディは学園という言葉に心が動いた。同年代の動向や一般的とされる道について、通っていない分、より興味は強い。いままではアレクシオスやイリスから聞かせてもらっていたが、伝聞と経験は違うとわかった上でのことである。
なんとなく察したコニーは「あいつのほうがひとつ学年が上……いえ、同学年ですか。今年の10の月で17になります」と話題を変えた。
「学園は9の月始まり、夏至のころから夏季休暇でしたか?」
「ええ。ですから、奇数年の秋芸、潔冬生まれと偶数年の春麗、朱夏生まれが同学年として扱われます」
1667年10の月生まれのスティファノス、1668年6の月生まれのメロディ――なるほど、誕生日は半年以上離れているが、学園に通っていれば同学年で勉学で励むはずだったらしい。
「エミリオス殿下やスパティエ伯爵令息も、次、5年生に進級する年だったかと思いますよ」
「シプリアナ様と、イードルレーテー公爵令息は?」
「おふたりとも今年の9の月から最高学年に進級されるよ」
コニーが答える前に、背後の声が教えてくれた。ふたりが振り向いた先では、母譲りの柔らかく清らかな雰囲気をもつ少年が得意げに笑ってみせた。
ぱっと隣の美丈夫を見上げ、再び少年へと視線を向けた。……ふわふわした、ほのぼのする……これが正しい認識か否かはさておき、メロディはこれをイリスやオルトに向けるような、見守りたい感覚に近いと予想した。
(似ている気もするけれど……)
身近な兄弟としてイードルレーテー令息兄弟や王子兄弟を知っているが、相違点と類似点が絶妙に混ざりあって、彼らは似ていないようで似ている。他方、カリス令息兄弟はどうだろう。
ともに優秀だと疑わないが、つかみどころのない笑みを浮かべる兄と穏やかな心持ちで見守りたい弟――険の濃いカリス公、精霊と謳われる公爵夫人の息子たちだと思えば無理もないと自分に言い聞かせる。第一、メロディはカリス兄弟のことをあまり知らない。相違や類似を見つけるのはこれからにしようと決めた。
「小公子様。ご無沙汰しておりました」
「本当、久しぶりだよね。職務終わりに来てくれたの?」
「ええ。お誘いいただきました」
「制服じゃないから兄様が知らない女性を連れてきたのかと思ったよ」
「何言ってるんだ」
「最後に会ったのは僕が入学するずーっと前なんですよ? 職務で忙しいのか社交の場でもあまり見かけませんし風に聴くくらいの様子は知っていましたけれど、それだけなんですから。そもそも、この時期の女性はどんどん美しくなっていくというでしょう? 最低限のデザインのドレスをここまで着こなせる女性は滅多にいないからメロディじゃあないかってすぐに思い至ったんだ」
「こちらは夫人のご厚意で、お借りしたのです」
「え、本当? 大きさ合うんだ??」
「大きさ……」
すらりとした体格とよく隣を歩くカリス公爵の影響によって夫人は小柄に見えやすい。先ほど若干見上げながら話したことをメロディは思い出しながら、なぜちょうど良く着れているのか――はじめて疑問に思い、首を傾げた。
「何ですか」スティファノスが不満げに尋ねる。メロディが思考を中断して顔を上げると、問いに対してコニーは「またそのブローチなのかと思っただけだよ」と答えた。
「それはもちろん、一番気に入っているので! ドルシア嬢が選んでくれたんですよ、きれいでしょう?」
そっと襟元のブローチに触れて目を細める弟に「すでに何度も聞いたよ」と茶々を入れると「兄上ではなくメロディに言っているのです」肩をすくめるコニーの様子は、父親譲りらしく見えた。微笑ましさがメロディの頬を緩ませた。
もう一度、スティファノスの赤くゆらめくブローチを見てから感想を述べた。
「繊細な金細工は、まるで令嬢の日の光を溶かした髪のように思います。中央に据えられているのは……」
「オパールです。遊色効果によってこのように角度が変わると見え方も変わるんだ」
「面白い宝石だと思います。ドルシア嬢の感性は冴えていらっしゃるのですね」
「うん。彼女からは素敵なものをたくさんもらっているよ」
婚約者を思い出したのか、視線を落として恥じらいの赤面とともに答えた。
メロディは瞬きして、感心のため息をついた。黄道貴族とよばれる12の名門家は、基本的に国内で政略を含む婚姻を結ぶ。ここに当人の意思はほとんど介在しない。にもかかわらず、婚約の段階で、相手を思い出すだけで顔を赤くする様子はすでに相応の関係性が築けている少佐のように思えた。そっと心の中で、おそらく〝ベタ惚れ〟に該当しているのだろうと予想をつけた。シリル卿ほどの熱量までは感じないが、身に着けているブローチのように秘められている何かがあるのだろう。あるいは、それほどの精力の表れかもしれない。
「そうだ、ちょうど四阿にふたりとも、ドルシアもスタシア嬢もいるんですよ。一緒に行きましょう!」
「お邪魔になりませんか?」
「とんでもない、メロディに会いたくない人なんかいませんよ! ねっ、兄様?」
いきなり話を振られたコニーは意見を求めるようにメロディを見つめた。同年代に会う機会がかなり少ない身としては嬉しい提案だが、楽しい時間を作れる自信がない。メロディは困ってコニーを見上げる。
「貴女が構わないのでしたら問題ありませんよ。彼女たちは先日デビュタントを済ませたばかりですからね。知り合いを増やしてあげるのは我々の務めでもあります」
「それは……はい。しかし」
まごつくメロディの手を、スティファノスが自然に取る。
「大丈夫だよ、ふたりとも優しいから」
その笑みは婚約者とその家族への信頼が為すものだろう――確信を得たメロディは振り向きざまにコニーの手を掴んで、走り出したスティファノスに道を任せた。
「ドルシア、スタシア嬢。待たせてごめんね。兄様たちも連れてきたよ!」
庭園を抜けた先、四阿ではフラナリー伯爵家の美人双子姉妹が寛いでいた。
姉のドルシアはスティファノスの婚約者、ならば妹のスタシアは付き添いといったところだろうか。ふたりはやってきた三人衆に目を丸くする――その中にメロディの姿を認めるとふたりの令嬢は視線を合わせ、次の瞬間、立ち上がった。ともに膝を曲げて辞儀をすると
「巡る天恵は不義の闘争は望まん、ティトラキリ座フラナリー伯爵が娘――」
「――姉のドルシアと申します」
「――妹のスタシアと申します」
顔を上げると、声を合わせて「お見知りおきいただけますと幸いです」と笑みを浮かべてみせた。続いて、メロディも膝を曲げた辞儀をしながら口上を述べる……令嬢としての作法か、伯爵としての作法か、どちらを用いるか迷ったが前者を選んだ。明確な理由は無いが、姉妹に合わせたかった。
「天秤を抱いて調和を誘う、ハルモニア座におりますヒストリア伯爵メロディと申します。ドルシア様、スタシア様、お会いできてうれしく思います」
続いて、スティファノスが左手を胸に当てて「清水を用いて天恵をもたらさん、エスフィルタ座カリス公爵が息子」と述べてコニーへ熱い視線を向ける。
「……長男のコンスタンティノスと申します」
「次男のスティファノスと申します!」
釈然としないらしい兄に「流れには乗るべきだよ」と弟は主張する。やはり、母似の弟には強く出られないのだろうか。メロディは小さく笑った。