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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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研究のための4等分

 イリスの問いの意図が掴めず、メロディはそれをそのまま伝えた。


「婚約者じゃなくなるってことは、いままでどおりじゃなくなるってことでしょ?嫌いだったり無関心だったりしたら、泣かないでしょ」


「……!」


 数日前、アクセサリーを届けに来たときにイリスは気がついていたのだ――メロディは改めて友人の目敏さや指摘しない優しさを知った。ここで誠実に答えなければ友人の信頼に応えられない。言いにくい内容ではあるが、メロディは慎重に言葉を選ぶ。自分の心になるべく近い内容を伝えられるように。


「もちろん、心から喜べるような嬉しい内容ではなかったし、少しだけでも相談してほしかったとは今でも思ってしまう。両親への申し訳なさもあるわ。けれど、婚約解消によっていままでの思い出や優しさまで偽りになったわけでは無いもの。彼がわたくしを嫌っていないように、わたくしも……わたくしにとって彼は大切な存在なのよ。彼の未来に影を落としたいとは思わない。そのためなら、必要なことならば……やはり身を引かなければならなかったのよ」


 婚約解消に後悔は無い。再現性の高い結論に満足したメロディは笑みを浮かべて「お相手がシプリアナさまだというなら、なおさらね。素敵な御方だもの。日の光のような、万物を照らしてくださる御方だから」と、補足した。


 シプリアナは、ひとりぼっちのメロディの話を聞いてくれた。聞いたうえでともに悲しみに向き合おうとしてくれた。心優しく、聡明な王女だ。


 泣いてばかりのメロディをシプリアナは抱き寄せて言った。


「ならば、貴女は生きなくてはならない。生きることは、祈りを捧げることだけではないわ。食べて、心を動かして、そして祈りなさい。お天道様が見ていらっしゃるのだから、祈りは届くものよ」


 立ち上がり、メロディの手を上方に引き上げようとする。王女にそのようなことを指せるわけにはいかないとメロディはとっさに立ち上がった。ひとつ年上の少女はメロディよりもほんの少し視線が高かった。蒼穹の果てのような透き通った青の瞳に自信を満たして言う。


「安心して、毒見なら私がするから!」


「い、いえっ、殿下にそのようなことさせるわけには……!」


「ふふっ、知っているわよ」


 驚きのあまり、メロディの涙は止まっていた。からかわれたことに気づいたのはシプリアナがハンカチでメロディの涙を拭い終わったころだった。


 〝王国の宝花〟の名にふさわしい笑みを浮かべて額同士を触れ合わせる。「良いこと、メロディ?」と尋ねる。母のような仕草をされ、鼻の奥が痛んだメロディだったが、奥歯を噛み締めた。


「ずっと昔から女は強かな生き物なのよ。置かれた場所で枯れたふりして根を強く伸ばせば、別の場所できっと咲けるわ」


 シプリアナはそっと額を離して「さあ、戻りましょう」朗らかに微笑んでメロディの手を引いた。


 その言葉は、その笑顔は、その手の温もりは、ずっとメロディを支え続けてきた。シプリアナ・ハロ・セーラスは、孤独な少女の涙を止めたのだ。


 もちろん、この時期にもアレクシオスの支援があったのは言うまでもない。

 すべてをひとりで抱え込もうとしたメロディを献身的な優しさで包みこんできた。

 車で到着したヒストリア家が伝統的に治めてきたペロポネソス領オリンピアの中央広場。色とりどりの花びらが空から舞い落ちる幻想的な空間の中、そっと銀髪に花飾りを刺した。何が起きているのか理解しきれていないメロディは呆然とアレクシオスを見上げた。どうかな、と照れ笑いする彼の優しさにメロディは礼と涙をもって答えた。


 外聞を考慮したとき、もうあの花飾りをつけるのは難しいだろう。それは少し寂しいと感じた。


「いろいろ考えてるのはわかったけどさ、それ、ちゃんと整理できてるの?」


「破談については受け入れるつもりだけれど?」


「そーじゃなくて! メルのやりたいことって、それらを研究に落としこむことじゃないの?」


「そうね、できるならやってみたいわ。どうやるのかしら」


「あたしは専門外! オルトに聞こう!」


 すると、振り向く必要すらなく横から紙が差し出された。イリスの言動を予知しているごとくオルトの対応は見事だった。


 渡された紙面では、2本の線分が中央で垂直に交わっていた。グラフを描く平面が整えられているようだった。第1象限にはΔόξα、第2象限にはλόγια、第3象限にはπράγμα、第4象限にはΣυναισθήματαと書かれていた。


