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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
32/135

ダンスと受け入れる余裕

 

 エミリオス・ハロ・セーラス第二王子がメロディ・ヒストリア伯爵の手を取ったとき、果たして何名が心の中で頭を抱えただろう。国王夫妻への謁見を控える若い子女たちは麗しいふたりに小さなため息をこぼし、他方、成人貴族たちはその大半が息を呑んで見守ることを選択した。のこりは音楽で話し声がごまかされるのを良いことに何かささやき合っていた。とくに、ウラニア王妃は白扇を開いて周囲からの視線を遮った。「ははは。珍しいな」隣でレオニダス国王が笑いかける。


「若い芽を摘みかねない愚行ですもの」


「本当に、そう思うのかい?」


「もう。子どもの喧嘩として静観するには時期を大きく逃しておりますわ」


 言うまでもない。ふたりの息子たち――ヘクトールとエミリオスの幼稚なやり取りについてである。ヘクトールが一方的にエミリオスの道を遮っているようにも見うけられるが、高い能力を用いてしていることといえば、やられたらやり返す、それだけなのだ。

 今年の誕生日で21歳と16歳になる息子たちの、王位継承権を有する我が子たちの未来が思いやられる。今宵の悩みはそれだけではないのだが……知ってか知らずか、レオニダスはただ穏やかな笑みを口元に浮かべたまま末息子のダンスを眺めていた。

 これだけの大舞台、弱冠16歳の男女が堂々と誇るべき技術を魅せている事実は満足だった。


「世界を変えるのはいつだって、頭のいい愛すべき愚者だろう?」


 レオニダスはウラニアへ視線だけを向けると、眦を細めてみせた。

 何も返す言葉は見つからなかった。やはりこの人には敵わないと、思い出しただけ――ウラニアは階下のホールへ視線を降ろす。一組の男女が広々と自由に踊っている。少女がリードに身を任せながら回転するとドレスが空気を含み薄紅の花が綻ぶ。

 友人の娘に、あらゆる障害をひらりと舞い遊ぶように乗り越えて追いつけない様子が、あの軽やかに舞う蝶のような姿が重なった。






 ダンスの中盤、曲調が柔らかく伸びやかな音が響くようになる。エミリオスが口を開いた。


「……身内がすまなかったな」


「はい、殿下、いいえ、どうぞお気になさらないでください。姉君がお幸せになられることを心よりお祈りします」


 何でもないこととしてメロディがただ答えるとエミリオスは視線を落とした。一瞬だけ青みがかった銀眼を彷徨わせると話題を変えた。


「其方は学園には通わないのだな?」


「はい。職務がありますゆえ」


「仕事は好きか?」


「はい。合う合わないがあると思いますが、適しているほうだと認識しております」


「そうか」


「殿下は、政に興味がおありなのですか?」


「どうだろうか……わからない。だが、支えられる人間になりたいと思っている」


「兄君を尊敬していらっしゃるのですね」


「ああ。だが、私にはあの人がわからない」


 エミリオスは自嘲気味に言った。表情もそれに引かれて晴れやかな舞台にはそぐわない。

 古狸相手に未熟な見栄を張って、部下や同僚を相手にすれば理知的に振る舞おうとして……強く見られようとしている自覚があるメロディとしては、わからないことを素直に認められる強さを羨ましく思った――幼さを捨てきれていない自分よりも、彼はずっと大人なのだろう。


「わからなくてもよろしいのです。わかろうとなさることが何より難しく、尊いことですから」


 直後、エミリオスの足さばきが疎かになった。すかさずメロディは補うように動くと、はっとしたエミリオスは謝罪を述べようとした。が、目の前の少女の緩やかな笑みに何も言えなくなった。しかたなく、ふたたび話題を変えた。


「今もそのような色が好きなのか?」


「そのような、とおっしゃいますと」


「薄紅の、その衣装はイーリオスティアの花のような色をしている」


「いえ、好きな色は特には……本日の衣装は王妃殿下とカリス卿のご厚意です」


「カリスだと?」


「はい。髪飾りは彼が用意してくださいました」


 しばらくメロディの銀髪を纏めている真紅のリボンを睨むように見つめていると「卿のセンスには脱帽する。だが……」何か覚悟を決めたらしい。エミリオスはまっすぐメロディを見つめた。


「いつか、其方にドレスやアクセサリーを贈るのは私でありたい。良いか?」


 曲が終わり、メロディの問いは拍手に区切られた。他方、エミリオスは社交用の笑みを浮かべると途端に言葉を変える。


「よいひとときを、ありがとう」


「はい、殿下。ご一緒させていただけて光栄でございます」


 尋ねなおす機会を失ったメロディは鏡のように笑みを返しながらエミリオスの言葉の意味を考える。しかし、すれ違うようにして現れたカリス卿に手を取られながら混乱するだけだった。


