気になる言葉と創星神話
情報提供者からは直接その話を聞いたほうが良い――そう考えたからこそ、メロディはエレパース男爵へ接触して夫人への聴取を望んだのだ。
普段から疑問は早いうちに質問して解消する様にしている。今回の気になるものについては、愛に関する用語一覧を片手に、伯爵家に仕える若い従僕たちに話を聞くことにした。
「一覧の黒塗りされた語句について、ですか……?」
「あっ、えっと、そちらは……」
顔を見合わせてまごつく様子に、ヘレンに髪型を整えてもらいながら、メロディはそっと首を傾げた。
すると、ふたりはとつぜん姿勢を正して大きな声を揃えて
「ご留意には及びません!!」
叫ぶように宣言した。背後から紅茶を差し出した執事のミハエルは、何食わぬ顔で従僕らの言葉を補足する。「先日申し上げましたとおり、不要だと判断いたしました」と。
そのように言われても、気になる者は気になる。少し圧を強めて「何と書いていたの?」と横並びの従僕たちに尋ねた。
「かっ、書き損じです!」
「重複していたので!お気を煩わせてしまい、もうしわけございません」
いじわるで試したが、応答は変わらなかった。「わかったわ、もう良い。戻りなさい」とだけ告げた。
年は近くとも、身分差のためか、遠慮されたり遠巻きにされたりする。仕方ないとわかっていても寂しさや不満はある。従僕に限らず侍女や行儀見習いについても同様だった。
隠されるからこそ知りたくなる――これも、心理的リアクタンスなのかしら。
もう黒塗りの言葉を判明させるのは諦め、創星神話について考察を深めるべきかと思い始めていた。概要くらいなら知っているメロディだが、学園の教養科目である範囲までは修めていない。また、オルトいわく、情報は星をつなげて星座を成すように相互の繋がりをもって存在しているそうだから、用語一覧の階層化を完了させるのも並行して進める必要がある。なんとなく思考の中で漂っているものがあるため、それを草案にしようと思い浮かべた。
「あ、あの、閣下!」
メロディを思考の世界から引き戻したのは少女の声だった。行儀見習いの中でも年少の、ムジーク伯爵令嬢ヴァシレイアの声だった。帰宅後のメロディの食事を運んできてくれた彼女は、怖いもの知らずな好奇心を抑えられないらしい。ほんのり頬を紅潮させて明るい空色の瞳を輝かせている。
ともに勤めている侍女たちはヴァシレイアの次の言葉に予想がついたようで視線で諫めた。他方、メロディは怖気ついた少女を促す。代わりに専属侍女のひとりフィリーが答えた。
「僭越ながら、閣下のお耳に入れるにはいささか冗長です。噂程度の内容ですし」
「それでも人の噂は蔑ろにできないでしょう。噂がきっかけで解決した事件もあるのよ?あなたたちの耳は良いから何が聞こえているのか、知りたいわ」
ウサギの耳を持つ彼女たちの、諜報能力に匹敵する情報収集を信用しているのは事実だった。少し畏れられているが、あともうひと押しすれば……
「ヴァシレイアの見習い期間はこの夏までじゃあないの。9の月には王立学園での生活が始まるのだから、話せる機会はもう数えるほどしか無いでしょう? それに……」
メロディは座ったまま、若干うつむきがちに虚空を眺めながらつぶやいた。そっと侍女たちを見上げて
「わたくしも、あなたたちとお話したいのよ?」
幼いころ、母に教えてもらったことを父相手に試していた。「上目遣いでお願いごと」は、そのうちのひとつだった。実際は父があまりにも妻と娘に弱かったため、メロディ自身は効果のほどをよく知らない。
王城では、冷徹さから〝氷柱の白百合〟と謳われているのではない。1輪の花として高潔に咲き誇るメロディだからこそ敬意をもって称されているのだ。
要するに、嫌みのないあざとい美少女の頼みを断れる者などこの場には存在しえない。
