当事者の言葉と人柄
翌朝。ネグリジェのまま離れへ行ったメロディだったが、すでにイリスは登校した後だった。オルト曰く、体調は悪くないらしい。加えて、こんな早く登校するのは昨日今日に限ったことだという。メロディは友人が体調不良では無いとわかり安心した。一方、昨日から変わったことといえばひとつしかない。
心当たりのまま温室にある花についていくつか質問して、ふたつ作ってもらった花束のうちひとつだけ抱えて自室へ戻った。
朝からヘレンにはしたない行動を諫められてバツが悪かったが、内心、必要なことだったからとメロディはたいして反省しなかった。長くメロディの世話をしているヘレンもフィリーも主人の気質を知っているため、着替えや支度を優先させる。
鏡台の前、メロディは髪を梳いてもらいながら【木ノ御成乃章】を読み進めた。
風の精霊は、【ディア】に登場することからわかるように植物に影響を与え得る存在だ。
季節の流れを慈しみ、季節ごとに四季折々の妖精を侍らせる。長く厳しい冬を経て植物たちが生気を取り戻す様子から最初や始まりのイメージをもつように、春麗の訪れを引き連れて花を咲かせたり新緑を育てたりする。
また、この季節の妖精たちはとくにいたずら好きであり、花の妖精や春の妖精はとくに、春風に祝福を織り交ぜる〝イタズラ〟によって意図せず人に恋愛や純愛を抱かせては精霊さえも頭を悩ませる……と物語が綴られている。
メロディはかたわらの用語に視線を下ろした。恋愛も純愛も、リストアップされている。
恋愛とは、恋い慕う愛情のこと。
純愛とは、ひたすらに純粋な愛情のこと。
どちらも愛情の一種であることはすでに書斎から辞書を見つけ出して調べ済んでいる。どちらも関心が強い情報だった。関心があるからこそ、時が違えば彼女――唯一の生存者であるエレパース男爵夫人から深く話を聞きたかった。
しかし、職務上のことだったため、メロディは労わる様子を見せながらも感情は殺して話を聞き続ける。
やがて目の前の美女はうつむき、肩を震わせ出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい、私……」
「こちらこそ、お辛いことを思い出させてしまい、申し訳ない。そして、感謝申し上げます」
地図を机の端へ除け、立ち会っていたカラマンリス班長から聴取内容をまとめた紙束を受けとった。自らの認識に相違ないことを確認したうえで、改めて男爵夫人に尋ねる。
「当初の証言と異なるのは3点ですね? ひとつ、薄く自然な化粧をしていたとおっしゃっていましたが、実際は人相に影響を与える程度には濃い化粧をされていた。また、ふたつ、匂いはあまり纏わない香水を選ばれていらしたと」
夫人は警戒するように、観念するように首肯した。
「最後に、みっつ。男爵のビジネスに用いられた車両に乗りこみミティリウス区、セレス市を定期的に行き来されており、事件当日も男爵邸からセレス市内へ向かわれて被害に遭われた。以上3点ですが、誤りはありますか?」
「……いいえ、ありません」
夫人は消えそうな声で答えた。原因は、事件に遭遇したトラウマだけではないだろう。メロディはかまわず続ける。
「改めて繰り返しますが、我ら捜査陣からあなたの証言を口外することはありません。また後日、正式に証言訂正をしていただくことになりますのでふたたび登城していただく必要があります。書状が届きますから、ご承知ください」
「……はい」
すっかり消沈している夫人にカモミールの花束を差し出した。夫人は花束を視界に入れると、意味を図りかねたのかメロディに戸惑うような視線を向けた。
「わたくしからはエレパース男爵へ何も申し上げません。それでも、きっとおふたりでこの逆境を乗り越えられると信じています」
夫人は再びうつむくと「……はい」さきほどよりわずかに力強い返答をして花束を抱き寄せた。
部屋のすぐ近くでは、エレパース男爵とローガニス補佐官が待機していた。男爵が涙ながらに何か語り、補佐官が励ますように肩を叩く。
問題ないか視線で尋ねると、補佐官は男爵に声をかけて聴取完了を教えた。
「夫人と話す機会をくださり、感謝します」
「いえ……は、犯人は捕まるんですよね?」
「そのつもりで職務に励んでおります。近いうちにお伝えできるよう努めますので、あらためて、どうかお時間をください」
男爵は希望にすがるように紫水晶の瞳を見つめ、メロディは対応の早かった男爵に感謝とともにそれに応えた。
