春1番の贈りもの
メロディは、かわいらしく包装された箱をシリルに差し出した。
〝Με εκτίμηση
Δισμασ Σιρυλε(親愛なるディスマス・シリルに贈る)〟
リボンに挟まれた紙片にはそのように流麗な文字が綴られていた。
「シリル卿、こちらを細君へ贈ります。名前はあなただけれど気にしないで。気に入ってもらえると嬉しい」
「ありがとうございます。それでは、家に細君と娘が待っていますので」
「ええ。ご苦労さま。また明日」
「はい、失礼いたします」
家庭第一な愛妻家をさっさと解放した。贈ったのはポプリと香油――いかにも女性が好むものを選んだのは、シリルが欲しいのは自分への贈りものなどではなく、妻子が喜ぶ笑顔だからである。
〝Με εκτίμηση
λεβάν Στρατός(親愛なるレヴァン・ストラトスに贈る)〟
〝Με εκτίμηση
Αίνείας Τήρκούρι(親愛なるアエネアス・ティルクーリに贈る)〟
〝Με εκτίμηση
Νερο Ζαφιλιου(親愛なるネロ・ツァフィリオに贈る)〟
宛名に誤りが無いのを確認しながら「こちらがストラトス、これはティルクーリ、これがツァフィリオね」それぞれに手渡していく。新任たちには万年筆を用意した。以前どこかで王城勤務において初めて贈られるものとして万年筆が適していると聞いたからだった。
加えて、ツァフィリオには1輪の花を差し出した。困惑する彼に補足する。
「先日の事件解決祝いよ。あの事件は初めてあなたが担当した広域案件だったでしょう? それから……言葉が足りなくてごめんなさい。あなたの正義感を否定する意図はなかったの。ただ、向けるべき相手が違うと思ったから」
「はいっ? あの、いえ、いいえ、閣下、存じ上げております。もちろん、反省もしております」
「本当? 良かった。これからもあなたの意志をなくさないでほしい」
メロディは安堵して頬が緩む。美少女の笑みにツァフィリオは頭部に熱が集まるのを感じた。察知してかなんとなくか、「なるほど、それで国花のひとつをお選びになったのですか」からかうようにローガニスが茶々をいれなければいたたまれない空気が流れたかもしれない。
「夜にしか咲かないけれど、円環状に花弁を見せてくれるから。それに、きれいでしょう?」
「ええ、そうですね。さすがですね」
「どうしてそういう言いかたしかできないの」
「えー、言いがかりですってーぇ。ところで、こちらは私宛ですかね?」
「最近、眉根を顰めていることが多いから。甘いものは好きでしょう? こちらはそれに合う茶葉よ」
よく人を見ている少女だと苦笑しながら、ローガニスは添えられていた紙片に指先を触れさせた。
〝Με εκτίμηση
Βίων Λογάνης(親愛なるビオン・ローガニスに贈る)〟
「おや、これは閣下の字ですか」
「ええ。せっかくだもの」
「私の名前、ご存じだったんですね」
「もう2年以上のつきあいなのよ?」
「いやぁ、嬉しく思います」
相変わらずローガニスはからかうように笑っていた。直後、ノックが聞こえてきた。扉を開けて顔を見せたのは、コンスタンティノス・カリスだ。軍帽を外してはっきりと通る声で名乗ると、珍しい来客はその場のすべての視線を集めた。その中でメロディの姿を認めると、彼は優しく目を細めた。
「お疲れさまです、閣下。お迎えに上がりました」
「ええ。ありがとうございます。すみません、お約束をしていましたでしょうか?」
「約束はありませんでしたが、少しでも構わないので一緒にいられたら、と。そのように愚考いたしました。貴女に会えない日が続いておりましたので、ついに辛抱が限界に達してしまったのです。終業まもなくご帰宅されると風に聞いていたので急いだ次第ですが、ご迷惑でしたか?」
「……いえっ、そのようなことはございません」
「本当ですか、ミリィ! 嬉しく思います」
「はい、あの、すでに荷物はまとめてありま、すの、で」
執務室へ鞄を取りに戻ろうとすると、ローガニスは鞄を差し出していた。礼を受けとりつつ、贈りものを掲げて「有り難く頂戴しますね」とメロディの隣を通り過ぎて新任たちに帰りの支度を促す。
メロディは振り向いて「お早かったですね」と話を振ってみた。
「お恥ずかしながら、それほどあなたに会いたくて仕方なかったのです」
少々恥じらうように視線を逸らし、流し目でちらりとメロディに「すみません」と、微笑んで見せる。