ただ、反応がない侍女たちを前にメロディは違った受け取りかたをしてしまう。乗り気ではない彼女たちを無理に引きとめるのは本意ではなかったメロディは「疲れていたら構わないわ」とつけ足した。
結果、「湯あみの用意が整うまでなら」と残ってくれたのは、言いだしたヴァレイシアとフィリーのふたりだけだった。
「イリス様はお誘いしますか?」フィリーが尋ねる。メロディは「いいえ。もう寝ているそうだから」と答えた。
「まあ、そうなのですか。たしか昨日もお休みになるの早かったのですよ」
「体調がすぐれないのかしら。オルトが特に何も言っていなかったから大事では無いと思いたいけれど……」
ヴァレイシアが心配そうに補足する。メロディは言いながらなんだか不安になってきた。
(明日の朝、離れに行けばイリスに会えるかしら)
学生の朝は早い。家や領地の管理より優先すれば間に合うだろうか……メロディはフィリーに、ヘレンとミハエルに向けた言付けを頼んだ。
「ところで、メロディ様。その、オルトさんのところへ何を……?」
ヴァレイシアが聞きづらそうに首を傾げた。2年前ヴァレイシアが行儀見習いとして伯爵家に勤め始めてからまもなく、背が高く仮面で顔を隠している彼に驚いて泣き出してしまった件を思い出した。以来、慣れてきたとはいえ苦手意識はまだ抜けきってはいないらしい。
「相談したの。〝真実の愛〟について研究をしたいから」
「し、真実の愛……ですか?」
メロディが「素敵でしょう?」と笑ってみせると、ヴァレイシアもつられて笑みを浮かべた。行儀見習い期間とはいえ弱冠12歳の少女だ、恋愛について興味関心を抱くお年頃である。
「まだ始めたばかりだからわたくしもわからないことばかりなの。だから、手伝ってもらえたら嬉しいわ」
「はい。ぜひ!」
「なら、まずは噂について教えて?」
「……」
笑顔のまま硬直してしまったヴァレイシアの顔をのぞき込む。紫水晶を前にして、逃げ切れないと悟った少女は白状する。
「そ、その……ご婚約を解消されたのに、メロディ様はあまり、なんだか、気にされていないと言いますか、お疲れではないように見えると言いますか……そのようなご様子の理由は、もしかして運命だと思えるような、素敵な殿方と思いあわれているからなのかなーと……」
「そう見えるのね、まあ、悲しんではいないかもしれないわ。しっかりと眠っているからも疲労は解消できているだろうし。それに、運命の相手って特別に大切な人のことよね? そのような存在と出会えたのはイードルレーテー公爵令息よ。ところで、噂というのはわたくしが新たに殿方に出会ったということ?」
「い、いえ!! 違います、お嬢様が不貞を働かれていないのは使用人一同の共通認識でございます!!」
婚約者がいながらむやみに異性の交遊関係を持つのは好ましくない。まだ幼いヴァレイシアの意識はそこまで至っておらず、さきほど侍女たちが止めようとしたのも、彼女が無意識かつ無邪気にメロディに不快な内容を突きつけかねないと懸念したためだった。
フィリーが慌てて否定したことで初めてヴァレイシアは自らの失言に気がつき、顔を蒼くした。
「気にしていないわ。あくまでも噂でしょう? わたくしに関する悪意ある噂は他にも多くあるから、把握できるだけでも助かるの」
メロディは楽観的だった。人の口に鍵はかけられないと知っているからこそ、躍起になって潰そうとしても徒労に終わると認識しているのだ。放置するのは善処とは言えないが、悪手においてはまだ良いと考えている故だった。
「違うなら、どのような噂なのかしら」
「どこからお話すればいいのか……」
「始めからにしてもらえると助かるわ」
「かしこまりました。それでは、お嬢様は創星神話をご存じでしょうか?」
「概要ていどならわかるわ。ヴァレイシアは?」