「これは……4つに分けて記述するということ?」


「あー、これ前にあたしもやらされた! 論理的にまとめるやつ!」


「……イリス、言ってること、ぐちゃぐちゃ…………意味わからない、から……」


「そーゆーこと言うけどいっつも手伝ってくれるよねー?」


「……構ってやらないと、しつこいし、うるさいじゃないか」


 オルトは背を向けて紙束の片付けに取り掛かった。本気では怒ってないとわかるのは、ふたりが兄妹のような関係だと知っていることが大きい。


 なおも「あっれー、照れてるー?」とイリスがからかうと、戻ってきたオルトは彼女の赤髪をくしゃくしゃとかき乱す。メロディはふたりの気安いやり取りを微笑ましく見守った。

 乱された髪をたいして気にすることなくイリスは説明を始めた。


「論理的に整理するための手法だよ、これ。メル、得意かもねー、こういうの! λόγιαってところには何を言ったのか、その言葉を書いて。公子様がなんて言ったのか、メルはなんて答えたのか。あ、待って。先に説明させて。書くのは制限時間あるから」


「わかったわ」


「πράγμαには、実際にとった行動。なるべく正確に思い出してねー。Δόξαに考え。συναισθήματαは、気持ちだね」


「考えと気持ちは何が違うの?」


「めんどくさいから、とりあえず、声に出せるものが考え、出せないものが気持ちって認識しといて」


「これからわたくしは、声に出せないことを書かなければならないの?」


「さっすが理解が早いねー。はーい、15分。よーい、始め(ハロ)!」


 了承など取らず、イリスは〈ウル〉の設定を変更して光球で宙に時間を表示した。カウントダウンに焦らされ、メロディは15分間手を動かし始めた。まずは、4等分の左上の枠である【Λόγια=言葉】から取り掛かった。

 覚えている限り、書き出していく。


 


 


【Λόγια=言葉】


 真実の愛を貫かせてほしい


 婚約を解消する必要、望んでいるのか

 →大変申し訳なく思っている

 →お気になさらずに


 君らしいと思った・・・誉め言葉?

 →好きに受け取ってほしい。普通の令嬢は怒ったり倒れたりする

 →ヒストリア伯爵に望むのか


 君は優しすぎる

 →昔誘ってくださった観劇みたいに怒鳴ってみた

 →そういうところだと笑われた、殴っても構わない

 →ご冗談。休憩時間に職務へ悪影響を与えたくないわ


 こんなだから、嫌になったの?

 →嫌いにはなっていない。大切に思っている。でも、アナは……別の意味で、特別

 彼女をお守りしたい。必ず、幸せになってほしい。絶対に幸せになるべき方だから

 そういうものだから、どうして願わずにはいられようか






(ここで、もういけないわと思って退室しようと決めたのだったわね)


 とても素敵ね……何か言わなければならないと思い、言っただけだった。しかし、改めて考えると心から素敵だと思える。意識では奥の庭園を思い浮かべながら、そう書いた。


 ――お体に障りますよ


 ふと思い出したのは、低く澄んだ男声だった。落ち着くために子守唄を歌っていると、重なった声。アレクシオスの声は、同年代の男性の中では高い部類だ。穏やかさと優しさがにじむような、聞くと安心する声色である。一方、生垣の間で聞いたのは力強く洗練された声だった。低いが恐ろしさや威圧は無かったと思う。聞いたことがあるか否か――記憶の中から探そうとしたが、如何せん、15分間しかない。手を動かすことを優先した。






 お体に障りますよ


 長居の意図はございません。どうぞそのまま、立ち去って忘れてはくださいませんか


 申し訳ないが、こういう性質です。返却不要、扱いは任せます






 ここまで書いて、メロディは4等分の左下【Πράγμα=行動】の枠に取り掛かった。

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