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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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貴公子の思惑

 もとから白い手が、血の気を失うほど強く握りしめられている。コンスタンティノス・カリス卿はしばらくシプリアナ王女の華奢な手を見つめていた。

 すると王女は俯きかけていた顔を上げて、まっすぐな視線をカリス卿へ向けた。端正な顔が、何かに耐えようとするように歪んでいる。


「この件に関して……お前のどのような言葉も受け入れるわ、カリス卿」


「私が貴女へ告げる言葉はひとつだけです。殿下、幸せにおなりください」


 穏やかな言葉は、王女の大空の瞳を揺らした。


 視線を下げ、口を堅く結んで言葉を我慢する――何かを我慢するときの、幼いころから変わらない王女の様子に、カリス卿は口元が緩みそうになるのを手で隠した。自嘲に思われないように尋ねる。


「お相手は、イードルレーテー公爵令息アレクシオス殿ですね?」


「な、ぜ……」


「失礼。殿下が彼に惹かれていることは存じ上げておりました。弟の話を聞く限り、彼は誠実な男です。殿下が悲観されるようなことはありませんよ。実際、後悔はないのでしょう?」


「それでも、私はお前と添い遂げることを承知して婚約したの! ひどい裏切りだと責められ、なじられても仕方ないことをしたのよっ?」


「僭越ながら、いくら殿下のご抵抗といえども、真実の愛の前には無力でしょう」


「……お前は、それでいいの?」


「精霊さまの使徒も、妖精のイタズラも、それほど悪くはありません」


 困ったように微笑み、答えた。王女はついにうつむいて肩を震わせ始める。次第にドレスが濡れていく。

 泣かせないように言葉を選んだつもりが、結局、これだ。部屋を後にした彼は、誰もいない廊下で壁に背を預ける。ふがいなさにため息が零れた。


(自分の心も、女性の心も、思ったとおりにはならないものだな……)


 最初は12のころだったか、初恋は儚く散った。まもなく自分は選ばれない側の人間なのだと否応なく察した。


 今回も受け入れたものの、幼いころから交流のあった王女の御心を曇らせてしまった罪悪感は相当だったらしい。思考がうまく働かないのがわかる。どうにも、誰も傷つけずに離れるという所業はなかなか困難なものであるらしい。

 それから数日も経たず、父に職務上の理由をつけられて呼び出された。

 本当の用件について冊子はついていた。カリス卿は深呼吸をいくつか済ませて覚悟を決めた。


「大将閣下、カリス中佐が参りました」


「よく来た。座りなさい」


 不満や怒りがなかろうと強面なカリス当代公爵閣下である。あればなおさら強面だ。

 弟の男性らしからぬ愛らしさというか、癒しをもたらす女性的なところはやはり母に似たのだろうな……現実逃避しながら応接用のソファーに腰を下ろした。


「どのような了見か尋ねても無駄なのだろうな」


「今回は何もしておりません」


 眉間にしわを刻ませる罪悪感はあるが、自分以外も深めさせている事実がある。息子としては親不孝のきらいがある行為だが、息子は困ったように微笑んでみせた。

 カリス公爵は深いため息をつく。


「おかげで王妃の御思慮に巻き込まれたのだ」


「王妃殿下の……王女にはお気に病まれぬよう申し上げたのですが」


「学園の噂を知らんお前では無かろう」


「王女殿下とイードルレーテー公子の、ですか」


「なぜお前はそうのんびりと」


「楽観的なので」


「……そうしているから、使われるだけなのだろう」


 緩やかな笑みのまま表情ひとつ変えないコンスタンティノスは承知している旨を述べた。カリス公爵は、その答えを予測していたらしく事務的にある貴族の名前を告げた。


「メロディ・ヒストリア伯爵だ」


「お早いですね。三度目にもなれば……いや、〝氷柱の白百合〟は王妃殿下のお気に入りでしたか」


 適当に応対しながら、思考が至った――ゆえに、ヒストリア伯爵があてがわれたのだと。


 カリス卿とシプリアナ王女との婚約は秘密裏に承認された事案だった。だからこそ、当事者であるカリス卿が破談のために表立って行動するのは周囲から不自然に映りかねない。だからこそ工作を控えていたのだが、王女の学園内での様子を調べると、余計な世話だとわかった。


