第一章 ~『押入れから罠を張る』~
ジークを罠に嵌めるため、クレアたちは王宮にあるクリフォードの私室を訪れていた。必要最低限の家具が並べられた機能美溢れる空間だ。彼らしい内装だと、部屋に足を踏み入れたクレアは微笑んだ。
「なにもない部屋にガッカリしたかい?」
「派手好きより、むしろ好印象よ。掃除が行き届いているし、優秀な使用人が仕えているのね」
「……僕だよ」
「え?」
「性分でね。自室の掃除を人に任せるのは嫌なんだ」
王族とは思えないほど庶民的な彼に驚かされる。弟のジークが、面倒な仕事をすべて使用人に任せていただけに、本当に兄弟なのかと疑いたくなるほどだ。
「さて、時間もないし、本題に入りましょうか。私は押し入れに隠れるから、あなたはこのメモの通りに行動してね」
クレアがメモを手渡すと、クリフォードは内容に目を通す。大きく見開かれた瞳から、驚いていることが伝わってくる。
「このメモの通りで本当にいいのかい?」
「もちろん」
「でもこれだと騙すことにはならないよ」
「いいの。筋書き通りに進めば、騙さなくても破滅させられるから」
「君がそこまで言うなら……」
「ふふ、迫真の演技を期待しているわね」
「努力してみるよ」
クレアは押入れに隠れると、その隙間から室内の様子を伺う。クリフォードは、そわそわと来訪者を待つが、すぐに待ち人は現れた。
ノックと同時に、「兄上、失礼します」と、扉が開かれた。入室したジークは、神妙な面持ちで、クリフォードを見据える。
「ジークが僕に用事とは珍しいね」
「実は相談したいことがありまして」
「相談?」
「婚約破棄について教えて欲しいのです」
単刀直入な相談の仕方に、押入れから様子を伺っていたクレアは呆れてしまう。同じことをクリフォードも感じたのか、苦笑を漏らした。
「駄目だよ、ジーク。婚約破棄は重罪だ。それに君の婚約者のクレアは、この国でも有数の美人だし、筆頭公爵の令嬢でもある。捨てるなんて勿体ないよ」
「兄上には分かりませんよ。クレアは内面に魅力がありませんし、一緒にいるだけで疲れるのです」
「でも婚約破棄は駄目だよ」
クリフォードの言葉には強い意思が込められていた。温和な彼らしくない口調に、さすがのジークもマズイと感じたのか、誤魔化すように視線を逸らす。
「ち、違うのです。私がクレアに不満を抱いているのは真実ですが、婚約破棄は男友達の話なのです」
「友人だとしても結論は同じさ。婚約破棄は破滅を意味するよ」
「具体的にはどのような罰があるのですか?」
「まずすべての財産を慰謝料として支払う必要がある」
「それなら一時的に財産を第三者に預けることで回避できそうですね」
慰謝料が財産すべてなら、支払い能力をなくしてしまえばいい。誰もが一度は思いつく解決策だが、クリフォードは首を横に振る。
「財産はその方法で回避できるかもね。でももう一つの罰。こちらが問題だ」
「地位の没収ですよね。貴族の地位を他人に預けることはできませんから。厳しい処罰ですよね」
「少し誤解しているね。奪われるのは貴族としての地位だけじゃない。平民以下、つまりは奴隷に堕ちるんだ」
王国では借金を払えないものや、罪を犯した者が奴隷として売られることがある。奴隷は購入者の命令に絶対服従を強いられるため、王国でも最底辺の地位であり、生き地獄を意味していた。
「しかも奴隷の所有権は、慰謝料として支払われる。つまり捨てた女性に、一生、飼い殺されるわけだね」
「…………」
罪の重さを理解したのか、ジークは黙り込む。だが何度か逡巡した後、蚊の鳴くような声を絞り出す。
「兄上、罰は避けられないのですか?」
「有責だと認めれれば、無理だね」
「最悪な法律ですね。真に愛し合う二人が一緒になれないとは……」
「婚約を破棄すると女神への冒涜に繋がるからね。仕方ないさ」
宗教観が基に生まれた法律のため、王族ですら無視することができない。絶対の法律にジークは絶望したかのように、肩を落とす。
「抜け穴はないのですね……」
「あるよ」
「本当ですか⁉」
「さっきも言っただろ。有責だと認められれば、罰が発生すると。つまり婚約破棄の理由が女性側にあると証明すればいいのさ」
「さすがは兄上!」
見つかった光明にジークは瞳を輝かせる。
「それで、どのような方法で女性側に非があると証明すればよいのですか?」
「婚約は愛を育む義務が生じるからね。女性が努力を放棄したと証明すればいい。例えば、会うのを拒否したりなんかが代表的だね」
「それを証明するのは難しいですね……」
クレアはジークが浮気していると知るまで、愛情を訴え続けてきた。手料理だけでなく、手紙で愛を綴ったこともある。
(私が愛を育む努力を放棄したとは認めさせないわ)
提出できる証拠も無数にある。裁判になっても負けはない。
「兄上、他に方法はないのですか?」
「ないわけではないよ。その男友達が浮気相手と真なる愛を結んでいたと証明できれば、女性側を有責にすることも可能だ」
婚約しているなら、その愛は不変のはずだ。
だが気の迷いや私欲ではなく、その浮気が真なる愛だと証明できれば、女性の努力義務の放棄を理由に婚約破棄が成立するのだ。
「でもこの方法は困難だよ。なにせ証明するために、女神の水晶を使うからね」
「真に愛し合う者同士が触れることで輝く宝玉のことですね」
宝玉は国王が所有している神の遺物で、婚約破棄の裁判で使われる。リスクを背負ったものだけが挑戦できるため、王族であるジークですら実物を目にしたことはない代物だ。
「もし宝玉が輝けば、女性側が有責になる。なにせ、浮気相手に走らせたんだからね。でも……今までの裁判で光ったケースは一度だけだ。ほとんどの者が破滅を迎えている」
クリフォードは忠告するが、楽観的なジークはその言葉を聞き流す。嬉しそうに笑みを浮かべると、背を向けた。
「兄上のおかげで、光明が見えました。ありがとうございます」
嬉しそうに退室するジーク。そんな彼を見送った後、クレアが押入れから姿を現す。
「僕の演技はどうだったかな?」
「上出来よ。俳優になれるほどにね」
話の展開はすべてクレアの脚本通りであり、ジークは彼女の掌の上で踊っていた。それを知っているからこそ、クリフォードは疑問を抱いていた。
「本当のことを伝えて良かったのかい?」
ジークに教えた婚約破棄の方法には嘘が混じっていない。宝玉が光れば、クレアは破滅することになる。
「嘘は駄目だもの。裁判の時に心象が悪くなってしまうわ」
「でも危険な賭けになるよ」
「そんなことないわ。なにせ私は勝ちを確信しているもの」
「凄い自信だね」
「ええ。だってそうでしょ。あの男爵令嬢、王子二人と付き合っていたのよ。そこに愛があると思う?」
宝玉は真なる愛を証明した時に輝くのだ。クレアはアンナには裏があり、そこには打算的な感情があると睨んでいた。
「あの男爵令嬢の仮面の下を暴くのが今から楽しみだわ」
クレアはジークだけではない。アンナにもまた罰を与えるつもりだった。口角を釣り上げて、憎い相手の破滅を願う彼女は、まるで物語に登場する悪役令嬢のようだった。