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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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伯爵と貴公子

 休憩時間を他と外してもらい、定期的に衛兵が巡回する合間を縫って指定された参謀室へたどりつくのは容易だった。

 王妃殿下より下命されたのか、カリス公爵は春麗祭の警備に関する情報共有を手短に済ませる。書面で済ませるわけにはいかないような重要用件も含まれており、万が一、第三者に何らかの疑いを持たれたときの言い訳や口止めには適していた。メロディは、こうも短期間のうちに必要な根回しを徹底する関係者には感心をこえて敬意さえ抱けると素直に思った。


「ヒストリア」


「はい」


「眠れているか?」


「はい、問題ございません」


「……」


「……。軍務と法務の連携について不手際がありましたか?」


「いや……言っておったろう、同様の認識だと」


 何に対する認識か、逡巡した。強面の公爵は言葉を選んだらしいが、時と場所が違えば脅迫ともとられかねない光景を作り上げている。メロディは表情をどうにか固定しつつ、何を指しているのか考えた。脳裏を過ぎったのは、


 ――まったく。あの神童と親しいとばかり


 ――ええ。わたくしも同様の認識でございます


 昨日、カリス公の執務室にて交わした言葉だった。

 あの言葉に偽りなど無い。

 メロディは、心穏やかに答えた.


「はい、確かに申し上げました。改めまして考えましたけれど、公子が巧妙に隠していたのか、わたくしがひどく鈍感だったのか、今も不仲だったとは自覚しておりません。とまれ、職務や感情のために睡眠時間を削るなど、生憎ではございますけれど、理解が及びません」


「そうか。ならば良い」


「御心遣いに感謝申し上げます。ところで、本日はこちらのお手紙のとおりでよろしいのでしょうか?」


「ああ、幸い、どうにかなる」


(何がどのように……教えてはくださらないでしょうけれど、まだ時間があるもの)


 メロディがカリス公とともに、社交の一環として、談義に伴う舌戦に興じているとノックが聞こえてきた。直後、扉が開けられた。入室したのは合理的の具現らしい軍務省の制服を帽子まできっちりと着用する青年だった。彼は軍帽を外す――まるで絵画から出てきたよう……それが、メロディが青年に抱いた第一印象だった。

 外部演習に参加しているのが疑わしく思えるほど白磁の肌には欠点ひとつない。他方、透けるような柔らかな黒髪を短く整えており、体格も服装も所作も軍人そのもの。ただ、なぜだろうか、線の細さは見えないが不自然な儚さのようなものが伺えた。


「失礼。急いだのですが、遅れましたか」


 仏頂面でひと言「遅い」と告げるカリス公に謝罪と苦笑を返す。公爵は表情を変えずに言葉を続けた。


「メロディ・ヒストリア伯爵、コンスタンティノス・カリス中佐。あとはふたりでやりなさい」


(もしかして――これで紹介を済ませたから、あとはふたりでやりなさい――という意味かしら)


 退室してしまったカリス公の背を見送りながら公爵は寡黙ではなく口不調法なのだろうかと考えた。

 他方、カリス卿はメロディを視界に収めるとまっすぐ歩み、少し離れた位置でぴたりとかかとを合わせた。


「改めまして、カリス中佐……」


 言葉を止めると、「失礼、仕事が抜けておらず」苦笑とともに軍人作法の敬礼を下ろした。

 軍務省に籍を置いていた時期のメロディは少尉、比較すればカリス卿のほうが階級は上だ。一方、公爵はメロディを伯爵として先に紹介した。

 こちら立ててくれるらしい――意図を察したメロディは社交用の流麗な礼を見せた。


「黄道12議席がひとつ、天秤を抱き調和を誘うハルモニア座におります、メロディ・ヒストリア伯爵でございます。法務省所属情報官として勤めております」


「軍務省国防局作戦本部所属コンスタンティノス・カリス中佐です。学園の武術院同期の縁で第一王子殿下の護衛を務めているので何度か閣下をお見かけしておりました。ご活躍につきましては、寡聞な私にも届いております」