捜査陣は男爵夫妻を見送った。夫妻を乗せた車両が見えなくなると、カラマンリス班長はため息を細く吐き出した。
それを見たローガニス卿は、ある程度の聴取内容を察したらしく、メロディに尋ねた。
「やはり偽りがありましたか」
「ああ。辛抱強く待った甲斐があった」
「それで花束を贈られるとは、お珍しい」
カモミールには、逆境に耐える、という花言葉を持つ。今朝、急に花言葉を気にするメロディに何も聞かずオルトは要望に応えてくれたのだ。「ご自身に向けたものかと。辛抱強かったですね」ローガニス卿はからかうように言った。
「ゆっくりで構わないと言った以上、違えるわけにはいかない」
「それでも、です」
「……何だ?」
「えー、言いがかりはやめてくださいよ」
(ならばその視線をやめなさい)
言っても悪化させるだけだとわかっている。睨むだけにしていると、「ところで」とローガニス卿はつぶやいた。
「班長殿。捜査方針の変更は?」
「大きくあります。今日中には計画書をまとめますから、明日には提出します」
「わかりました。担当の者に伝えておきます」
職務上の会話を終わらせると、ローガニス卿は急に態度を崩した。
「しっかし、まー、あのご夫妻はどーなんですかね」
「夫人の生存は喜ばしいですが、事件によって望まれない事実が明るみに出てしまいましたからね」
本事件に限ったことではない。人の悪意によって事件が起こる以上、背景には人の意思がある。法務省情報官に就任して以来、メロディも幾度となく向き合ってきた。理解しきれていないながらも考察できるようにはなってきている心算だった。
「夫人が事件遭遇時に使用した護身用ナイフは、婚姻時に男爵が夫人に贈ったものだ。離れていても、身を守る術を持てるようにと。訓練していない女性にとって刃物を身に着け続けるのはそれなりに重労働だ。それでも夫人は男爵の言葉を信じていた――実際、それが夫人を生かしている」
両親のように、夫婦はすべからく愛しあっているとは限らない、その現実にメロディは気づき始めていた。しかし、エレパース男爵夫妻に関しては肯定しきることも否定しきることも困難な事案だと思った。
このまま考え続けても答えは出ないだろう。メロディは一度だけ瞼を閉じて、ふたたび開いた。
「ローガニス、しばらく任せる」
「おっとぉ、どちらへ?」
無茶は看過できないと宣言するように立ち塞がる。今回は無茶とは疎遠だが、説得力がないのは自覚していた。メロディは素直に告げる。
「文句を言いあいに。なあ、班長殿?」
「はい、閣下。どうぞお手柔らかに願います」
それだけのやり取りからローガニス卿は「ああ、監査ですか」と納得した。道を開けて「問題ありませんか?」と尋ねながら歩き出したメロディについていく。
「結果次第だな。問題といえば、お前、男爵に何を吹き込んでいたんだ?」
「人聞き悪いですねー。もー。惚気を聞いて差し上げていたんですよ」
「ノロケ?」
「シリルがいっつもしつこくてうるせーやつです。夫人にメロメロでどーしょもねーみたいですね、男爵は。そのくせしつこく求婚した挙句いざ婚姻となると怖気づくとか、意味わかんねーですよ」
「ああ、男爵は婚約破棄しようとしたのだったか?」
「よくご存じで」
「ツァフィリオが運転中にうるさくてな」
「自分よりも彼女を幸せにできる男が現れるかもしれない、と。急に恐ろしくなったのだとか。甲斐性がなくてよく商売なんてできますよね」
「それはお前も大概だろう?」
「何をおっしゃいますか。私は条件の良い男ですよー?」
「自分で言うのか?」
「事実でしょう」
国のために尽したいと望むような人柄でないくせに国に仕えている。職務もしゃくし定規になれとは言わないが、新任に見せられたものではないのは確かだろう。同意しかねるところだが……メロディは自力では周囲との軋轢は避けられない。どうしても盾(よく言えばサポート)が必要である。そして、ローガニス卿は器用にそれらをこなす。
自覚があるらしい補佐官は、メロディと班長に敬礼して告げる。
「それでは、ご武運を」
到着した監査室。メロディはカラマンリス班長に視線で問う。班長は表情を強張らせながらも首肯を返す。
ローガニス卿が扉をあけてふたりは入室した。
「監査官、ただいま参りました。法務省情報官メロディ・ヒストリアです」
「ならびに、当該事件担当班長を務めておりますアイオロス・カラマンリス少佐であります」