どうしてか、メロディまで恥ずかしくなってきて顔に熱が集まってくるのがわかった。いたたまれなくなり自分の制服の腹部あたりを見つめた。
その様子に目が離せなくなり凝視しているティルクーリとツァフィリオの頭をストラトスが軽く叩いた。ローガニスが「すみませんねぇ、教育がなっておりませんもので」謝罪を伝えると彼は苦笑を返した。
「こちらこそ、ここで告げる言葉ではありませんでしたね。白百合が赤く染まってしまわれました」
メロディは視線で諫める。しかし、彼はどこ吹く風なのか、楽しげに謝罪を言葉にするだけだった。
ふたりは生暖かい視線を受けて暇を告げる。廊下ですれ違う人々の視線が刺さってくるがどうにか気にしないふりを続けるので精いっぱいだった。
送迎に来ていたミハエルに予定変更の旨と改めてカリス邸への迎えに来るよう伝えると、先導を受けてカリス家の車両に乗り込んだ。ゆっくり前進する景色を横目に、ようやくひと息ついた。
「ご体調を崩されていたと伺いましたが,もうよろしいのですか?」
「ええ。十分休みました。もう問題ありません」
「申し訳ございません。春麗祭当日はうまく立ち回れると過信しておりましたが、どうやら気もそぞろだったようです」
「いえ、そのようなことは……! カリス卿の」
「え?」
「はい?」
「ん?」
「……」
言わんとしていることを理解したメロディは視線を逸らした。職務室で許して間もない愛称と呼ばれたため、予想はすぐについたのだ。
他方、おそらく呼ばねば話は先に進まない。意を決して大きく息を吸いこんだ。
「……コニー、の、責任……では、ありません」
「ありがとうございます、あの時間が夢でないことを確かめられて嬉しく思います」
気障な言葉で翻弄され慣れていないメロディとしては、どうしても気恥ずかしさが先立ってしまう。いつか慣れる日がくると願うばかりだ。
「そういえば、ちょうど室員たちに贈りものをされていらっしゃいましたね」
コニーは鞄から包装された箱を取りだした。光沢のある藍色のリボンが六花を象っているようだった。
〝φιλιά
Μελωδίε Ηιστορία(メロディ・ヒストリアに愛をこめて)〟
綴られた文字には、タイプライターのアルファベットを少し細くして欠損やかすれなどが丁寧に修正されているかのような、明確な癖や特徴がまったく見られなかった。いや、それこそが特徴といえるだろうか。
メロディも思い出したように鞄から箱を取りだした。晴天の蒼穹ごとくリボンが掛けられている。
〝φιλιά
Κωνσταντίνος χαρής(コンスタンティノス・カリスに愛をこめて)〟
問題ない、宛先に誤りはない。確認してから隣に座るコニーに差し出した。
実は、元婚約者のアレクシオス・イードルレーテー以外の男性へ初めてφιλιά(愛をこめて)という言葉を贈るのがなんとなく気恥ずかしかったのは秘密である。
「開けても?」
「ええ、どうぞ。わたくしもよろしいですか?」
「もちろん」
ふたりそろって互いからの贈りもののリボンを解いた。
それぞれの箱から姿を現したのはネクタイピンとネックレス――いずれもよくある異性へむけた贈りものだ。
メロディの目を引いたのはネックレストップの宝石だった。
「こちらは……」
「琥珀ですよ。その色から太陽の雫と言われることもありますが、海を漂うものという意味を持ちます」
「海ですか? 琥珀は遥か昔の樹液が固まったものだと聞いたことがあるのですが……」
「カリス領の海辺で採取されやすいんですよ。どこかからか流れ着きやすい場所のようです」
よく見ると、蜂蜜色にいくつかの花びらが包まれていた。どうやら母が遺した〝魔女の祈り〟に似て非なるものらしい。
「装飾品には疎くて……素敵なものをありがとうございます、コニー」
「こちらこそありがとうございます。これは蒼玉ですよね?」
「ええ。第一王子殿下の腹心でいらっしゃいますし、卿の瞳のお色とも合いますでしょう?」
「おや、それだけですか?」
「いえ。古くからお守りとされて、〝福音の舞〟の衣装装飾にも用いられていますので、贈りものに適していると思いました」
真面目な返答に対して、コニーは口角を上げるだけだった。その後いくらメロディが首をかしげてみせても、聞き出そうとしても、邸宅に到着するまで車内ではのらりくらりと明言を躱され続けた。