「可憐なダンスだったね」


「え、ええ。ありがとうございます」


「どうかしたのかい?」


「いえ、問題ございません」


「でしたら」


 一瞬だけ歩調を速めてメロディの目の前に躍り出ると深海の瞳を細めて軽く膝を曲げてみせた。


「麗しき白百合殿。どうぞ私に,ともに踊る光栄をいただけますか?」


 芝居がかった仕草や言葉が妙に様になっているのがおかしくて「ええ。喜んで」メロディは考えるのをやめて微笑んだ。

 中央から離れて少し端に移動する。流れ始めた2曲目は軽快な曲調であると同時に難易度が高いと有名な選曲だった。


「足取りが軽いようですね」


「好きな曲なので、つい」


「難しいステップだと有名ですよ?」


「ゆえに明るく軽やかで気まぐれな、『悪戯な旋律の舞曲』と名づけられたのです」


 母の気を引こうと父が必死に練習していた曲のひとつだと周囲から聞いていたのに添うごとく、幼いころは本邸のダンスホールでよく両親の踊りを見ていた。10年近く記憶の中にだけある光景だが、鮮明な映像のように思い出せた。いつしか見ているだけでなく自分で踊りたい筆頭曲となり、アレクシオスに練習相手を頼んだことも少なくない。あっという間に上達する彼に嫉妬したのも懐かしい。嫉妬は負の感情ではあるが、使いかた次第では結果が伴うものである。


(……そうね。わたくしは彼にもらってばかりだわ)


 そのとき、時間がゆっくり流れる感覚に陥る――ようやく腑に落ちた。

 幼いメロディが兄のように慕い勉強も剣術も目標としたアレクシオスは、彼女を応援するだけでなく支援し続けた。今、ヒストリア伯爵として誇り高く職務に邁進できているのは、アレクシオスの影響の大きさは議論するまでもない。


(そのような恩人に対して、わたくしは何ができたの? ええ、そうよ、最低限の交流と心変わりに伴う婚約解消の承知だけ)


「閣下?」


「っ――?!」


 あまりにも思考に夢中になっていた。機転を利かせたカリス卿が支えていなければ目も当てられなかっただろう。

 先ほどのエミリオスも何か考えごとをしていたのだろうか……メロディが謝罪と礼を伝えると


「ご気分が悪いのですか?」


「いいえ、考えていることにおそらく答えが見つかったのです」


「答えですか?」


「はい。正しいかまだわかりませんが、おそらくは」


「やはり赤い糸は唐突に見つかるようですね」


「はい?」


「名案が浮かばれたのでしょう? 閣下を悩ませるほどの難題が氷解する鍵が」


「それを、赤い糸というのですか? 運命の糸ではなく?」


 メロディが疑問を呈すると、ふたたび、曲が終わりを迎える。カリス卿は「2曲連続ではお疲れでしょう」と尋ねた。


「無理はしないほうが良い。少し休みましょう」


「……わかりました」


 ふたりは連れ立って華やぐ宮殿を後にすると控室へ向かった。

 その足取りで、カリス卿は「専門家ではありませんからどうぞ参考までに」と前置きしてから教鞭をとった。


「大迷宮に挑む前に近くで赤い糸の端をみつけた英雄はそれを自分の左足首へ結び、大迷宮を脱出する際、入り口から垂らし続けていた赤い糸をさかのぼって生還したという話がありますよね?」


「大迷宮というと、【(クローヌ)】ですか?」


 カリス卿はメロディが優先して入室できるよう気遣った。

 開かれた控室の明かりは、廊下よりずっと明るい。暗い迷宮から出られた英雄のような気分で控室へ足を踏み入れる。豪華な調度品が並べられ、体を休める目的が主だった印象だ。


「それまで生還者のいなかった迷宮から英雄が戻ってこれたのは赤い糸のおかげ……そこから、難題を解決する鍵のことを差します。他方、大迷宮生還後の話は【(ウラヌー)】で語られ、その赤い糸の先で〝星の乙女〟と出会います。そこから、運命の糸と呼ばれますよね。同一のものですが、場所と状況が異なれば呼びかたも異なるのでしょう」


 促されるままにソファーに腰を下ろした。激務に慣れていると思っていた。が、机仕事と社交とでは疲労の種類が異なる。体はずっと正直だった。

 髪型が崩れないようにソファーの背に気をつけて天上を見上げると、真っ白だった。自然と笑みが零れた。

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