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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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宝花と綻ぶ2輪

「本当に、それだけかしら」


 つい先ほど与えられてばかりいる事実にようやく自覚したメロディである。見落としを必死に探す。指摘される前に見つけたかった。このままでは何もかも教えてもらってばかりでは、自分を許せなくなりそうで怖かった。それに恐怖を感じていることに嫌気がさしながら、嬉しさに頬が緩み目を細めたことも、何とも言えない温かなくすぐったさも。大切なものになると、確信できたあの瞬間も、何もかもを思い出せる……感情を無視して必死に思考をかき回した。

 口を堅く結び、視線が彷徨う。そのメロディの様子を眺めていると、心当たりが無いと悟ってしまったらしい。シプリアナは何を悔恨しているのか「私は酷い女ね」ひとこと、吐き捨てた。

 メロディは、他方、シプリアナの言葉が聞こえて――何と答えればいいのか、応えて良いのか――思考は凪いだ。


「喉が渇いてしまったわ。お願いしても良い?」


「しかし」


「お願い」


 有無を言わせないお願いだった。聞き入れたアレクシオスは、ローテーブルにハンカチを残して、それ以上反論せず退室した。


 どうしてその未来に影を落とすことができるだろうか。

 求められているのは、肯定――ふたりが結ばれることに対する不快を望まれているのだろうと思い至った。しかし、メロディは望んでいない。


(おふたりは、真実の愛にたどりついた方々なのだから)


 改めてシプリアナを見つめなおす。空色のドレスは、彼女の瞳とよく合っており、デザインは薄紅のドレスとよく似ていた。精巧な刺繍は、澄んだ青とメロディと揃いの金だ。王妃の計らいは、昨年の春麗祭では終わらず、今日にまで及んでいたのだ。


「貴女の両親の人柄は存じているわ。心から娘を愛していたことも……それなのに、私は何の非もない貴女から幸せを取り上げてしまいました。ヒストリア家の存続にも関わる問題に発展するにもかかわらず、私は自らを優先させました」


「伯爵家については、カリス卿のご協力を受けられることになりました。ご心配には及びません」


「それは、あくまでも結果論でしょう。彼の協力がなければ、貴女は私を恨むことができたの?」


「……」


「もしかしたら、私の不幸を願うことができたのかしら」


「いえ、殿下、しかし、わたくしは」


「私の愛は、夫妻の思いを踏みにじったも同然。ええ、そうよね、貴女がアレクシオス様から破談を提案されて間もなく、人知れず涙を流していたのは亡き両親への……本当は、傷つかなくて良かったのにっ」


「ですから、それにつきましては」


「ふふっ……ええ、そうね。こんな醜い感情をこの胸に渦巻かせている私とは正反対。貴女の瞳は未来と希望を見つめている――ねえ、本当に私を憎んで恨んでいいのよ?」


「〝氷柱の白百合〟であれば、合理的な判断に基づいて殿下に負の感情をぶつけてしかるべきだということでしょうか?」


「……表現を変えましょう」


 ひと言――途端に、花が毒を含む。


「ヒストリア伯爵、あなたがアレクシオス様とのご婚約を破談にするきっかけ作った女に対して、疎ましさや怒りを感じるのは果たして道理に反しているのかしらね?」


 シプリアナがわずかに視線を落として目が合わなくなる。口調には意地悪さが滲む。

 メロディは、その瞳が、言葉が苦手だった。値踏みされるような、蔑まれているような……それでも、とうに向き合うことを決めた現実だった。いまさら躊躇するものではない。「どうか、そのようなことをおっしゃらないでください」さっきの自分の言葉を偽りにしたくないのは心からの願いだったのだから。心もとない自覚はあったが言わずにはいられなかった。


「ご存じでしょうけれど私は、非公開ではありますが、コンスタンティノス・カリス卿と婚約しておりました。卒業とともに婚姻の儀を執り行い、私は次期公爵に改めて指名される彼の下へ降嫁する予定でした……要するに、あなたはその後入りなのよ」


