15話 乙女の象徴
私たち……私とアキラと皐月は魚釣りを終えて、灯子たちの所に行くことにした。
事務所に行くと、もう取材に来ている人はいなくなっていた。事務所には社長とマネージャーのユキがいた。
「灯子はいますか」
「灯子ならスラム街へ行きましたよ」
「そうですか。それなら、スラム街に行きましょうか」
「あ、恵。送って行ってあげなさい」
「はい……」
恵が奥の方から出てきた。私たちは恵に連れられて、スラム街へと行くことになった。
「恵。元気ないわね」
「そ、そうかな」
恵は少し眉が下がり、猫背になっていた。気分があまりよくないのだろう。
「そうよ。何か手伝えることがあったら、言ってね」
「ありがとう」
恵は大きく深呼吸をした。
「私、イヴを探してるって言ったじゃない。でも、全然見つからなくて」
恵は立ち止まり、私たちを見てにっこりと笑った。
「上司に怒られる。ううん、解雇されるかもしれない」
「上司? 解雇?」
「仕事でイヴを探しているの。それで、イヴをね、探知できる……道具があるの。最近、反応が強くて。でも、どこにいるかが特定できない」
「そうなんだ。いつから、反応が強かったの?」
「そうね。杏奈たちが金星に来た日かしら」
私はその言葉にドキリとした。イヴ……誰なんだろう。アキラが私をイヴだと言ったことから始まったんだった。アンネリーにもイヴだと言われたし、マーキュリーやビーナスにも……。私がイヴということはないんだけど、私に似た人がいるのかしら。それに、アキラはイヴを探してて、そのイヴが好きなのよね。じゃあ、この前の告白は。
「杏奈?」
恵に顔を覗き込まれていた。
「ごめん。考え事してた。そのイヴを探さないと仕事にならないの?」
「全く仕事にならない訳ではないの。でも、イヴがいた方が仕事しやすいの」
私はアキラの方を見た。口を閉じて前を向いているだけだった。イヴの話なのになぜか会話に入ってこない。
「イヴってそもそも何なんだ?」
皐月が会話に入ってきた。
「人の名前よ」
恵が答えた。皐月がまた口を開こうとした瞬間、アキラが皐月の口を抑えた。
「見つかるといいよな。反応が強ければ見つかるのも、もうすぐなんじゃないかな」
アキラが恵を励ました。皐月はアキラの手をとっぱらった。
「何すんだよ」
「それより、そろそろスラム街じゃないか」
アキラが指をさすと、スラム街の入り口らしきところがあった。
遠くから、歌声が聞こえる。
「灯子かな」
私たちは歌が聞こえる方へと向かった。入り口の階段を下りて、狭い通路を進んだ。進んだ先は広けて、噴水があるところに着いた。
灯子が噴水の縁に立ち、歌っていた。周りでは子どもたちを含め多くの人が歌を聞いていた。みんな動物族だ。
私たちは後ろの方で聞くことにした。澄んだ歌声と、希望に満ちた歌詞が私を包んだ。
すると、私の目からなぜか涙がこぼれた。
「姉さん、これ」
皐月がハンカチを渡してくれた。
「ありがとう」
「姉さんも感傷に浸るとかあるんだな」
「失礼ね」
歌が終わり、拍手が巻き起こった。灯子は深くお辞儀をした。みんなは灯子に握手を求めたので、灯子は噴水から下りて、みんなに囲まれた。
「んー。話せなさそうね」
「出直すか?」
「そうね。恵、連れてきてくれたのに、ごめん」
「いいのよ。杏奈たちと話せて良かった」
私たちは、スラム街から引き返そうとした。その時、目の前に金色の長い髪の女性……ビーナスがいた。
「奇遇ね」
「ビーナス。なんでここに?」
「私、アカリのファンなの。ゲリラライブやるって噂を聞いて来たのよ」
「ねえ、イヴって何なの?」
私は恵がいたのにも関わらず聞いてしまった。
「んー。乙女の象徴かしら」
「どういう意味?」
「私も、そんなに詳しくないのよ。じゃあ、またね!」
