事実か空想か
今回のφで扱っているのは、ストラトスの提案が採用されて、9年前に14か月で22件が確認された連続失踪事件である。
会議方法そのものがメロディが発案した新規の試みであるため、現状、室員たちによる手探りが多く慎重に進めている。つまり、宿題の進めかたに大きな誤りがないか、早い段階で確認する必要がある。
先日の状態が保持された掲示物を眺めながら「失踪者が増えない理由」の考察をそれぞれ開示して身体慣らしをした。わかったのは、現状の情報では、被害者の共通点が居住地以外に見つけられないこと、失踪者が増えず10年近く経過したそのものの理由は不明瞭であることだけだった。
「1674年では国は命を散らした西方守備隊の忠誠に報いねばならなかったため、人材がそちらへ割かれてほかの地方への対応が疎かになった。その結果、現地では〝神隠し〟を現象として受け入れてしまった、という、こと、でしょうか……?」
ストラトスはおそるおそる総括してみた。あまりに不安そうな後輩に慈悲をこめようと、シリル卿とローガニス卿は視線で意見交換した。まず口を開いたのはローガニス卿だった。
「その下地は、ユーグルート共和国にある〝神隠し〟の文化だろうな。鎮守の森に入ったら誰も出ては来られないって事実があるし、まあ、人が消えるのは仕方ないことだと認識するに足る文化が存在していたとはいっても……容易に人は消えないだろうにな」
「ゆえに〝神〟とやらの意志か」
「他国の神話でも神に選ばれた救世主は人々から人知を超えた事象をみせてから初めて信じられています。容易でないからこそ〝神〟と事象を結びつけたのかもしれません」
「掲示した資料19は、鎮守の森のにおはす神の怒りを鎮めようとたてられた祠です。立てられたのは、えっと……1675年9月、8年前です」
シリルのつぶやきに続いてツァフィリオ、ティルクーリも意見した。三人の団結はなかなか強いらしく、ふたりが視線を向けるとストラトスは安堵して表情を緩めた。
「祠ができてからは新しい失踪者がいないのか?」シリル卿は疑問を呈した。
「はははっ、失踪者がぱたりと途絶えるなら神頼みも便利だよなー。我々もそいつらに祈ってみるか?」
「おい。他者の信仰だろう?」
おもしろがるローガニスを諫めたのはメロディだった。室員が収集してきた失踪が関係していると思われる国内外の物語の題名、それが発生した地域をまとめてきた書類に目を通していた彼女はしばらく沈黙していたが、注意したのをきっかけに書類を机に放った。
「いいんですよ、どうだって。解決にはたいして関係ないでしょ」
「予断するな、犯行が止んだ一因であれば犯人像にも影響するだろう」
「そうは言いましてもねー、神なんてもんは人間の空想 痛っ」
シリル卿は、メロディが手放した資料を丸めた紙筒で友人の側頭部を叩いた。文句を言われる前に上司へ話を振る。
「閣下の春麗祭開けの出勤は21日からですよね? それまでに祠に関する情報を集めておきます」
「ありがとう、助かる」
「念のため確認しますが、事件として扱ってよろしいのですよね? さすがに現地の憲兵所の協力が必要かと」
「春麗祭後から本格的に協力を得られるようにしておく」
メロディは立ち上がって資料を受けとった。
「方針に修正は無い、各自尽力しろ。我々の手でこの謎を凍りついた眠りから目覚めさせてやろう」
メロディは「以上だ」と告げて確認の終了を理解させた。
片づけに取り掛かる室員のうち、メロディはストラトスを呼び寄せる。
「君が追加したこの『ユーホルトの豆挽き』。どのような意図だろう?」
「え、あ、はい。大量失踪が関係する物語を収集するようにとの仰せでしたので、該当するかと」