「王妃殿下のお心遣いの意図は遠からずでしょう。そのような由縁があって、殿下は妖精の祝福を受けるに至ったのですね?」


「そんなもののためにあなたは捨てられて。おめでたいわね」


「はい。なるようになると楽観視しておりますので。再び始めるために必要だったのなら受け入れてしかるべきだと認識しております」


「……あなたの心の内が知れないわ」


「わたくしの本質は城内の評判とは大きく乖離していますもの。もちろん、清廉潔白であろうと努めてはおりますけれど、どうにか取り繕うと必死なのです。ですから、進まなかった未来のことを考える余裕を持っておりません」


 何を言えばいいだろうか。あの日、アレクシオスもなかなか顔を上げてくれなかった……君らしいと思っただけ……問えば、そう返された。自分が普通の令嬢とやらではない自覚をしている。だからこそ、言えることがあるのだ。


「置かれた場所で枯れたふりして根を強く伸ばせば、別の場所できっと咲ける――殿下の御言葉があるからこそ、今のわたくしが在るのです」


 シプリアナは弾かれるように顔を上げた。メロディは腰を上げて、王女の隣へ移動する。顔を見るのが怖くて、向き合いはしなかった。しかし、そのほうが強く言葉を伝えられる気がした。


「母や父を、泣かずに思い出せるようになったのは紛れもなく殿下のお言葉がわたくしに空を見上げさせたからです。お会いする機会はほとんどなくなって、こうしてふたりきりになることもなくなってしまいましたけれど、それでも、いつでも、寂しさも悲しさも忘れず前へ進むための力に変える方法を教えてくださったのは他ならないあなたです。なぜわたくしがあなたを恨まねばならないのですか、なぜ不幸を願わねばならないのですか――どこに道理があるというのですか」


「……」


 無理やり引き出したために語気は想定よりも強くなった。それでも、伝えたい言葉は伝えられて満足した。メロディは前かがみになった体を戻しながら続ける。


「わたくしが祈るのは、シプリアナ様の幸多からん未来です。その隣が公子様であるのならば、嬉しく思います。彼のことは少なからず知っていますから、安心もできます。きっと、殿下の手を取り、素晴らい未、来へ、と……」


 気になって横目で確認したのがいけなかった。メロディの視線の先――シプリアナはまっすぐ目の前を見つめたまま、涙を流していたのだ。彼女の表情に何も言えなくなる。温度差には気づいていたが、ここまでだとは思っていなかった。どこからそうしていたのかメロディにはわからなかった。アレクシオスが残したハンカチをつかみ取って涙を拭おうとするが制された。拒絶された右手をくうに彷徨わせる。


「この心の内をどのように言葉に表せるでしょう」


 はっきりとした声色に安堵する暇もなく、シプリアナはそうつぶやくにしてははっきりした口調で告げた。体を向きごと変えるとするりと右手でメロディの左手を取り直し、その手の甲を額に当てる――敬愛を示す礼だ。本来、王族が臣下にするものではない。しかし、止めることができなかった。やがて顔を上げたシプリアナは、月光を背にしながら晴れ渡った表情をしていた。


「ありがとう。急にごめんなさい」


「いえ、何か気の利いた言葉があればよかったのですけれど……公子様に愛想をつかされるのも理解できますね。結局、今もこうして動揺して必死に言葉を、行動を探しています。ただ殿下の涙を止めて差し上げたいだけなのに、どうすればいいのか解らずにいるのです」


「無理もないわ。私もわからないもの。なぜこのような晴れやかな気持ちなのか――むしろ、私が詫びを差しだす立場なのにね」


「……でしたら、ひとつお願いを聞いていただけませんか?」


 目を丸くするシプリアナの涙をハンカチで拭いながらメロディは一瞬だけ視線を彷徨わせた。よく考えてみると、幼子のようで躊躇いが生まれたのだ。すると、シプリアナは


「母上から伺っているの――メロディ・ヒストリアは、日の光をその身に受けて朗らかに綻ぶ花のようだと」


「王妃殿下が、そのように?」


「ええ。社交界へ出る貴女の代母として名乗り出たのは、若き日、フィーニックス嬢の友人だったからだけではないのよ。恥じらう方だから、この話は秘密ね? さ、あなたの秘密のお願いを聞かせて?」