ビーナスはそう言って、また足早に逃げていった。
「イヴが乙女の象徴……」
恵がビーナスの言葉を反復した。
「ビーナスさんっていう、さっきの人はイヴを知っているの?」
「わからない。でも、私たちよりは詳しいかも」
「私、追いかけてくる!またね!杏奈」
恵はそう言って、ビーナスが走っていった方へと向かった。
「イヴが乙女の象徴ねえ」
皐月は、ビーナスの言葉を繰り返して、私をまじまじと見た。
「何よ」
「姉さん、度々イヴって人と間違えられてるけど、全然乙女ではないなと」
私は、皐月の頬をつねった。
「いてててっ」
「誰が乙女じゃないってー!」
「わ、悪かったって。姉さんは乙女ですよ」
棒読みだ。それがわかったので、さらに頬をつねった。
「杏奈は可愛いよ」
アキラが、すかさずそう言った。
「な、何よ。突然」
「乙女だと思うけどな、俺は」
「そう? そうよね。皐月ってば目がないんだから」
「目がないのはアキラの方じゃないのか」
皐月がまた余計な事を言ったので、また頬をつねってやった。ほんのり赤くなってる。
「これから、どうする? 灯子には後で会いに行くとして」
アキラが流れを無視して、言った。
「そうね。一旦、宿屋に帰りましょうか」
私たちはスラム街から離れて、宿屋へと向かうことにした。
夜になり、昼間にとった魚が夕食に出た。この宿屋で食べる食事の中で一番豪華だった。
アキラの前には金色の魚が焼かれて置いてあった。焼いても金色なのか。すごいわね。
「動物が取った魚をよく食べられるよな」
声のする方を見ると、ラミハルがお盆を持って立っていた。黄色の小さな魚が乗っている。
「そういう言い方は良くないぜ」
アキラは適当にあしらった。それが、気に食わなかったのか、今度は私を睨みつけて、こう言った。
「動物の野蛮さがうつったら大変だから、あっちに行ってくれないかな」
「その動物って言うのをやめなさいよ」
私が反論すると、楽しそうに笑った。
「あー。動物が言葉を喋ってる!」
「私は人間よ」
「その耳と尻尾のどこが、人間だよ」
私は一度カツでも入れてやろうと思って立ちあがろうとしたら、セイライが立ち上がった。
「野蛮なのはどっち? あなたみたいに人を人だと思わない方が野蛮じゃないのかしら」
「セイライ……」
「なんだと!」
そこへ、ラミハルの両親がやってきた。
「うちの子に何か? 野蛮な動物め」
父親がそう言ったのを聞き、セイライはきっと睨みつけた。
「私たちは動物じゃありません。れっきとした人間です。あなたたちと何か違うんですか」
「はっ。同じだと? 笑わせる。動物を動物と言って、何が悪い」
セイライは、だんだん顔が青ざめてきていた。無理をしているのだろう。
私が助け舟を出そうとした時、一緒に旅行をしているヒュー族の老夫婦酒井さんたちがやってきた。
「野蛮人はどちらかわかりませんね。あなた」
「そうですな。人を理由もなく蔑む人はどうなのでしょうかね」
ラミハルやその両親は、二人の言葉に何も言えず、遠くのテーブルへと向かって行った。
「大丈夫ですか。お嬢さん方」
旦那さんの方が心配して話しかけてくれた。
「は、はい。ありがとうございました」
セイライが深々と頭を下げた。私も立ち上がってお辞儀をした。
「良いのよう。この国って変じゃない。動物族の偏見が多くて、大丈夫かしら」
奥さんの方が心配してくれた。
「私たちは大丈夫です」
私は答えた。
「そうかい? さっきの人たちも偏見がすごいだろ」
「私は慣れているので」
セイライはそう答えた。
「でも、杏奈が悪く言われるのは耐えられなくて」
「そうなの。友だち想いなのね」
「いえ、そんな……」
「さあ、料理が冷めてしまうよ。食べようじゃないか」
酒井さんたちは明るく言ってくれて、私たちは、再び談笑しながら食事にありつくことにした。