花言葉と思いやり
「赤い糸なんて、何か特定の刺繍をする必要があるのかしら」
疑問は案外、口に出してみるものだ。ふたりとも何か知っているらしい雰囲気に気がつき、メロディは期待に瞳を輝かせた。フィリーは、どこか恥ずかしがっているヴァレイシアに代わって役目を担った。
「赤い糸とは、その……運命のことを指しているのだと思います。やがて添い遂げる男女を、運命が赤い糸で結んでいるのです」
「赤でなければならないのかしら。白や青ではいけないの?」
「色が大切なのです、メロディ様!」
ズイと身を乗り出して言い切ったのは頬を赤らめたヴァシレイアだった。
「花言葉も、花の色で異なるものもありますでしょう。赤は、情熱や血を連想させますから! やはり愛を求められるならば熱量がなければ!!」
「……あなたはそういう恋愛に憧れているのね?」
「も、もちろん貴族令嬢として家のために婚姻を結ぶことに不満はありません。ですが、どうしても、物語に憧れてしまうのです」
「物語のような?」
「はいっ、フィリーや先輩たちがかしてくれるんです。素敵なお話ばかりなんですよ!」
メロディがヴァレイシアからフィリーへと視線を移した。そのときにはフィリーは視線を背けていた。
「フィリーは詳しいのね? わたくしも読んでみたいわ。おすすめを教えてくれる?」
「……。失敗が少ないのは古典のものでしょうか」
「昔の作品が今でも読まれているということは、いままで精査される中で選ばれ続けてきたということだものね。たとえば、どのような書籍があるの?」
フィリーは少し考えこもうとしたが、先にメロディから用語一覧を受けとり目を通した。なるべく要望に近そうな作品を考えてくれるらしい。
「お勧めする古典恋愛作品は、セレーネ・カルナによる運命三部作、または、悲恋哀歌シリーズはいかがでしょうか」
「セレーネ・カルナね? すべてをすぐに読むのは難しいから、まずは3冊ほど題名を教えて?」
メロディはペンを片手にメモの用意を整えた。フィリーはそれを確認してから勧める。
「でしたら、運命三部作からにしましょう。『'Ανάγκη――あるべき宿命』『γαρδένια――定められた孤独』『Εξοδος――望まれた終焉』です」
「副題が運命とまとめられた由来かしらね。主題はそれぞれ……宿命、ガルデーニア、出発?」
「はい、頭文字のアルファベット順がそのまま三部作の出版順になっており、物語としても受け入れやすい順番だと思います。あらすじとしましては、主人公が図書館で見ず知らずの殿方からの手紙を見つけてやり取りを重ねていくうちに恋に落ちるというものです。カルナが生きた時代に読書が娯楽として広く伝わりましたから、ちょうどそのころを舞台にしているのでしょう。現実はそううまくいかないものなのですが、それでもエロースを感じるのです」
「エロース?」
「ああ、失礼しました。恋愛に関する事象に対してキュンと胸がときめいたり、物語のその場面に出会えないかと想像してしまったり……そういった、心が動かされる生理現象のことです」
「生理現象ということは、抗えないの?」
「はい、無理ですね。呼吸を止めようとしたら苦しいでしょう? それと同じです」
「そ、そうなのね?」
メロディはフィリーの言葉に感心しながら用語一覧の余白に、セレーネカルナの運命三部作の主題、「エロース=生理現象、心の機微」と書き入れた。
瞳の奥が見えない気がして少し恐ろしさを感じたのはこの際、置いておく。
「ところで、ガルデーニアは……星か花の名前かしら?」
「花の名前ですよ、メロディ様。6枚の花弁を持つ、優雅な香りが特徴の洗練された白い花です。花言葉は、ええっと……」
思い出すのが難しかったのかヴァレイシアは視線でフィリーに助けを求めた。フィリーは「幸せを運ぶ、私は幸せです、という花言葉です」と答えた。
「明るい意味があるのに副題は、定められた孤独、なの?」
「青いガルデーニアを主軸に話が進められていくんです。一般的にガルデーニアは白い花弁をもつのですが、突然変異種なのか、青い花が生まれてしまいます。たった1輪の青い花を巡って望まれない争いが繰り広げられるのです。この物語から、青いガルデーニアには定められた孤独という花言葉が与えられたんですよ」
「同じ花でも、花の色によって花言葉が変わるの……?」
