思いつきと研究の下地
王家からの手紙は、5の月に開催される黄道12議席における議題を列挙したものだった。とくに準備を急ぐ内容ではないと判断したメロディは職務に
「……?」
戻ろうとした。
しかし視線は書面上の、黄道12議席の記章――円環上に配置された星々から縫い留められたように動かせない。
現状では何の根拠もない想像でしかない。それでも、思考から沈める理由もなかった。
一刻も早く確かめたいメロディは、仕事を終えて退勤すると、着替えを済ませるよりも先に邸宅の離れへと足をのばした。こういった思いつきを整理してくれる人物の心当たりは、ひとりしかいなかった。
離れは、珍しく静かだった。うるさくするイリスが席を外しているか製作に夢中になっているのだろう。
建物の奥のほうにある部屋、そっと開けられた扉から室内を確認すると、目当ての青年はひとり窓枠に腰かけて読書に耽っていた。さらりとした黒髪が耳から零れても気にしていない。急いできたメロディだったが、彼の集中を途切れさせるのは申し訳なく思った。とはいえ、そのまま戻るのはなんだか違う。部屋の外の壁に背を預けてどうするべきか考えてみる。
声をかけるだけかけて、都合が良いときに向こうから来てもらおうと結論を出した――のだが
「…………」
「……ありがとう、オルト。イリスは?」
「……寝た…………」
そのときにはすでに気づかれていたらしく、音もなく、お菓子を乗せた皿とともにメロディの隣にいた。初めてではないものの声をかけてくれたらいいのに、と願わずにいられなかった。伝わるかどうか定かではないが、オルトの目元を追おう面の眼球部分をみつめた。鏡が反射するように、自らの苦笑しか見えないが、伝わったと信じた。
礼を伝えると、オルトはもう一方の手で室内を指さした。メロディは首肯を返してその背について行った。オルトはメロディを椅子に座らせると、お茶の用意をはじめた。
「急にごめんなさい。聞いてほしいことがあってきたの、今、話しても良いかしら」
「……わかった……イリスに、窓からは……出入りしないよう、言っておく……」
「その話ではないの、だけれど、そうしてもらえると助かるわ。危ないもの」
「…………君、が……言うの……?」
「わたくしは扉からしか出入りしたことないわ」
首を傾げられたメロディは強硬的に話を進めることにした。筆記具を拝借して、点を記していく。丁寧に思い出しながら距離を確認しながら、時間をかけた。すべて描き終えるころには、紅茶の用意を整えたオルトがティーカップを机の奥に静置していた。
メロディはそっと紙を滑らせて差し出した。
「明言はできないのだけれど、なんだか、この点の配置に法則が見える気がするの。ただのランダムとは思えなくて……。オルト、あなたなら何がわかる?」
15の点が、およそ規則性なく配置された紙面だ。もちろん、メロディは何も考えずに記したわけでは無い。
オルトは紙を引き取る代わりにティーカップをメロディのほうへ押し寄せた。
緩やかに立ち上る湯気に、香りが混ざっている。
「…………それ、嫌いだった……?」
「これ、先日のブレンドよね? とてもおいしかったわ。それに、香りも素敵だと思う」
「そう……良かった……嫌な記憶、ならなくて……」
「嫌な記憶?」
「……婚約解消、公子との、やつ…………」
「イリスから聞いたの?」
「沈んで戻ってきたから」
メロディは事情を理解した。同時に、納得した。
イリスとオルトの友人になってから6年になるが、ふたりはさらに長く一緒にいる。特に口止めもしていないのだから、イリスが落ち込んでいたらオルトが解消しようとするのは想像に易しい。
それほどイリスが胸を痛めた事実を前に、メロディは申し訳なさと温かい何かを感じた。
「かわいらしいアクセサリーを作ってもらったし、今度、彼女に贈るものを考えておく。これは秘密にしてね?」
オルトの渋々の首肯を確認したメロディは、居住まいを正した。
「ア……」
「……?」
「イードルレーテー公爵令息?」
「……?」
かの公子を普段のように名前で呼ぼうとしたメロディだったが、もうすぐ婚約者ではなくなるのだから不適だと思い、どうにか見つけた敬称を言ってみた。おかしな雰囲気を感じて疑問になってしまったが、実際、これが最適な呼びかただろう。これからはこれに慣れていかねばならないメロディは意識的に使っていこうと決めた。
「公爵令息との婚約を解消するのはイリスから聞いたとおりよ。せっかくだから、わたくしも新しいことをしたいと思っているのだけれど……オルトは、手伝ってくれる?」
「……聞いてから、考える……」
賢明だと思い、メロディは結論を伝える――真実の愛について、研究したい!