「嬉しく思います、ありがとうございます」


 直接のかかわりは今までなかったが、メロディも護衛としてのカリス卿は城内や式典で何度か見かけたことがある。体格は第一王子と大きくは変わらない。カリス公爵には劣るが、平均以上のだろう。では、不自然な儚さはどこから来るのか――答えが見つかる前にカリス卿の「ひとまず座りましょうか」という言葉を受けてふたりは参謀室の緩やかな椅子にそれぞれ腰かけた。


「以前は公爵夫人のお茶会を楽しませていただいていましたが、最近はすっかりご無沙汰しております。どうぞ母君にもよろしくお伝えください」


「そうでしたか、きっと喜びます。今回のこと、父は……まあ、御覧のとおりではありますが、母は乗り気なのですよ」


 ふわりと――精霊の降臨と称されるような、笑みを絶やさない美しく優しい女性が頭に浮かんだ。

 ダクティーリオス王国の文化では、精霊や妖精は目にしてはいけない神聖で清らかな存在とされている。だからこそ、人々の想像の中では比類なき美しさを有する存在になり得る。


(ゆえに軍人である貴公子様が、花の妖精と春の妖精に祝福されると言われているのかしら)


「はい。両陛下にはお心遣いを賜りました」


 答え合わせができた感覚に、思わずメロディの口角は上がった。

 ひと段落ついたと判断したカリス卿は居住まいを正した。


「では……遅くなるといけないから、本題に入りましょうか」


「ええ、そうですね」


「この場をおかりして、閣下にひとつご提案差し上げたく思います」


 ご提案、と聞いたメロディは思わず力んだ。婚約解消も、ご提案によるものだった。


「父君をお通しせずによろしいのですか?」


「はい。いないからこそお話しできます。本来の手順であれば、意見が通る前にくびり殺されます」


 驚く前に、公爵に詰め寄られる貴公子の様子が想像できた。軍務局にいたころ、その厳しく律された様子に何度背筋を伸ばしなおしたことか。

 カリス卿は両ひざに肘を乗せながら深海の瞳でまっすぐメロディを見つめる。


「父は、私を次期後継者に指名しようとしています」


「そう……なのですね」


 引き攣ろうとする表情をどうにか微笑みに変えて、上ずる声を抑えこんだ。提案の内容がわかってしまったのだ。この貴公子が、現状維持のために王位継承権も爵位継承権も手放してまで望んでいることを――本質までは読めないながらも、将来的にも社交や政に対してかなり消極的でいたいらしい。


「それを望まれる理由は?」


「申し訳ないが、無礼をお許し願いたい」


 選択された沈黙が肯定した。嫌な思考が結論したものであるような気がしてメロディは齟齬を確かめる。


「必要なのは、ヒストリアの名……いえ、正確には女系継承の上位貴族の地位ですね。継承権の放棄は弟君を慮ったものではないのですか?」


「それもあります。ほかの理由は、この場では、ご容赦願えないだろうか」


「はい。このご提案、貴公子殿に利するものであると同時にわたくしにも好条件ですから。婚約が結ばれたら婚約解消に伴う話題を薄められますもの」


 しばらくの沈黙の後、「はい、ご明察です」カリス卿は肯定した。


「閣下は、私を不誠実だと思われるでしょう」


「いいえ。政略は、心が伴うとは限りませんもの。王女殿下の降嫁を回避されるのはずいぶんとご苦労を重ねられたことでしょう」


 感情を抜きにして婚姻と家名を利用したいと申し出られると、何周か回って清々しくあった。

 同じものを手に入れるために偽りを告げられるより誠実だとも思った。あまりにも冷静なメロディを相手にする貴公子が戸惑うように「……ええ、そうですね」と言う。

 臆見だったが、王女と卿の関係性を否定されなかった。まさに無駄のない采配を成したであろう関係者らの裁量に頭が下がるばかりだった。


 メロディは告げる。普通の令嬢はこういったときどのような対応をするのか、思案しながら。


「ご心配には及びません。ご存じのように、わたくしの両親は大恋愛により結ばれました。しかしながら、わたくし自身は敬愛を抱けても恋愛や真実の愛がどういったものか認識すら曖昧な人間ですもの」

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