婚約破棄され追放された伯爵令嬢、祖国を売ります 〜今更過ちに気づいても手遅れです〜
恋愛要素は極薄、ざまぁ100%です。それでも許せる方のみどうぞ。
「ソニア・ルーベント伯爵令嬢。お前のような悪女は俺の婚約者に相応しくない。よって、お前との婚約を破棄する!」
それは、建国百周年を祝うパーティーでのことだった。
エスコートしてくれるはずの婚約者がいつまで経っても現れず、待ちぼうけを食らってぼんやりと会場内に佇んでいた伯爵令嬢ソニアは、突然の指名に驚いて振り向いた。
そこにはまっすぐにこちらへ指を突きつける婚約者の姿。彼の名前はティモシー・ラエウスといい、一応はこの国の王太子である人物だ。
なぜ一応など言うかといえば、彼の公務の多くをソニアがおこなっているから。顔だけの無能、それならまだしも最近は婚約者のソニアに贈り物もせずパーティーがあってもちっとも迎えに来ない。今日は仕方なしにルーベント伯爵家の馬車を出してこうしてやって来ているが、建国記念祝賀祭の日にこの扱いはあまりにもひどいと思い、抗議しようと思っていたところだった。
だが今、我が婚約者ティモシー王太子はなんと言った?
「ご機嫌麗しゅう、ティモシー殿下。殿下をお待ちしていたのですが、いらっしゃらなかったので独りで参りました。殿下の身に何かがあったのかと思って心配しましたが、ご無事なようで安心いたしました」
「そんなことはどうでもいい。お前はネルを暗殺しようとしたな。身に覚えがないとは言わせんぞ。もう一度言ってやる。ソニア、俺はお前との婚約破棄をここに宣言し、貴族籍剥奪の上、王都追放処分とする」
「……は?」
ソニアははしたなくも、素っ頓狂な声を上げてしまった。
この王子、本気なのか。最初の言葉は聞き間違いであってほしかったがどうやら違うらしい。馬鹿じゃなかろうか、とソニアは思った。元々馬鹿だというのは知っていたがまさかここまでとは。
そしてティモシー王太子の横にいる女。あれは誰だろう。多分彼女がネルなのだろうが、会ったこともないし今まで名前すら知らなかった。そんな人物にどうしてソニアが暗殺を企んだとかいう話になっているのか全くもって理解できなかった。
「すっとぼけても無駄だぞ。ネルが勇気を出して訴えてくれたんだ」
「あぁ、ティム様……」
しかも女は王太子にしなだれかかり、彼を愛称で呼んだかと思うと目をうるうるさせながら見上げている。そういう関係なのだなとすぐにわかった。これはソニアへの自慢のつもりだろうか。
そもそもソニアに対して何者かを自ら名乗らない時点でおかしい。ソニアは未来の王太子妃として様々な人物と交流してきたが、下級令嬢でもこんな下品な人物には出会ったことがない。そう考えるとネルは平民かも知れない。そういえば数ヶ月前に単身での視察という名のお遊びに出て行った後からティモシー王太子の様子が変わったのを思い出し、きっとあの時に出会ったのだと結論づける。多分もうデキているだろう。
本当はこの婚約は国王が幼い頃のソニアに将来有能になるだろうと目をつけ、権力志向が強いルーベント伯爵に話を持ちかけたのであり、破棄などすれば大ごとになるのは火を見るより明らかだ。
しかしソニアはもうこの婚約に対してどうでもいいと思い始めていた。貴族籍剥奪と王都追放という重罪人に言い渡すような処分付きでの婚約破棄。よく調べもせずに、どうせネルという女の訴えだけを聞いて判断を下したのだろう。心底呆れる。ここまでやられるともう付き合っていられなかった。
「……わかりました。誓って彼女を虐げてなどおりませんし、そもそも初対面ではありますが、殿下からの婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「泣いて俺に縋ると思っていたのにつくづく可愛げのない女だ。衛兵、その罪人の女を連れて行け。……ネルはあんな女より何十倍も可愛げがある。お前こそ王妃に相応しい者だ」