「えっ? は、はい! 創星神話は、〝英雄ペルセウス〟の旅路が綴られたものです」
「英雄は、のちのセーラス王家の初代となられたのよね?」
確認するように視線を向けると「ええ、はい、そのとおりです」フィリーは肯定して続ける。
「英雄の持ち物や話の流れから、各章について【木ノ御成乃章】【土ノ御実乃章】【天ノ御前乃章】【海ノ御道乃章】の順であると考えるのが一般的です。それぞれの章には風の精霊、地の精霊、火の精霊、水の精霊が登場し、精霊たちが英雄に与えた〝星遺物〟が、黄道12議席に名を連ねる家門の家宝だと伝えられています」
「ムジーク家には、天楽があります! ヒストリア家には天秤ですよね?」
「ええ、そうよ。そういえば、もう東の空にはフォルミンクス座の一等星がきれいに見えるのかしら」
「はい、きっと! 今日はあいにくの曇りですが、本来は、青白い星ですからよく夜空に映えるんです!」
探すのが楽しみだと伝えると、ヴァレイシアはさらに嬉しそうに頬を緩めた。もし妹が居たらこのようにかわいらしいと思うのだろうか、とメロディも鏡のように笑みを返す。笑いあうふたりの令嬢を見守るフィリーもまた優しい表情をしていた。
「あらゆる〝星遺物〟を有効に扱いながら苦難に立ち向かい続ける彼のために、お天道様は〝星の乙女〟という存在を遣わせます」
メロディとヴァレイシアは「〝星の乙女〟……?」とそのまま返した。
「神話のなかで【ディア】は始まりを、【ポシドーナ】は終わりを担っています……終わりといってもペルセウスの旅路は続いたままですから、進み続けているのです。ひとり孤独に進み続ける彼は、次第に〝星の乙女〟に心を許していきます。お天道様が導いた二人の出会いは、まるで運命によって定められていた様相――ペルセウスを支える〝星の乙女〟は、互いに出会うべくして出会い、繋がるために手を取りあった特別な存在だと」
「ごめんなさい、話が見えないわ。ペルセウスも〝星の乙女〟も、創星神話の登場人物でしょう?」
「申し訳ございません。お嬢様は、コンスタンティノス・カリス卿をご存じでしょうか?」
「ええ。カリス公爵の御嫡男よね。彼が、どうしたのかしら?」
「かの貴公子様は、ペルセウスに〝星の乙女〟を巡り合わせるがごとし……まるで【ディア】における風の妖精のように春の妖精イヴォニー、花の妖精エフェメラルを侍らせてイタズラを誘っていらっしゃるように……元婚約者たちはみな別の殿方をお相手にして恋愛によって婚姻を結んでいるんです」
「まあ……」
「ですから、彼の周囲は婚約がよく白紙にされるということで、もしかしたらお嬢様の婚約解消も関係しているのではないかと、そういった噂です」
――【ディア】からでも構わないが、【ポシドーナ】も悪くないよ――
メロディの脳裏では、白昼の伯父の言葉が浮かんで、繋がった。
【ディア】に登場する妖精たちを知らないほど興味を抱いていないのなら、水に関する家門の者に意識を向けてごらん……そのような認識で正しいのだろう。
「残念だけれど、同じ王城で勤めていても交友はないの。無関係でしょう」
現状の考察を述べながら苦笑した。都合よく人知を超えた能力によって良い方向へ物事が進むなどと世迷言を信じて期待できるほど、メロディは理知や論理を捨てられなかった。
「特別な存在や創星神話から派生するのだけれど、ちょうど用語一覧についてわからないところがあるから教えてくださる?」
「わからないところですか。今はどのようなことをされているのですか?」
「心や感情に関係しているから階層化しているところ。だけれど、残りの……運命、宿命、縁、運命の輪、出会う運命、赤い糸、運命の糸……これらは、まだよくわからないの。赤い糸なんて、何か特定の刺繍をする必要があるのかしら」
メロディの斜め上をいく疑問に、フィリーとヴァシレイアは顔を見合わせてしまうのだった。