赤い服の女さん
その女の存在はそれまでまったく認識していなかったのだ。
「えー? 知らんのー? うちの局出るのん、有名やでー」
「へー、そうなんすか」
先輩のパーソナリティーから話を聞いた。
局の階段の踊り場に、その女の霊はいると。
「なんでも、昔に女が飛び降りたとか?」
「へー。古いラジオ局だからそういう話もあるんですね」
「女はタレントか何かで? 嫌な相手に枕をせいとか言われて、身を投げたとか? そういう噂」
「わあ、昭和っぽい話」
今でもあり得そうな話だと思いつつ、そう言って遠い世界の話だと思おうとする。
「その女、なんか害があるんですか?」
「さー、知らんわ。別にないんじゃない。気にせんかったらええねん」
「じゃあ、最初から教えてくれなくてもいいじゃないですか」
「世間話やーん」
軽口の応酬といった感じで、その話は終わった。
あれ。本当にいる。
気づいたのは、それから数日後のこと。確かに、踊り場にたたずむ赤い服の女を見たのだ。
「あの噂って本当なんですね」
「なんですか?」
「だから、幽霊の噂ですよ」
番組スタッフに話しかけると、はっとした顔をされて口を手で塞がれた。
「あんまり言わない方がいいですよ」
「え?」
「知らないふりをした方がいいそうです。いると認知しない方がいいって話です」
「そうなの?」
妙に小声で教えてくれる。そういうもんなのか、とそれ以上話題に出すのはやめた。
「それでは番組に寄せられたお便りをご紹介していきましょう」
いつも通りに番組を進行していく。
「ラジオネーム『赤い服の女』さん」
そのラジオネームを読み上げた時、階段の踊り場にいる女の霊を思い出した。しかし、偶然の一致だろうとそのままお便りを読み上げる。
「吉木さん、はじめてお便りをお送りいたします。先日、気になることがあったのですが……」
数日後、局を訪れた時にまた階段の踊り場を見る。どうも、そこを確認するのが癖になってしまったようだ。
その女は以前よりはっきり見えるようになった気がした。以前は服の色がこんなにも鮮やかな赤色だったとは思えないのだ。
女の存在がはっきりと強くなってきている。そう思わされた。
いや、気のせいだろう。
「ラジオネーム『赤い服の女』さん」
このラジオネームの人は番組の常連となりつつある。毎回のように彼女からのお便りを読み上げるようになっていった。
そのたびに、あの階段にいる赤い服の女の霊を思い出す。
局に来るたびに、階段を見上げる。女の存在を確認する。
今では一連の流れが、日常の一部となりつつあった。
女の存在感は次第に強くなっている。ただその踊り場に立っているだけだった女が、あるときには階段に座り込んでいたり、ある時には手すりにもたれかかっていたり、いろんな動きをするようになったのだ。
その日も、今日はどうしているのかと階段の上を見上げていた。
「ちょっと!」
強い言葉で呼びかけられた。女の霊の話をするなと言った番組スタッフだ。
「こっち来てください」
腕を引っ張られて局の出口へと連れていかれた。
「そういうの、よくないです!」
局から外に出ると、強い口調で言われた。
「よくないって?」
「そうやって、まじまじと見たりするもんじゃないです。自然に視界に入る分にはしょうがないですけど、そうやって存在をわかっているという風に見るのは絶対によくないです!」
「……そうなの?」
「うまく説明できないんですけど、とにかくいないもんだと思って過ごしてください。あれの存在は無視するんです」
「……うん」
あんまり、彼が真剣に言うものだから、そういうもんなのかと思わされた。
「ラジオネーム『白いパンダ』さん」
なんとなく『赤い服の女』さんからのお便りを読むペースを落とした。ごく自然に思えるように、読む回数を減らしていく。
そうすると、あの女の霊を思い出すことも減ってきた。
階段を見上げることもなくなってきた。
「さて、今週のお便りはっと」
番組が始まる前にお便りの確認をする。まずラジオネームから確認していく。
一番上は『赤い服の女』さんだ。その下も『赤い服の女』さん、その下も『赤い服の女』さん、その下も『赤い服の女』さん、めくってもめくっても『赤い服の女』さん『赤い服の女』さん『赤い服の女』さん。
「吉木さん!」
「はっ」
寝ていたようだ。揺さぶられて、うつむいていた顔を正面に戻す。
視界に入ってきたのは赤い服。髪で半分隠れた顔は笑顔だった。
「あっ!」
「ラジオネーム『ミルク饅頭』さん」
いつも通りの日常だ。さっきの話は、夢の話である。ラジオネーム『赤い服の女』さんは、最近は滅多にお便りを送ってくれない。
あの女がそこにいるかどうか。
さあ、いると思えばいるんだろうし、いないと思えばいないんだろう。
視界の端に赤い色が見えている気がするが、気のせいである。