メロディが疑問を呈すると「メロディ様。イードルレーテー公子様へ何度かお花を贈られていらっしゃいますよね? どのようにお決めになられたのですか?」ヴァレイシアが疑問を重ねた。
「ヘレンにいくつか見繕ってもらって、綺麗だと思ったものを選んだけれど」
「じゃあ、色も花言葉も何もお考えにならなかったのですか」
「ええ。よく知らないし、彼も承知していたから」
メロディは口にしながら気がついた――こういうところの知識欲や興味を持つ努力が不足していたのかしら。
職務であれば、知らないことを知らないまま済ませることはしない。徹底して調べ尽くす。それを、婚約者への贈りものについてできていなかったのだ。
(嫌いにはならなくても、愛想をつかせるのは別の問題よね)
いまさら考えても仕方ないと思考の水面から沈めなおした。代わりにいつの間にか教鞭をとっていたフィリーの言葉を注意深く聞く。
「花言葉は、国の歴史や文化、伝統や芸能から生まれています。ですからダクティーリオスの場合、旧帝国、皇国、ラノンレイヴ王国、ユーグルート王国、ピサラ王国などの多様さを包含していますので、どうしてもひとつの花についてだろうとまったく異なる花言葉がつけられている場合もあります!」
「詳しいのね」
「あ……はい。お恥ずかしながら、学生時代には花言葉に関する研究をしておりましたもので……少々熱くなってしまいました」
「ねえ、フィリー。花言葉も文化ということよね?」
「え、はい。おっしゃるとおりです」
「どこの国が発祥なのかしら」
「私が調べた限りでは、11世紀中期のユーグルート王国でした。国土が狭いながらも土に恵まれて〝緑の革命〟を波及させ食糧難の緩和に務めたとして有名な亡国です」
「今は17世紀じゃない、当時はまだ発見されていなかった植物も多いと思うのだけれど、すべての花に花言葉があるの?」
「花に思いを託して贈る……それが、花言葉という文化です。人が花に託したい思いは尽きることはないのでしょう。だからこそ、新しい花にも思いが込められていくのです」
「素敵な感性を持っているのね」
「お嬢様が星へ願いをかけるのと同じものですよ。星も花も、当時から存在するものもあれば新しく生まれたものもあるでしょう。時を越えて、同じものに、同じ願いを込める……円環や繋がりを大切にするこの国は、すべてのものに精霊や妖精が宿り大切にするべきだと信じています。信じることで、自然とそういった感覚を育んでいるのでしょう」
フィリーはそう述べた。
話は移り変わり、ヴァレイシアの入学準備に関するところへ行きついた。
「そう、ですね……入学したら、カルディアに入るのが楽しみです!姉様いわく、それぞれのカルディアの部屋にはローズマリーが飾られているそうでして、とっても良い香りだと聞いてます」
「ふふっ、気が早いのね。3年生からだから、イリスだってまだカルディアには入っていないのよ?」
「しかし、イリスさんはもう私の年齢のときにはすでにやりたいことを見つけていたからこそ、焦ります……! 私はまだ、自分が何が好きで何をやりたいのか、ぜんぜんわかっていないんです。卒業論文もカルディア選択次第で大きく左右されると聞きますもの。やはり、2年もかけて書かねばならない論文なのですから、自分が好きだと思えるものに関係していないと!」
メロディはヴァレイシアの主張に感心した。一瞬だけ自分の研究がしたいという気持ちの浅さが気になったが、一度やると決めたことを取り消したくなるほどではなかった。ただ、これから考えを深めていかねばならないと感じた。
「ローズマリーの花言葉のひとつには、思い出すといった意味があって、心を落ち着けたり記憶力や集中力を高めたりする効能もあるのですよ」
「そうですのね、きれいでいい香りがするだけでは無くて、ほかの効果もあって、お花はすごいです!」
「ええ、本当。春麗から朱夏にかけてよく湯船にローズマリーを浮かべてくれているけれど、もしかして、そういうことなのかしら?」
「お気づきいただけて嬉しく思います」
フィリーに温かい微笑みを向けられたメロディは、いままでこうした心遣いに気がつけずにいた自分が恥ずかしかった。以前よりは意識を向けられるようになってきたと思っていただけに、相当だった。
これからはさらに細かなところへ意識を向けて、与えられる思いやりを当たり前にしないように気をつけようと、メロディは心に決めた。