「あぁ、ティム様……」
ティモシー王太子はその後ずっとネルと濃厚なキスを交わしていたようだが、全くもって興味がないのでソニアは衛兵たちに連れられるがまま会場を引き摺り出されて行った。
もう元婚約者となった彼にもこの国にも何の未練もない。
「後はどうぞご勝手に」
ソニアはそう呟いて、目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
罪人呼ばわりされ、王都を追放されたソニア。
もちろんもう貴族令嬢ではないからして生家へ戻ることもできない。戻ったとしても娘を道具としか思っていない父は大激怒するだろうから戻る気などさらさらないが。
「さてこれからどうしましょう」
ドレスを売り払えばある程度の金にはなるが、それ以外何も持たされていない身だ。すぐに金は尽きるしその後どうやって生きていくかの道筋はまるでない。
しかしソニアはそこまで気落ちしていなかった。何せ自分は王太子妃として身につけた知識がある。言語は主要な国のものなら全て流暢に話すことができる。真っ先に思い浮かんだのは通訳の仕事だが、身分を剥奪された状況では少し難しいだろう。
もっと現実的な方法――それを考え、ソニアはふと閃いた。
「そうです。せっかく得た知識、存分に使えばいいのです」
行き先は決まった。
ドレスを売り、代わりに麻布の服を纏って、彼女は徒歩でその場所へと向かう。
幸い距離はそこまで遠くない。せいぜい歩いて五日というところだろうか。元貴族令嬢の身には厳しかったがそれでも不満ひとつ言わず、ソニアは歩き続けた。
――そして。
「何者だ。名を申してみよ」
「ソニア・ルーベント。ラエウス王国のルーベント伯爵家の娘だった者です」
数日後、彼女は一人の男と対面していた。
漆黒の髪に燃え盛るような赤の瞳の彼は、バッキルス帝国帝王バージル。祖国ラエウス王国の隣国で、過去には戦争をしていたこともある巨大な軍事国家の王だった。
真紅の玉座に掛ける彼を見上げるソニアは、この場に見合わぬ麻布の衣装で、しかし貴族令嬢らしく凛と佇んでいる。
「ラエウスの者か。して、そなたの発言を確かめるものは」
「これでございます」
ソニアが提示したのは、懐に忍ばせておいた青い宝玉。
実はそれがラエウス王国の王太子の婚約者としての証だった。婚約破棄をしたのにそれを奪い忘れるとは、ティモシー王太子はとんだ馬鹿としか言えない。だがそれが今度ばかりは助かった。
「なるほど。隣国の情報はすでに聞き及んでいる。そなたが追放された伯爵令嬢というその話、信じよう。
では問おう。そなたは何のために余の前に現れた? もしや余に求婚でもしにきたか」
「いえ、そのような恐れ多いことはいたしません。私はあなた様、バージル陛下と取引をしたく参りました」
「取引?」
「そうです。文官としてでも何でも構いません。私にこの国で安心して暮らせる地位をください。その代わりとして私が提示するものは、ラエウス王国の機密情報です」
「――――」
「すでに私は王太子妃教育を終えていた身。ラエウス王国のあらゆることを存じております。それを利用していただいて構いません」
ソニアの言葉に、帝王バージルが驚いたようにほんのわずかだが目を見開いた。
それから深く熟考するように目を閉じ、一言。
「……悪くはないな」
そう呟いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ティモシー・ラエウスは塔の中に監禁されていた。
愛するネルとも離され、今は一人。監禁十日目にしてすっかり泣くのも喚くのも疲れてしまい、どうしてこうなったのだろうとぼんやり考えるだけだった。
ソニアという悪女を追い出したところまでは良かった。だが、彼女が王国の秘密を知っていたのに追放したのがいけなかったらしく、父王からひどく叱られて幽閉されたのだ。
ネルは今どうなっているのか、わからない。
