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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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微睡みの中で

 終業の鐘を合図に、メロディは職務室に顔を出した。

 室員たちはみな帰り支度に取り掛かっていたり退室するところだったり、普段から原則残業禁止が徹底されていると見て取れる。


 そのなかでひとり、ローガニス卿はかわいらしく装飾された筒を右目にあてがっていた。筒のもう一方には書類が乗せられていた。メロディはそっと近寄って「何が見えるの?」と尋ねた。彼は「いやぁ、何も」あくびをかみ殺すような声色で答えながら状態を起こした。


「どうしようかと考えているだけですよ。万華鏡(カレイドスコープ)ってご存じですか?」


「ええ。最近、〝アーニィ〟が製作した道具でしょう? 学術的証明のために必要なものだと聞いているけれど」


「あー、相変わらずっすね。城下ではその名前のとおりきれいなものが見えるってことで贈りものにぴったりだと流行ってんですよ。簡単に自作できるってのを見かけたんで、ひとまず外枠だけでも組み立ててみたんです」


 メロディは渡された筒を、促されるまま上を向いて持ちあげると「左目を隠して、右目で覗いてください」言われたとおりに筒内を覗き込んだ。


「……なんだか天井を近くで見ているようだわ」


「そりゃあ、まだ模様を入れていませんからね」


 筒内の白い景色に期待どおりではなかったと不満をこぼすメロディに対して、ローガニス卿は苦笑する。続いて制服から外した徽章を、筒と天井の間にかざしてみせた。

 すると、メロディの視界に銀色の花が咲く。一瞬だけ驚いたが、散らばった光はきれいなものだとすぐにわかって見つめた。


「娘さんにさしあげるの?」


「ええ、まあ」


「素敵な贈りものね」


「そうしたいからこそ、こうして頭を悩まされているわけですよ。たくさん入れればいいってものじゃないらしいんでねー」


 悩ましげに机上の細かなガラス球やカラフルな紙片が入れられた円形の容器を軽く指ではじいて見せた。どうやら、それを筒の一端に装着して視界を彩るらしい。

 ふとメロディの中に疑問が生じる。


「あなた、いつ仕事をしているの?」


「休憩の合間に」


 ローガニスは悪びれる様子もなく、へらりと笑って見せる。王城勤務の文官の態度としていかがなものかと俎上に乗せられそうなものだが、一緒に仕事をする中では不備や苦情を聞かされたことがない。この補佐官は非常に優秀らしかった。


「冗談ですって。職務には紳士ですよ、俺。で、閣下はどうされたんです?」


「シリル卿はもういないみたいね」


「あいつでしたらもう王城を出たころだと思いますけど。呼び戻しますか?」


「いいえ、明日で良いわ」


「不備でしたらこちらでフォローしますが」


「違うの。彼に聞きたいことがあっただけだから」


「じゃあ明日の職務前に閣下の執務室へ行かせますよ」


「わかったわ、ありがとう」


 直後のノックはメロディの帰宅の用意が整ったと伝えに来た使用人によるものだった。いつものように荷物を渡そうとすると、そこへローガニス卿の手が伸ばされて鞄を取りあげた。訝しげに見上げても何も読み取れない笑みを返されるだけだった。

 勝手に使用人に礼を告げると職務室の扉を開けて待っている。小首をかしげて踏みとどまっているメロディを促す。


「文句があるなら聞くわ」


「まさか! 法務省情報官は無能では務まりません」


「あら、厳しいお言葉ですこと」


 不満をにじませてつぶやいたメロディは諦めて補佐官の横を通過した。

 しばらく何も言葉なく廊下を進む。切り出したのはメロディだった。


「おもしろい話ではなさそうね」


「ご明察ですねぇ」


 軽快に笑って言いのける補佐官に抗議する視線を投げる。「残念、御天道様は見てるものですよ」表情と口調を切り替えると、足を止めた。赤褐色の瞳が銀髪の少女を見据える。


「休憩時間に婚約者殿と何かありました?」


 ふり向いて、何でもないことのように「何があったと思う?」紫水晶がまっすぐ見つめ返す。瞬きさえ忘れた沈黙が流れる。


「……はいはい、魅力的な女性は秘密に守られていらっしゃいますよねー。野暮なことを聞きました。どうぞその広い御心をもってお許しいただけますと幸いでございまーす」


 先に折れたのはローガニス卿だった。メロディは「考えておくわ」と得意げに言ってみせると先へ進んだ。

 王城を出て空を仰ぐと日がすっかり傾き、空は淡く紫がかっていた。そこにはひとつだけ凛と星が輝いている。少し歩度を緩めるだけで手を空へ伸ばすのはやめた。

 視線を下ろした先では、執事が車の扉を開けた。


「お疲れさまでございます」


「ありがとう」


「そちらの彼は招待ですか?」


「いいえ。あなたに構ってほしいみたい。相手をして差し上げて」


「……かしこまりました。それでは、少々お時間頂戴いたします」


 メロディが車に乗り込むと、ローガニス卿は「それではヒストリア伯爵閣下、本日はお疲れさまでございました」と礼を尽くした。「ええ、ご苦労」と告げれば執事によって車のドアが閉じられる。

