くるぶし、ころり
俺と死者との違いは、きっとこの足が縫い付けられているか、否かの問いのなかにある。ラジオは、電波を拾うと言う。だが、あれはそんな科学的なものではなくて、きっと──誰かの念なのだ。
俺は夜が嫌いだった。子どものころから、お化けという存在を唯一信じていた。夏がはじまり秋が終わるまで、何度も苦々しい思いをした。
なぜだか知らないが、暑くなると、他人は肝試をしたがる。うす暗く、切れかかった蛍光灯をたよりに、廃病院をうろついたり。妖しい墓場を訪れたり。肌が焼け、わずかに水着のあとが残る女子たちは、セミの鳴き声にまぎれ、ひそ……ひそ……噂話をささやいていた。
教室でじっと息を殺していた俺は、目をつむってもその内容に頭を巡らしてしまって、自分の心音すら気味悪く思った。
秋になると、最悪だ。
生きているくせに、亡者の格好で、血のりをニタニタ滲ませた男たちが、街を練り歩くようになる。ビール缶を片手に、プンと生臭さを放つドラキュラが倒れていたことがある。
キバが口からはみ出ていて、左肩をアスファルトに擦り付けるように寝転がる、ただのおっさんだ。
そんないかにも”生きている”人間にさえ、お化けかもしれないという疑いが生まれ、苛立ちつつも背を汗が伝った。
もう外にいることに参ってしまって、俺はとうとう、ラジオを聴くことにした。目を閉じて、電波の運ぶ音に耳を傾けたかったのだ。照明を最低限にして、歯車を回した。ラジオのざっという砂粒のノイズが、鈴虫の鳴き声と溶けあって、心地よかった。
すーぅっと、歯車を奥へ手前へと往復させた。ルーレットのように、何か心に引っかかる単語が聴こえるまで、回し続けるつもりだった。
それが間違いだった。
──k……ururu……
指が、ラジオに吸われるように張り付いた。言葉になりかけの音が、闇の中で鼓膜を揺さぶった。
──rぶ……るるるし。
「くるぶし」
俺が発したのか、それとも言わされたのかわからない。ただ、パッと青白いものが、頭の中に浮かんだ。はじめは何か分からなかった。"くるぶし"の単語が反響して、るるると痙攣する。
明かりひとつなく、触れているラジオ以外のすべてが、異質なものに変わってゆく気がした。
──「なあ、はがき職人の方、最近どう?」
舌か頭の回路がもつれたのか、そんな風に話しかけてしまった。一瞬、バカにするなよ、と眉をひそめる動きをして、葉山は振りかえった。
「なんだ芦屋。ラジオに興味あるん」
「あー、そう。なんか、最近聞き始めたばっかで、色々聴きたくて、うん……なんか、ごめん」
「何が?」
「いや、はがき職人って」
「あぁ、べつに。てか、俺に聴かなくても、マイペースに好きなもん探せばいいじゃん」
「昨日の放送でさ、ラジオ壊れたっぽくて」
「はあ?」
「あー、えっと」
「何だよ、何考えてるんだ?」
ああ、嫌だ。
なんだか薄気味悪い。怖いところは嫌いなんだ。暗がりはもちろん、人の気配が色濃くなるときも、そこには生き霊が棲みついている気がして……嫌なんだ。
──「それで?」
「そうだ、家来てくれよ」
「はあ?」
だめだ、これじゃあ流れがおかしい。もっと自然に、あの事を伝えなくては。なあ、葉山、お前ならわかると思うんだよ。なあ。
「お前って、見た目よりだいぶ変だな」
「そうか……いやとにかく」
「家って、お前どこに住んでるんだ?」
指の先から、汗のように、例のうすら冷たさで侵されているらしい。赤塗りのトタン屋根。みぞに引っかかっている、白い物体。
──「くるぶしだ」
「く……?」
そうだ、すべすべとしていて、青白く血管が通っていて、いじらしく震えている。
「ははっ、おかしいよな」
「いや……」
「葉山?」
「面白そうだな、実に」
ああ……ああ、あれは。
くるぶしだ。走ってきている。あれが飛び跳ねている。首のようなへこみに、紫の紐がかかっている。口がある。ひげがある。髪がある。尻尾がある。
ガラス玉のような、目がある。
──「何言ってるんだ」
くるぶしだ。くるくる、ころころ、生白い。バレエのように軽やかに、ひとり自律された動き。ゆるやかに伸びやかに、嗤っている。
──「足の一部に過ぎないだろう?」
「でも、不安なんだよ……」
どこか不安定な地面に座りこんだ。もやのような上履きに、触れた。さら、と紐が落ちていく。色が抜け、脱皮したヘビ殻のように、無気力にくたっている。
「いまも、足があるのか、って……」
──「安心しろ、それは違う」
じゃあ、じゃあ葉山……、なあ。おれのクルブシはどこに居るんだい。
ノイズが走る。
吸盤のような粘着が融け、俺は目が覚めたときの清々しさを思い出した。りーんりーんと、安らぎの鳴き声がする。
ラジオが、切れた。