第一章 ~『覗いていた、お嬢様』~
「と、あの馬鹿王子は私との婚約破棄を画策しているわ」
クレアは茂みの影からジークたちの様子を伺っていた。傍には相棒のクリフォードの姿もある。
「凄いな。まさか、唇が読めるのかい?」
「読唇術は淑女の嗜みだもの。あなたも王族なのだから使えるでしょう?」
「さも当然と同意を求められても……読唇術が使える人と会ったのは君が初めてだよ」
「勿体ないわね。便利なのに」
特に浮気調査には有効だ。読唇術で得た情報は証拠にならずとも、状況の分析には使える。少なくともジークはクレアに未練さえ感じていない。法がなければ、すぐにでも切り捨てる心積もりだと知れたことは大きい。
(これで心置きなく、ジークを破滅させられるわね)
元々、覚悟は決めていたが、最後の最後で良心が働くのではと自らの優しさを危惧していたが、その懸念も消えた。これで憎い相手として冷酷に成敗することができる。
「それにしても苛立つくわね。まさか私の手料理を他人に作らせていたと誤解していたなんて……愛情を踏みにじられた気分だわ」
「君は調理まで得意なのかい?」
クレアはその美貌だけでなく、学業成績もトップクラスで読唇術まで使える天才だ。だからこそクリフォードは調理の才能まで持ち合わせていることに驚かされていたが、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「私に調理の才能はなかったわ。手を傷だらけにしながら努力したの。おかげで王宮の調理人に負けない腕前に成長できたわ」
「君は強い人だね……」
「ふふ、そうね。私は強いわ」
だから浮気されたからと泣き崩れはしない。淡々とやるべき復讐を成し遂げるだけだ。
「話を戻しましょうか。これからの展開についてだけど、きっとジークは私を有責にして婚約を破棄しようとしてくるわ」
「それはマズイね」
「逆よ。いい風向きになってきたわ。あとは、あの馬鹿王子を罠に嵌めるだけね」
最も厄介なのはジークに守りに入られてしまい、決定的な証拠を押さえられなくなることだ。その点、クレアとの婚約を破棄しようと動けば、付け入る隙が生まれるし、行動も読みやすくなる。
「ここからはチェスと同じね。チェックメイトまでミスをしなければ私の勝ちよ」
「ジークが次に何をするのかが分かるのかい?」
「私との婚約破棄の方法を調査するそうよ。なら行動は予想できるでしょ」
「本でも読むのかな?」
「私たちならそうね。でも相手はジークよ。本を読むと思う?」
「読まないだろうね」
ジークは学園での講義も、いつも気だるげに耳を傾けており、真剣さがなかった。身体を動かすことは得意な一方で、勉強が苦手だったからだ。
「ジークのことだから詳しい人に訊ねるでしょうね。でも友人は馬鹿ばっかり。騒ぐことしか能のない奴らは頼りにならないわ」
ケニスも含めて、ジークと似たタイプの友人しかいない。そのため法律の相談相手からは除外される。
「でもジークは僕と同じで王族だ。命じさえすれば、王宮で働く使用人や大臣たちから話を聞くこともできる」
「いいえ、それはないわ。信頼できない相手では邪推される危険があるもの」
悪い噂が流れるリスクにも繋がる。故に彼が相談する相手は、法学の知識があり、かつ信頼できる相手に限られる。
候補は一人しかいなかった。
「きっとジークはあなたを頼るわ」
「僕をかい⁉」
もちろんジークは、アンナとの関係を秘密にしたまま助言を求めるだろう。彼に助言する形で行動を誘導すれば、浮気を自白させることも不可能ではなくなる。
「ふふ、楽しくなってきたわね」
これから準備で忙しくなると、クリフォードの手を引く。強引だが、どこか悪い気はしないと、彼の口元に微笑が浮かぶのだった。