 微睡もうと目を閉じてまもなく、運転席に執事が乗り込んだ。


「もういいの」


「はい、閣下。そのようです。お待たせいたしました」


「ローガニス卿とは知り合いなのね」


「はい、学生時代の同窓です。その後の配属は重なりませんでしたが、交友は断っておりません」


「……やはり学生なのかしら」


 思わず声に漏らしてしまった。真実の愛の相手など、いまさら気にかけても仕方ない。「着いたら教えてちょうだい」と告げてそっと目を閉じる。

 糟糠の執事による快適な運転は、メロディを微睡ませた。

 透明の金属でトップチャームに加工された、美しい球体。

 中央部には靄がかった、何色とも断言できない物質。その周囲をいくつもの細い輪が包み込んでいる。窓から流れ込む日の光が、宝石のようにキラキラ輝く。


「魔女の祈り……?」


 聞こえた言葉をただ繰り返した。祈りとはよく言い得ており、それは幼い少女の瞳にも神秘的なものと映った。


「そう。とても昔からある、とても大切な鍵」


「どのようなものを開けるための鍵なのですか?」


 母の膝の上でネックレストップを見つめたり、ゆっくり揺らしてみたり。

 少女は全身いっぱいに抱いた興味で、数多の疑問を持て余していた。しかし、自分で言葉にするにはまだ難しかった。

 夫人は穏やかに微笑み、愛おしい娘の柔らかい髪に指を通す。くすぐったかったが、それが気持ちよかった。娘に全幅の信頼とともに体を預けられ、夫人は笑みを深める。鮮血にも深海にも寄らない紫を清水に一滴だけ垂らしてみたような瞳を、そっと、まっすぐ見つめる。

 首を傾げつつ、少女も母の陽光の瞳を見つめ返す。


「いい? しっかりと聞いてね、メル?」


 自分の言葉に何度も頷く娘に思わず目を細めると、優しく抱き寄せた。


「鍵はね、何かを守るためにあるの」


「守るため? 何を守るのですか?」


 曖昧な微笑みで濁されたが、少女は「わからないけれど、大切なのですね?」と質問を重ねた。


「ええ、そう。とても大切なことだから、しっかり覚えていてほしいの。約束してくれる?」


「はい、お母様! 約束しますわ!」


 無邪気に返事した娘と笑いあった、次の瞬間、夫人は激しくせき込み始めた。


「お母様っ!?」


「ごめんね、大丈夫だから……」


 心配だが、どうすることもできないと幼いながら理解する。少女は衰弱が進行している母の体に強くしがみついた。


 悲しい。

 怖い。

 悔しい。


 それでも泣かないことだけ決めて、強く強くしがみついた。すぐに駆けつけた夫人付きの使用人たちがすぐにハンカチや水差しを手際良く用意し、順次差し出していく。母の手から溢れた赤黒い液体が水に薄まり、モスリンのドレスに滲む。

 その様子を、幼い少女は見ていることしかできなかった。

 どうしてだろうか。

 その事実は、間違ったことにしか思えなかった。


「――下。閣下、いかがなさいましたか?」


「……。昔の夢を見ただけ。着いたのね」


「はい。お召し物をどうぞ」


「ありがとう」


 降車するとともに柔らかな小夜風に清水に光を溶かしたごとく髪を撫でられ、心地よさを覚えた。

 眠気眼で仰ぐ。夜空のキャンパスには星々とともに月が凛とないている。黄道では、ティトラキリ座の弧を描く5連星のうち3つが輝く。この半分の月が満月になるころには青白く輝く一等星ランプロスが目印であるエスフィルタ座が高く昇っているのだろう。

 メロディは北の空の端にある星座を見つけて、ようやく億劫な出来事が近いことを思い出した。決断は変わらないが、悩みの種が生まれたことに気がついてしまった。

 後悔しても遅いと割り切ったメロディは執事に告げる。


「食後に便箋とシーリングスタンプを用意して」


「はい、閣下。どちらへお送りするのでしょう?」


「王城とイードルレーテー公に。急ぎだから、今日中に」


 どこか不自然に思いつつ、執事は承知を告げて職務を優先した。

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