第一王子と貴公子
ようやくカリス卿はヘクトール王子をはっきり視界にいれた。しかし、陽の光ごとく金髪は両目にかかり、口元の笑みだけではあまりにも表情が読みにくい。
「伯爵はねー、孤独な少女だよ。求められているのは大人の男の魅力さ、コニー!」
くるりと回りながら、さも楽し気に告げる様子が気に入らない。おもしろがる内容ではないし、未だ婚約者を定めずにいるのは同じなのに、ヘクトールの放蕩が許されている現状の不公平感も一因だった。
そんなカリス卿の不満を知ってか知らずか、王子は芝居がかった調子で「……とはいえ」と声を潜めた。自らの執務椅子に深く体を預けると言葉を続ける。
「私が慰めるには面倒が多すぎるからね……」
何を言うかと待ってみれば随分な戯言だ。カリス卿は思わず「トール、それは」と諫めようと、王子は「そ・れ・に」再びおもしろがり始めた。カリス卿はため息を我慢して閉口するに留めた。
「傷心の友人の心配をすることすら、私には許されないのかい?」
「そのような情でしたら、ぜひとも妹君と弟君にたいしてかけて差し上げてください。それから」
何か言おうと口を開らかれたが、無理に言葉をかぶせた。やりかえすような幼稚な真似になったが、カリス卿は構わずヘクトール王子を睨みつける。
「王女殿下のご交友に何かされましたか?」
「いいや、私は関与していないよー」
そんなことかと言わんばかりに、さらりと流されてしまった。他方、果たしてどこまで信じていいものか――そもそもシプリアナに関しては放任主義だよー、と言われても判断をつけられず頭を抱えた。
「詳細もそれほど知らないしーぃ……まあ、あの子も〝星宿り〟だからねぇ」
文脈を掴めず、カリス卿はヘクトール王子の言葉に眉根をひそめた。「間違いなくおもしろいことになってて良い感じだよね」と同意を求められても、流せる内容ではなかった。
シプリアナ王女が王族として、芸術院の学生として、優秀な成績を修めているのは聞き及んでいる。所属する天文学カルディアでも中心となって勉学に励んでいるとも。
しかし、王女は現在5年生だ。
国内のいくつかの有力商会が共同で毎年あらゆる分野から特に優れた功績を残した人物を選定する〝六将星〟の文化に倣った、学園の卒業式にて卒業生に贈られる〝九瑞星〟の選定資格が与えられるのは今年の9月以降――6年生に進級してからである。いくら優秀であるとはいえ、王女が星宿りと認められるにはまだ早い。放任主義とて、妹への興味がまったくないわけでは無かろう、学年を間違えたのか。
「それにさー、やはり障害があったほうがこういうのって燃えるんじゃあないかなぁ?」
悪気ないようにあっけらかんと言われてしまえば、ため息もつきたくなる。
「ああ、そうだ。カリス公はなんと言っているんだーい?」
「白百合に会えばわかる、と」
「はははっ、彼らしいなぁ! で、どうするー?」
「何がですか?」
「これ、母上のワガママだろうから。断りたいなら断れるようにできるけれど」
王妃の策略をワガママの枠に収める王子の物言いにはもはや言葉もない。見上げられているのはなんとなくわかるので、カリス卿は王子のまなざしに応えて正面から告げた。
「彼女と関わる機会が得られて嬉しく思います」
「なんだよ、それぇ」
「貴族である以上、政略婚の意義くらい存じ上げております」
「はははっ、君が言うのかぁ」
「頑是ない子どもではありません。演技くらいできますよ」
「たとえ政略だとしてもさぁ、心が通う余地はあるよー?」
「幻想ですよ」
「えー、そうかなーぁ」
「そうおっしゃるならば殿下こそ早々に婚約者をお決めになられてはいかがでしょう? 議会承認制とはいえ、殿下の功績でしたら成人とともに立太子の儀が執り行われても反発は少なかったでしょうに」
「えー、やだよー。王太子になったからって別に良いこと無いじゃーん。エミリオスのほうが向いてるよぉ。知ってるでしょー、ボクが使用人たちめっちゃ困らせてんのさー」
「ですが、周囲の評価は低くないでしょう?」
「公務も執務も、実は効率良いからねー! ってことで、これ。誰かに渡しておいてー」
カリス卿は差しだされた書類を受けとり、内容を簡単に検める。よくもまあ踊り狂っている合間にここまで端正な文章をしたためたものである。感心も一周回れば呆れに変わる。
「技術局特務課長ペークシス卿にお渡ししてよろしいですね?」