 昨年度から――4年生のときから、王女は密かに同学年のアレクシオス・イードルレーテー公爵令息に恋心を寄せていたらしいのだ。


 アレクシオス公子は、公爵家次男でありながら幼いころから神童と謳われてきた希代の星だ、健勝を祈られた幼少期ではあったが、いまでは六将星を確実視されるほど聡明で壮健な好青年である。その将来性を見込まれて、公子は女系継承の名門であるヒストリア伯爵家へ婿入りを果たすはずだった。

 状況が大きく変わったのは、今年度の話である――シプリアナ王女とアレクシオス公子の密会が噂されるようになり、すでに恋仲にあるのではないかと、学園内に憶測が飛び交い始めたのである。


 否定も肯定もしないふたりに対して、周囲は熱心に見守るようになった。


 そして数日前、王女と公子は決意したらしく。それぞれ婚約者に破談を申し入れるに至ったのだ。

 春麗祭まで半月を切った最中のことだ。とくに今年はエミリオス第二王子が初めて正式参加するにあたり規模は例年以上であり、貴族として同伴者がいないのは外聞が悪いだけでなく王子への無礼にすら発展しかねない。

 だからこそ、王女と公子の関係を認めるとともに、コンスタンティノス・カリス卿とメロディ・ヒストリア伯爵の立場を慮る策として、王妃が策を弄したのだろう。


「下手を打てば今まで以上に周囲を敵に回すことになる」


「ならば上手くやりましょう。もちろん、〝星の乙女〟の加護を持つ彼女に通じるかわかりかねますが」


 カリス卿の親世代、つまり、カリス公爵の世代ではヒストリア伯爵令息と〝星の乙女〟と謳われた少女の恋路が学園内どころが国中で一世を風靡した。その生き証拠といえるメロディ・ヒストリア当代伯爵を相手にいままでのような善後策が通用するか不安になった。

 また、同学年で親しくしていた友人の娘を王妃が付き人に指名したのは記憶に新しく、6年間仕えた少女を娘のようにかわいがっているのは公然の事実である。

 なおさら、下手なことはできない。


「……明後日。時間を空けておけ」


 息子の思考を知ってか知らずか、カリス公爵は興味なさげに告げた。「はい?」と意図を掴みかねた息子に最小限のことだけを伝える。


「春麗祭前にヒストリアと顔くらい合わせておけ。妃殿下より仰せつかった」


「伯爵閣下とは面識有りますよ。以前、ヘクトール殿下とともに」


「お前は言葉を交わしたのか?」


「……。いいえ、交わしておりません。仕事を抜きにしたら、どのような方なのでしょう?」


「会えばわかる。自分で判断しなさい。ただ……職務では、氷のように誰も寄せつけない理知と表情。冷徹な白百合とは言い得て妙だろう」


 冷徹――それは心が凍りついていると同義か、否か。


 父母や伯母上の目論見を退ける謀略を練る余裕はない。とはいえ、コニー自身も進んで罪悪感を抱えたいわけでは無い。父からの手紙を燃やして命令を無視するわけにはいかない。顔合わせは受け入れざるを得ない。

 ならば王女殿下にはできなかった提案、果たして伯爵は受け入れてくれるか……次がある前に……春麗祭までに見極めねばならない。






 

「おーい、コニー??」


 先ほどから踊り狂っている陽気なヘクトール第一王子に尋ねられ、ようやく自分の書類をめくる手が止まっていたことに気がついた。


「はい、殿下」


「気分が沈んでいるのかなーぁ?」


「いえ。先日の演習の疲れが取り切れていないだけなので、明日には普段どおりです」


 黒一色の服装は、動きを洗練しているように見せるだけでなく、彼の陽の光ごとく白金髪をきれいに映えさせる。

 それなりに激しい動きをしているが髪は両目にかかり、口元の笑みだけでは機嫌を把握しにくい。まあ、ご機嫌だから踊っているのだろう。

 幼いころから側近候補として関わってきたカリス卿にとっては日常茶飯事のひとつ、とくに気に掛けてはいない。


「それだけかーい? ボクの妹との婚約が白紙になると聞いたのだけれどー?」


「ええ。想い人がいらっしゃるそうです」


「アレックスのことだろー?」


「……ああ、ええ、はい。ご存じでしたか」


「兄妹仲は悪くないからねー。聞きかたを気をつければ教えてくれるものだよー、ヒストリア伯への懺悔がほとんどだったけれど! 君がいるのだから気にせずともいいのにね」


 カリス卿は信じられないものかのようにヘクトール王子を見つめた。

 ようやく意識を向けてくれたカリス卿に満足したのか、王子は口元の笑みを深めた。


「伯爵はねー、孤独な少女だよ。求められているのは大人の男の魅力さ、コニー!」

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