「ユーホルトは旧皇国領だろう? 以前読んだ論文だから題と著者はすぐには出てこないが……11世紀末、終戦直前の皇国が強制徴兵年齢を未成年者にまで引き下げたことへの国民による糾弾が関係していたと書かれていたのを覚えている。これは無関係なのか?」
「あ、いえ、わかりません、調べます。該当論文の詳細はどこまでわかります?」
「2年前の記憶だ、当てにするな」
「構いません、題名の雰囲気だけでも」
「……15語」
メロディはおそるおそる部下の表情を見上げた。意地悪する意図はない。本当に語数と梗概しか覚えていないのだ。著者だけでも思い出したいところだが、片鱗すら思い浮かばない。男性名だったような気も、女性名だった気もする。中性的かと問われても確信がない。
部下は下唇をかんで虚空を眺めながらつぶやく。
「しばらくお時間いただきたく思います」
「いや。さすがに、わたくしが見つける。春麗祭開けまで待て。貴公は貴公の職務や宿題に尽力するように」
やり取りが聞こえていたらしいローガニスがすれ違いざまに「随分と自信がおありで」とからかう。「お前が探したいなら無理にとは言わないが」と告げると「いえー、忙しいですーぅ」降参しながらローガニスは座席へ向かう。
それを呼び止めたメロディは、彼を執務室へ招き入れた。
「どのような御用で?」
「聞きたいことがある。コンスタンティノス・カリス卿を知っているか?」
「おお、不遇なイケメン貴公子殿のお名前をご存じで。明日は雪ですか?」
「曇りだ」
「えー、春麗ですよ? 晴れません?」
「友人の部屋に気圧のデータがあったのを見かけた。明日は太陽が見られないらしい」
「それは残念ですねー。お心が晴れないのも同様の理由で?」
「お前と違って寡黙な方が多いのだ」
「気になさるので?」
「意志は事件よりも謎めいているものだ。優先的に対処する必要がある」
「そのような言い分ですと、俺のこと言えなくないっすか?」
「わたくしだって万華鏡を覗きたいことがある」
メロディがソファーを勧めると、ローガニス卿は誘いに乗った。
「コンスタンティノス・カリス卿は現在21歳、公爵家の由緒あるご出身であられます。王立学園武術院第522期生において首席卒業、同年に王位継承権も爵位継承権も弟君に譲位されました。以降、軍務省にて堅実に職務に励まれて今ではヘクトール王子殿下の政務を支えながら軍務本部参謀がひとりとして立身出世されております」
「少々お変わりのあるご経歴をお持ちだな」
「ははっ、貴女がそういうことを……正式には、軍務省国防局参謀本部戦術参謀第5席ですーぅ」
「任ぜられている役職から察するに、愚鈍な方ではないと見受けられる。継承権はいずれも剝奪ではなく譲位なのか?」
「ああ、それには理由があります。この表現は無礼ですが新聞そのままですからご承知の上で……貴族の後継として欠陥とも言える事情を抱えていらっしゃるためなのです。曰く、花の妖精と春の妖精に祝福された貴公子殿は、妖精のイタズラを用いて婚約者を真実の愛へとお導きになられる。天才芸術家の最高傑作ごとく容姿でありながら行き遅れてかけているのは、そのような事情があるのでしょう……祝福についてはともかく、事実、2度の破談を経験しています。黄道貴族としては異例でしょう」
「婚約者は貴公子殿の真実の愛の相手では無いゆえに破談になる。破談になれば結婚できないから、否応無く公爵家後継者問題に発展してしまう。不要な争いを嫌うこの時代にとって、欠陥とは言い得て妙だな」
「そういうところについては本当、頭の回転が速いですねぇ」
いつもひと言多い補佐官である。他方、彼のおかげでようやくコンスタンティノス・カリス卿の輪郭が見えてきたので文句を言うのは控えた。
「ありがとう。職務に戻れ」
「はい、閣下。それでは」
「あ、おい」
「ご安心ください。物忘れは良いので」
「……よろしい」