 シプリアナは柔らかく微笑んだ。勢いづいたメロディは身を乗り出して宣言する。


「わたくしは、証明したいのです。真実の愛が存在するのだと……!」


「真実の……」


「はい。公子はおっしゃいました、真実の愛を貫かせてほしいと。ですから、いえ、しかし、無理強いはいたしません。ただ、お恥ずかしながら、学園に通っていないわたくしには年の近い友人がほとんどおりません。ですから、親しくしていただけますと大変嬉しく思います」


「協力してほしいということ? 友人になってほしいということ?」


 要領を得ないメロディの主張からシプリアナは要点を抜き取った。さらに端的に頭に浮かんだ最初の要求は後者だけだったが誤魔化そうとした手前、はっきりと言葉にされたメロディはいたたまれない気持ちになった。頬を赤く染めあげてそっとシプリアナを見上げて「……両方というのは、わがままでしょうか?」素直にどちらか選べない旨を伝えた。


「ええ、そうね。会えない間も私だけあなたを友人と思っていたなんて受け入れられないわ。酷い要求ね」


「はい?」


「なので協力ならして差し上げます。それで良いかしら?」


 泣いた直後とは思えないシプリアナの笑みに、メロディは最大限の喜びと感謝を込めて「はい!」と返事をした。




 風が室内を吹き抜けた。メロディは自然と窓に切り取られた夜空に引き寄せられた。

 薄い雲間からのぞく満月は特有の存在感を魅せる。周囲の星々も主役を引き立てようと淡く瞬いているようだった。


「星空を見上げるのは、今も好きなの?」

「はい、晴れた夜空があれば」


 夜空を見上げたまま答えたが、シプリアナが隣まで歩み寄ってきたのはわかった。先ほどの涙はすっかり化粧直しで隠されていた。


「この暗闇のどこかに、太陽よりも強く輝いている星があるの」


 聞いたことがない話だった。メロディはシプリアナの横顔を見つめる。王女は夜空の、満月のその先を見つめているようだった。残念そうに「ここからでは見えないわ」と告げる。メロディは再び夜空を見上げた。


「季節が違いますか?」


「いいえ。あまりにも遠くにあるから、私たちの目には見えていないだけ」


 シプリアナは見上げたまま寂しそうに目を細めた。


「いまさら信じてほしいわけではないのだけれど……彼が私に接触したのは、もとは貴女のためだったのだと思う」


「公子様が、でしょうか」


「経緯も事情も明らかだからこそ、社交界での貴女はどうしても注目されてしまうの。良くも悪くも」


「重々承知しております」


「彼ひとりでは令嬢や貴婦人の声を操作するのが難しいから。舞台は専らお茶会ですもの、男性が関わる機会が少ない。それで、私に白羽の矢を立てたのよ。私は事情を聞いて協力を約束したわ。しばらく会っていないとはいえ、大切な友人のためにできることがあると知って嬉しくなって舞いあがったわ。あのときの私は、純粋に貴女の力になりたかっただけなはずなのに……」


「どのような経緯があれど、シプリアナ様は公子様を好いていらっしゃるのでしょう?わたくしはその事実を嬉しく思っています。本日こうして申し上げたのは紛れもなくわたくしの心の内そのものです」


「ええ。今ならわかる。あの言葉は紛れもなくあなたの真心でしたもの」


 伝わったことを、言葉にして返してもらえた。それがただ嬉しくてメロディは表情を綻ばせた。シプリアナの手を取り、控室を出る。

 もう疲労は消えた。ならば、宮殿の祭事に戻りたかった。

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