「愛に関する研究……」
「ええ、そう。もちろんその紙面の法則性を知りたいからという理由もあるけれど、今日来たのはこちらもお願いできないかしらと思ったからなの。愛って、きっと素敵なものでしょう? わたくしは何も知らないから、解明できたら……ほら、存在を証明したり、考えを深めたりしてみたいの。オルトは、イリスの工学理論をサポートしているでしょう? 興味がなかったら申し訳ないけれど、ひとりでできるとは思えないから手伝ってほしいの」
「手伝う、のは構わないけど……なんで、今……?」
「わたくしと同年代の子女は学園に通っていたら学者のように論文をまとめるために研究をするのでしょう?」
学園に通わず王城に勤務すると決めたのは幼き日のメロディ自身であったが、どうしても関心を抱いてしまうらしい。いままでアレクシオスやイリス伝いに情報を得ていたのだ。
「だから、わたくしもやってみたいの」
「……範囲は?」
「何の?」
「…………ただ調べてまとめるのは、研究じゃない。……集めた知識をもとに実験、観察、調査を行うことで考察できる環境、を……整え、事実あるいは心理を追求する一連の行為……――それを研究と呼ぶ」
「そう。そうなのね。認識を改めるわ」
「……うん、だけど、僕が知るかぎり……現状、そもそも学問として、成立していない……」
「ええ、ミハエルも同じことを言っていたわ」
ヒストリア伯爵家執事の名前が出されると、オルトは「それなら……」つぶやき、思案する。手掛かりになればと思い、メロディは制服のポケットに小さくたたんで押しこんでいた用語一覧をオルトに差し出した。その目元のガラスに文字が反射しているが、読めているのか疑問を抱える不思議な時間を過ごした。
「……まず、情報を集める必要、ある。……情報は、単独で存在することは……無い、から。うん、星をつなげて星座を成すように……相互に関連しながら、存在している。君が言う〝真実の愛〟は感情面の要素が多いから、心理学関連の論文を参考にする……?」
「え? あ……そう、ね。そうするわ」
「じゃあ、探しておく。それで、範囲はどうする?」
饒舌になっていく友人を、メロディはなんとも言えない表情で見つめていた。
「……やらない、の……?」
「いいえ、やりたいわ! だけど、その……少し呆れられるかもしれないと思ったから」
「なんで……?」
「自覚はあるの。頑是ない子どもの言葉のようだって……。だけれど、知りたい。学問として扱われていないのは、勉強としてはあまり……重要と思われていないからだとしても」
「心理的リアクタンス」
「……?」
「制限されたと、感じたら……進んで実行したくなる…………婚約解消って、婚姻が遠のくだけじゃなくて、築けるはずだった日々や感情……君の想像では愛も含まれている……それらが失われる。だから、君は”愛”の正体を知りたいと熱望して積極的に行動している」
「つまり?」
「善悪、年齢は無関係。そういう心理状態だという事実だけ。それに」
オルトの手が、そっとメロディの頬に触れた。顔を上げると仮面の眼球部の反射面では、銀髪を高い位置でまとめた少女が紫の瞳を揺らしていた。
「君は決めつけが過ぎるきらいがある」
「ご、ごめんなさい」
「相談してくれるなら、僕は協力する」
「いいの?」
「時間、あるの? 協力、いらない?」
「……ありがとう、オルト」
気分を変えようと、メロディは紙をまとめていたリボンの一端を引いて解いた。手櫛で軽くほぐせば銀髪は緩やかに重力に従った。
「範囲についてだけれど、何を知りたいのか明確にするという認識で良い?」
「うん」
「ならば、決めたわ! わたくしは、〝真実の愛〟を知りたい――自らの言葉で納得できる定義をしたい」
「仮説や仮定は?」
「仮で良いのよね……そうね、おかしな表現だけれど、真実の愛は、ハンカチのようなものだとしてみる。要点は、3つ。ひとつ。角が合わさるように、ぴったり重なる相手が存在する。ひとつ。折り目がつくように、経験は残るし想定可能である。そして……ひとつ。ひろげても、すべてがきれいまっさらになるわけでは無い」
メロディは「どうかしら?」と尋ねた。オルトは満足そうな友人に首肯をひとつ返した。
「婚約解消したこと、後悔は?」
「無いわ、しかたなかったのよ」
つまらなさそうに答えると紅茶で喉を潤して続ける。
「心理学については少し知っているの。人の心理をすべて解き明かすなんて、世界学術機関すらたどり着いていない極地でしょう? 知りたいことを研究することでその一角を担う資格を獲得できるなら、不安よりも期待のほうが大きい!」
「……それなら、何も。……君が良いなら、それで良い…………」
オルトはペンに朱色のインクをつけると15の点が配置された紙に図形をふたつ描きいれた。それを受けとったメロディは満足した旨と感謝を伝えた。
間もなく離れにやってきた執事に呼び戻されるメロディはもう一度感謝を伝えた。
退室する直前、「ああ」と、何か思い出してふりむく。
「えっと……ふぉるらすかっと、だったかしら?」
オルトはわずかに思案したが「フォレルスケット」それだけ答えた。
「行き詰ったらまた相談に乗ってね」
メロディの言葉にオルトはこくりと一度だけうなずいた。




