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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
綻ぶトリレンマ
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家族のような

 柔らかな笑みを崩さないコニーの手を借りてメロディは降車した。得たい情報に手が届かない感覚は似ているものの、カリス公爵との舌戦とはまた異なるやりづらさがあった。未熟さも。改めて自覚した。


「おや、体調の次はご機嫌ですか?」


「……教えてくださってもよろしいでしょう?」


「調べてみるのも一興と言いますから」


 このまま拗ねていては子どもらしさに拍車がかかってしまう。メロディは気持ちを切り替えるように深く息を吸い、ゆっくりとすべて吐く。穏やかに「そうですのね」と返す、反面、帰宅次第すぐに友人らに頼んで一緒に考えてもらおうと決めた。

 エスコートされるままにカリス公邸に足を踏み入れた。王都に構える貴族邸らしく、淡い色合いの上品さに嘆息する。垣間見えるフラクタル構造を取り入れた見ごたえある繊細な意匠に引き込まれて歩く速さが緩む。コニーはそれに合わせるようにしながら邸宅を案内していく。


「まあ。ヒストリア嬢かしら」


 不意に呼びかけられ、廊下の先へ視線が引かれた。

 とある執筆者がかつてヘルミオネ・カリス公爵夫人を精霊の御降臨と表現すると容易に浸透した。それほど、たっぷりとした金髪を結い上げている女性は光輪を背にしているごとく容姿の持ち主である。


「天秤を抱き調和を誘うハルモニア座におりますのはヒストリア伯爵メロディでございます。ご無沙汰しておりました、カリス公爵夫人」


「ああ、ごめんなさいね。記憶の中では、あなたはまだ幼い少女だったものだから。気を悪くしたかしら、ヒストリア伯爵?」


「いえ、とんでもないことでございます。お会いできて嬉しく思いますわ」


 ゆっくりメロディたちに歩みより「大きくなりましたねぇ」爽やかな甘さのある声で感嘆し、表情を綻ばせる。コニーの表情が固まったのを気にせず、夫人はメロディの手を取った。


「今日は」


「母上」


 長くなるのを嫌ったコニーは母の言葉を遮って、表情だけで申し訳なさを見せた。「彼女を庭園へご案内したいのです。懐古の談笑はまたいずれかの機会に……」息子が少女を連れ去ろうとしたのを「まあ!」公爵夫人は大袈裟に驚いた。


「コニー? 貴方、まさかメロディをこの衣装のまま向かわせるつもりですか?」


「はい?」


「職務の衣装のままでは安らげる場でもくつろげないわ」


「庭園を軽く歩くだけですし、あまりお時間を取らせるのは」


「女性はあらゆるものを着飾って己の美しさを知るのよ? 多少の時間は致しかたないわ」


「伯爵閣下はもとより美しくあられます。御心配には及びませんよ」


 このままでは埒が明かないと悟った公爵夫人は息子から隣の少女へ標的を変えた。声色を変えて改めて「ヒストリア伯」と呼ぶ。


「さきほどまで馴染みの商会を呼んでファエドラとお茶をしていたの。彼女は帰り支度を進めているけれど、少し会うくらいならきっと問題ないわよ」


「本当ですかっ?」


「ええ、もちろんよ」


 メロディは申し訳なさそうにコニーを見上げた。春麗祭ではまともに話せなかったファエドラ・イードルレーテー公爵夫人――次男アレクシオスとの婚約成立から、家族を亡くして間もないメロディへ実娘のように愛情を注いでくれた。もはや思わぬ婚約解消によって切れる縁ではない。

 なおかつ、仕方なさそうに目を細めるこの男、弟と同年代の少女によるおねだりを冷たくあしらえる冷血漢ではない。


「ほら、貴方も身だしなみをどうにかしてきなさいな」


 少女のように得意げな笑みを浮かべて息子に言いつけた。

 夫人が軽やかな足取りでメロディを連れ去った先は、衣装室だった。しかし夫人は「彼女に伝えてくるわね」と、すぐにどこかへ行ってしまった。


 カリス公爵家の侍女たちに手伝われ、制服から澄んだ薄紫のドレスへ着替えたのに合わせて高い位置でひとつにまとめていた銀髪を下した。軽く櫛をとおした侍女の提案を採用して、銀髪を結っていたリボンを、うなじ付近から耳の後ろへ回して左側頭部で花結びをした。宝飾品を断ると、ちょうど夫人付きが呼びに来た。


