新たな協力者
休暇明け、法務省情報官メロディ・ヒストリア伯爵のほれぼれするその冷徹さは健在だ。
どのような相手であろうと物怖じせず凛と向き合う姿は、まさに〝氷柱の白百合〟である。
「そーんな守り固くしますかぁ?」
「生きている被害者だからですよ」
「しかしねぇ、何も無いったぁことぁないでしょう?ねえ?」
「何もありません」
「いやぁ、無理ですって! 男爵夫人の証言が変わってから犯人逮捕されたんですから」
「時機が重なったに過ぎません。畢竟、捜査員の努力が実を結んだのです。事件担当の班長に話を聞いたらいかがでしょう?」
「伺いましたよ。半ばころ、急な捜査方針の転換があったとか」
「聡明な班長の英断ですね。同じく犯罪に対抗する者として誇らしく思います」
「ちょいちょいちょーい? 情報官殿、同時期あなたも捜査本部に出入りされてたでしょ?」
「ええ。定期視察の一環です」
「ちょこーっとくらいその内容を」
「情報漏洩防止誓約書に署名をくださるなら」
「無理ですよ、失業したくないんでね」
「まあ、残念です」
無言のなか、視線だけが緘黙を否定する。
そもそも出頭要請はティルクーリの友人であるエイトスという青年だけだった。にもかかわらず、このリュシュリュー記者は厚顔無恥にも「こちらが閣下直々にお待ちかねのエイトスです。どうぞいじめないでやってくださいねー」などと言いながら、隣に座らせた青年の濃褐色の癖毛を大きな手で乱しながら笑った。お目付け役は登城するための大義名分でしかない。監視されるべき者が監視役を名乗るなど力不足甚だしい。
このままでは、エイトスへの協力要請に関する説明と契約が滞る。しかたなくこの友人を”φ”で話題にあげたティルクーリに任せることにした。わからないことがあればローガニス補佐官に聞くように言いつけたので、職務室に併設された面接室では、もう幾度目かの舌戦が繰り広げられていた。
「3の月から4の月にかけて発生した連続婦女暴行殺害事件、犯人が逮捕されましたね。動機については?」
「犯行は、犯人自身の生活に則したときに都合が良かっただけです。特定人物に対して悪意を持っていたか否か、それが今回の事件と関わっているのか、その他については目下、裏付けを進めています。なお、一連の事件における被害者の特徴が一致していますから、怨恨が他者へ向いたか、本能的な快楽ではないかと考えております――あら、すでに公表されている情報でしたか?」
「ええ、見事なまでにまったく同じ文言ですねー」
降参だとリュシュリューは両手を上げてみせた。相手が何も言わないので、「ほんと、ほんとに。部下にも探らせませんって」と言い繕う。自分の3分の1の年齢の小娘相手に下手に出過ぎだと笑ってくる同業者もいるが、それはメロディ・ヒストリアを多少なりとも見くびっているためだと王妃付きのころから彼女を知るリュシュリューは考えている。ただ、年齢相応の甘さにつけいる隙があるとも知っている。
「それよりもご体調は?」
「はい?」
「もう警戒しないでほしいなぁ。深窓の御令嬢よろしく何してるんですかー? っつー、それだけですって。昨日までまるまる休まれちゃあこっちの商売だって上がったりなんですよ」
「場を弁えてください」
「弁えてるからこそですよ! 公子が伯爵を捨てて王女殿下に靡くなんて、それこそ当事者の言葉が無ければ何も書けません。あーあ、我々〝風〟を見くびらないでほしいなぁ。四方山話と同じレベルの内容を記事にする記者なんて、世話無いですよ」
「記事には誠実ですね」
「真実は新聞の命だっつってんでしょ」
「でしたら、あなたの職務を全うされてはいかがです?」
「どーっすかね。閣下が抱える真実のほうが興味ありますよ。遺憾なことに鮮度が良くなかろうとも、ね?」
「社交において女性は秘密を着飾るのですよ?」
「構うもんですか、我俺の仲っすよ? あんた様が急に大人びて見えるわけないでしょ」
「あら。もう16歳になりますのに」
「おっと、あと2か月もある」
「デビュタントはとうに済ませました」
「15なんてガキですよ、ガキ。18になってから自慢してくださいな、良い記事書いてやりますから」
「ええ、楽しみにしていますね」
「てなわけでぇ、楽しめるように早いうちから慣れておいたほうがいいと思うんですよねー?」
「忍耐に欠けると仕事に響くのでは?」
「ご生憎様ですね! 俺は現場のトップ張ってますし、現状の立場には満足してますよ」
「現状維持は緩やかな衰退とも言います」
「もちろん、満足しているのは立場に、ですから。聞きたいこと知りたいことは尽きることなどありません」
「記者とは己の好奇心に平伏した者……でしたか?」
「さすが王国犯罪捜査における類稀なる頭脳、博識でいらっしゃる!」
その言葉を待っていたように、メロディは口元に笑みを浮かべてみせた。冷たい視線をリュシュリュー記者へ向けながら「ならば承知しているだろう?」最後通牒のような響きだった。
「あぁっ、もちろん! わかりましたよ、〝白百合〟殿ぉ」
「あるいは退屈であればシリルを」
「結構です、お構いなく!!」