「へーぇ、ルキアノス卿が課長になってたんだー。彼、いろいろと器用だもんねー、ぴったりじゃないか」
「よろしいですね?」
「うんっ、よろしく。早く令嬢の写真みせてって伝えといてー!」
「婚約者候補ですか?」
「生まれたばかりの1歳の令嬢をー? 親子を名乗れちゃうじゃんか」
「失礼しました。でしたら、妹君ですか?」
「おいおい、それじゃあ横恋慕だよー。5年前に子爵家へ嫁いでいるのだから。もー、本当に貴族関連には疎いなぁ」
「でしたら、なぜ?」
「え?」
ヘクトール王子は逡巡の結果、カリス卿の疑問の行先にあたりをつけた。「写真のこと?」と尋ね返すと、どうやらそうらしい。
「ふつーに、ただ見たいだけだけど」
「……ああ、はい。そうですか」
特段の興味はなかったが、それだけかと思ってからは微塵の興味すら霧散した。それがそのまま言葉に現れ、王子が「なんだよぅ、それはー! 聞いたのは君だろー?」と抗議する。が、気にせず話題を変えた。
「実際のところ、殿下が思われるに伯爵閣下どのような少女でしょうか?」
「えー、さっき伝えたとーりだよー」
「あれは面白がられていらしたでしょう?」
カリス卿が退室するそぶりを見せれば「ん-、そーうだなー」王子はあるていど真面目に言葉を探し始めた。
やがて「不思議な子かなーぁ……」とつぶやく。
「事無しな日々を望み、幕無しに笑顔を浮かべ、無関係な何かを願い、無理な理想論を言葉にしながら無垢な涙を流す。そのせいで、時無しに、無自覚に人を魅了する。だから……無責任に、人に夢を見せる」
ゆっくり語り、余韻を残す――やがてヘクトールは含み笑いをする。椅子から体を起こしてカリス卿に揚々と報告する。
「ねえ、名言っぽく聞こえなかったぁ? どうだったかなーぁ?」
「満足ですか?」
「もっちろーん! まあ実際のところ言葉にするなら、シプリアナは染めてしまいたい純白、ヒストリア伯爵は汚したくない潔白かなぁ。なんというか、白という共通印象だろうと内容はまったく異なっているんだ」
カリス卿は口を閉ざした。要領が良いのか悪いのか、実情が掴めるようで絶妙に掴み切れない。思いついたように「あっ.前に子犬っぽいとも聞いたことあるから,白い子犬ってことにしようかなーぁ?」そう続けるが、補足のようで補足ではない。参加したことない身だが、黄道12議席の古狸が集う円卓議会に子犬がいたら場違いだと容易に想像できる。
窓を背にして「どうだろー?」と問う王子の表情がわからなかったのは逆光のせいだけではなかっただろう。
「肩の荷は重くなりましたよ」
カリス卿はそれだけ告げて暇を告げた。
父に命じられた翌日、ヒストリア伯爵と対面するまで1日を切っている――どのような対応をするのが正解か、まだカリス卿は見極められずにいた。
依然としてカリス卿にとってメロディ・ヒストリアの印象は、彼女が名を挙げた〝白百合の献身〟の内容で見せた一連の毅然とした対応そのものだった。抑揚が抑えられた口調と冷たい声色、そして圧倒的な実力をもって周囲を圧倒するカリスマ性を纏う冷徹なる伯爵――まさに凛と咲き誇る〝氷柱の白百合〟なのだ。年下とはいえ、相応の敬意はある。
相手に合わせて、波風を立てず当たり障りなく、もはやそれらしいことを述べていればどうにかなるようにも思えてきてしまう。他方、おそらくそれだけでは王妃の策略を乗り切れないだろう。
技術局特務課へ歩みを進めながらカリス卿は書類を脇にひたすら頭を悩ませ続ける。
……不意に、
視界の端。
離れた廊下の曲がり角から。
高い位置で結んだ銀髪が陽の光を受けて噴水のように煌めきを帯びた。追随するようにふたつの星章……左肩から右腰に掛けて黄の大綬を用いて装着される真夜中黄道星章、襟元の蒼穹十字星章がうら若きヒストリア伯爵の功績として誇り高く輝いて見せた。後者の星章も着用しているのは、謁見のためか――間違いない。真紅の詰襟制服に身を包んだ少女――メロディ・ヒストリア法務省情報官である。
補佐官らしき男が姿勢良く後に続いているのを見ると、職務上の隙の無さが伺える気がした。他方、清楚よりも清廉が似合うのは、あどけなさが抜けきらない容姿が所以だろうか。
(――汚したくない、潔白……)
あらためて遠目からその姿を見たに過ぎないカリス卿だったが、印象までは変わらないが、なんとなくヘクトールの表現の妙を理解できたような気がした。