 案内されたのは、夫人の私的な応接室らしく、カリス公爵邸内の一貫した幾何学的装飾とは趣が異なっている。曲線によって草花の隆盛が表現された滔々たる内装だ。

 他方、メロディの関心は室内のひとりの人物へ向けられていた。


 ファエドラ・イードルレーテー公爵夫人は、紺碧を基調としたドレスを身にまとい波打つ亜麻色の髪を緩くまとめた姿――よくイードルレーテー公爵家へ赴いたときに迎え入れてくれた彼女の姿と変わらなかった。

 他に誰も居合わせていなかったら幼子が母へ駆けよるように、メロディもそうしていたかもしれない。微笑むと、宙へ手を差し伸べる。メロディはその手めがけて歩みよりソファーの隣に向かい合って腰かけた。「苦労を掛けましたね」労わるように告げるが、続く言葉が見つからず寂しそうに口をつぐんだ。


「とんでもございません。それよりも、茶葉をくださいましたでしょう? 今朝、おいしくいただきました。ありがとうございます」


「ふふっ、悩んだ甲斐がありました。しかし、やはり体調を崩しましたのね?」


「以前より回復はずっと早く」


「そういう問題ではありません」


 メロディの言葉を遮ると、表情を曇らせる。両手でメロディの左手を包みこんだ。


「アレクのこともありましたでしょう? 春麗祭では機会がありませんでしたからこの場で失礼しますね。母として、大変申し訳なく思います。メロディ、本当に悪いことをしました」


「彼から何か……?」


「いいえ、何も。あの子は言わないと決めたら父相手でも貫きますからね。ですから、あの日、貴女が何を告げられたのか知りませんの」


「そうなのですね。でしたら、わたくしも内容についてはお伝えいたしかねます。婚約解消の責任はわたくしにもありますから仕方のないことだったのだと思います。あの日のことで言えることがあるとしましたら、彼は終始、誠実でいらっしゃいました。わたくしが前を向けるよう心を配ってくださったのです。感謝すれど謝罪を求める理由にはなりません」


 この答えを予期していたのか、ファエドラは口角をわずかに上げて眦を下げた。何も言わずに華奢な少女をそっと抱き寄せて優しく銀髪を撫でた。温もりを享受しようと、ゆっくり目を閉じて体を預けた。

 しばらく静謐の中で心地よさに包まれていた。解けるのは名残惜しかったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。メロディは体を離した。ふと視線を上げるとファエドラの瞳と交わった。どちらからともなく顔を綻ばせる――小さく声を上げて笑いあった。


「機会がありましたら、またご一緒してもよろしいですか?」


「もちろんです、ヘルミオネが許してくれるのなら」


 視線を友人へ向けながら軽く首をかしげて「ね?」と意思を確かめようとする。カリス公爵夫人は「お好きにしなさいな」視線を逸らして何でもないことのように告げた。その様子がなんとなくウラニア王妃に通じるものがある気がしてメロディは嬉しくなった。それを指摘するのはさすがにはしたないと自嘲して、代わりに新たに義理の母になるだろう女性に親近感を抱くことにした。

 間もなく、用意を整えたコニーが応接室へ姿を見せた。なるほど、並ぶとなおさら母と息子の趣味嗜好が近いとわかりやすい。鮮やかよりも穏やかな色が、簡素よりも繊細な意匠が気に入っているらしい。


「そちらの御召し物、お似合いですね。まるで春の芽吹きを受けて綻んだ」


「ふたりきりになってからにしなさい」


 コニーは「叱られてしまいました」と肩をすくめると、メロディに手を差し伸べた。

 今となっては初対面のころとはかなり印象に乖離がある。認識を修正せねばならないことを再確認しつつ手を重ねた。

 退室する直前、首から上だけで振り向くと、ファエドラとヘルミオネは小さく手を振ってくれた。メロディは微笑みを残して、コニーの案内に任せた。

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