天敵を呼ばれてはさすがの記者殿も敵わないらしい。直後、扉をたたく音が響いた。入室を許可すると、「お呼びになられたように気がしたのですが」シリルが顔を見せた。すかさず記者は「きっと気のせいですよー」と追い返さんとする。
視線で退室を求められたメロディは中座した。職務室で、ティルクーリと目が合った。勢いよく部下とその友人が立ち上がったので、すぐに駆け寄った。
「こちらが協力に関する誓約書です」
ティルクーリが書類を差しだした。メロディは1枚目の同意の旨に安心して受け取りながら隣のエイトスに視線を向けた。
「ご協力ありがとうございます。詳細はご理解されていますか?」
「は、はい。アエネ……ティルクーリから聞いた内容でしたら」
「収集願いたい物語については?」
「把握しました、あの、これは必ず私個人で進めるべきでしょうか」
「やりやすいようにお願いします。ただ、ああいったおせっかいな者に助力を求めるのはお控えください。書類が増えるだけで何も利はありません」
「すみません! 僕が至らないばかりに」
「彼が勝手に聞きつけて勝手についてきたのでしょう。ああ、そうか。我々が出向こうか? そのほうが対外的に」
「いいえ!! 情報官殿の美しさが過ぎるので、我々の職場では過剰に視線を集めてしまわないか気が気ではないと申し上げましょうか、いえ、人が美しいものに視線を奪われるのはごく自然な、そうです、すべてはエワンゲリウムに帰す。故にすべては理に従うそれほど当然のことなのですけれども、そうなりますとどうしても」
「落ち着けバカ」
ティルクーリが平手で後頭部を軽くはたくとはっとしたエイトスは押し黙った。メロディが「えわんげ、りぃむ……?」聞きなれない言葉をそのまま繰り返すと、できる部下は「アトランティア語でいう”永遠の真理”の意です」と解説した。何の気なしにメロディは「彼とは学生時代に?」部下に尋ねた。
「は、い。エイトスとは学術院の同期で、技術工学カルディアで親しくなりました」
「工学部の知識が物語に活かせるのか」
「あー、はい。本来は〝初風〟なので、おそらく」
意味を図りかねたメロディが首をかしげると、ティルクーリは意見を求めるように友人へ視線を投げた。
「情報としての文字を扱うのは同じなので、情報収集の手段は持っておくべきだと言われて、それで……えーっと、あの、アエラース商会所属トゥーリ出版には運営を支える2部門のほか、〝疾風に聞け〟〝初風の色彩〟〝花嵐が香る〟の3部門で雑誌や書籍、新聞の記事を作成します」
「あなたは、〝初風〟だから」
「学術研究などの文章を。大陸学術機関に発表された国内外の論文や、”6将星”関連の調査だったり最近でしたら”天才アーニィ”特集だったり、そういったことをしております」
メロディの言葉をエイトスが引き継いだ。ふとメロディが疑問を呈する。
「なぜ〝疾風に聞け〟の」
「なんでも、勉強のための出向だそうで、今は直属の部下です。ほら、自分は王国屈指の記者ですから!」
いつのまにか背後にいたリュシュリューは爛漫に言った。
「今は〝疾風〟の筆頭ですから、国内外の情報を取り扱います。仲良くしてもらってたのは〝花嵐〟ですね」
視線が猜疑を含むと、彼は「恩は売れるときに売っといたほうがいいんですよー」と快活に笑ってみせた。
「お天道様があれば灯籠は不要でしょう?」
「新月の夜には不可欠です」
「道は北極星に聞けば良い」
「足元が不安定だったら、どうします?」
「無理に進む必要は無い」
「現状維持は緩やかな衰退では?」
「休息を衰退とお呼びに?」
「休み過ぎては感覚が鈍るでしょ。つい数日前に寝込んだ貴女には理解しやすいと思いますよ?」
メロディが閉口すると記者は勢いづいた。ニヤニヤしながら「おやおやぁ?」と押し黙った少女の顔をのぞき込もうとする。それを遮ったのは
「うちの白百合をいじめないでやってもらえますかね、ベンのおやっさん」
シリルがリュシュリュー記者の背後から肩に腕を預けながら言った。直後、終業の鐘が鳴り響く。
「それとも、私の帰宅を遅らせてくださるおつもりで?」
「嫁さんと娘さんは?」
「言うまでもない。ガラテアは相変わらず精霊をその身に宿しているし、マヤは妖精に寵愛されているごとくその才覚と愛おしさを発揮している。つい先日もあの子は」
「はいはい、一家みなさま変わらずお元気そうで何より。エイトス、行くぞ」
リュシュリューはシリルの腕を振り払い、代わりに新人の首に腕を回して拉致するごとく背を向けて歩き出す。
「え? あ、しかし」
「ここにいらっしゃる皆さまは辞書に残業ってのが書かれていないのさ」
こうして記者たちは去っていった。他方、情報調査室の本日の仕事はこれで終わりだ。
メロディは珍しく帰宅の準備を進める室員たちを呼び止めた。まもなく、依頼していた城の使用人たちが職務室へ荷物を運び入れていく。
新任三人衆は顔を見合わせて困惑を隠せないが、男爵家の血筋であるローガニスや城に勤めて貴族と長く関わっているシリルは予想がついたらしい。
メロディはまず、桃色のリボンが掛けられたかわいらしい箱を手に取った。