そんな彼の耳にふと、外からの騒がしい声が耳に入る。
もしかすると兵たちが自分のことを解放しに来てくれたのだろうと期待したが、すぐにそれが違うことがわかってしまった。だってその声は悲鳴だったから。
この時何が起こっていたのか、ティモシーがそれを知ったのは数時間後だった。
すっかり静かになった頃、やっと扉が開かれ、何者かが現れる。しかしその何者かは決してティモシーを助けに来てくれたのではなく、なんと隣国の軍隊だった。
「どうして……」
「余はバッキルス帝国帝王バージル。そなたに死刑を宣告する」
「なっ!?」
「ソニア・ルーベントを追放したのが間違いであったな、元王太子よ。もはやラエウス王国という国はない。王族ともども滅んだからな。今日より我がバッキルス帝国の領土となった」
ティモシーは今自分が何を言われているのかさっぱりわからない。いや、わかりたくなかっただけかも知れないが。
そんな中ただ一つ心配だったのはネルの安否だった。
「ネルはどこにいる。ネルは今、どうしているんだ!」
「ネル? ああ、ソニア・ルーベントの話にあったはしたない女のことか。あれならつい先刻その場で死刑とし、晒し首にした」
「嘘だ。ネルが死ぬわけがない。だってネルは俺の婚約者だ。俺の妃になるのに相応しい女だ。ああ……あぁあああああああ――!!!」
喉の奥から雄叫びを上げ、床に突っ伏すティモシー。
その姿にもはや王子としての威厳など欠片もないが構わない。彼は心のままに泣き叫んだ。
「畜生、どこで間違えたんだ。俺は正しかったはずだ。悪は滅び正義は勝つ。そうだろう? それともあの悪女が悪ではなかったとでもいうのか。俺たちが悪だったというのか。なぜネルは死なねばならん。なぜ王国は滅びねばならん! 俺の、俺の婚約者だ。俺の王国なんだ。俺は、俺は……それすらも、守れなかったのか」
「そうだ、元王太子。そなたは道を違えた。ソニア・ルーベントを突き放した時点でそなたらの終焉は決定されたのだ。だがまあ、今更過ちに気づいてももう遅いがな」
とどめの一言と共に、帝王の手にしていた長剣がきらりと光る。
そして次の瞬間ティモシーへ迫り、彼の首から上を吹き飛ばしていた。
これがラエウス王国の呆気ない最期であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
全てが終わった後、ソニアは満足した気持ちで帝王から一部始終を聞いた。
あの国に未練はない。政略の駒としてしか見られなかった今までの寂しく辛い半生がこれでやっと報われたような気さえした。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だ。さて、こうして成功した以上、条件通りそなたに何か地位を差し出さねばならんな。
ではこうしよう。そなたには名誉伯爵位を授ける。構わぬか?」
「はい。陛下のご配慮、感謝いたします」
名誉伯爵。まあ、それくらいが妥当だろう。
それだけで帝国での暮らしやすさは随分変わるに違いない。ティモシーと違ってきちんとこちらのことを考えて動いてくれたバージル帝王に感謝し、そのまま帰ろうとしたソニアだったが、なぜか彼に呼び止められた。
「少し待て。もう一つ、話しておきたいことがある。こちらは褒美とは別に余のわがままとなるのだが」
「……? 何でしょう」
「そなたを余の妃候補としたい」
ソニアは一瞬、何を言われたかわからなかった。
「妃、候補?」
「そうだ。追放されても動じず、我が帝国へ祖国を売るというそなたの逞しさと豪胆さに惚れた。もちろん、無理にとは言わないが、それでも」
真摯な目で言われ、ソニアは戸惑ってしまう。
そして返す言葉をしばらく考えたが、結局その場ではまともな返事が出せる気がしなくて、逃げ出すように帰ったのだった。
しかしそれからソニアは帝王からの猛攻撃、もとい度々のプロポーズを受けて最後には妃となることが決まるのだが、それはまた別の話。