令嬢は酒場でミルクを頼んで祝福される
茶会からしばらく、アミーシャは寝込んだ。ベティが心配するほどに。
「ロルフ様……」
ロルフに会いたかった。エリックと婚約したことを伝え、もう二度と酒場には行けないことを言わねばならない。
いや本当は「そんな奴と結婚するな」と言ってもらいたかった。
自分をローメン家のくびきから解放して欲しかった。
アミーシャは決意する。
「ベティ、私出かけてくる!」
アミーシャは『スカム』に向かった。
酒場にはいつものメンバーが揃っていた。
久しぶりのアミーシャの来店に、一同は喜ぶが、その顔はすぐ悲嘆に暮れることとなる。
「婚約ゥ!?」とゴードン。
「そ、そんな……!」とユベル。
他の面々も大いに嘆いた。アミーシャはいつかロルフと一緒になると思っていたからだ。
だが、当のロルフは――
「……おめでとう」
「はい……ありがとうございます」
止めなかった。
アミーシャを想うなら当然の行為ではある。
前途有望な青年実業家と酒場に入り浸るアウトロー。令嬢の結婚相手としてどちらが相応しいか、わざわざ論ずるまでもない。
しかし、アミーシャは――
――どうしてなの?
――なぜ止めてくれないの?
――あなたが「そんな奴と結婚するな」と言ってくれれば私は!
叫び出したいような気持ちだった。
それなのに、できない。
ロルフがなぜそうしないのかも十分理解できているから。
「婚約した身になった以上、もうここには来られません。最後にお別れを言いたかったのです。皆様、どうかお元気で……」
ミルクを頼むことなく、『スカム』を去った。
ざわつく仲間たちを尻目に、ロルフは神妙な顔つきで、虚空を眺めていた。
**********
重い足取り。
どこをどう歩いたか本人も覚えていない。
それでもアミーシャはどうにか、我が家のある丘近くまでたどり着いていた。辺りはすっかり暗くなっている。
両親はともかくベティが心配してしまう……と足を速める。
声がした。
二人組の声。
見覚えのある顔。エリックとその部下とおぼしき人物だった。
なぜこんなところに。アミーシャはこっそり隠れる。耳を澄ますと、はっきりと話し声が聞こえてきた。
「もうすぐこのでかい家が俺のもんになるわけか」
「その通りです」
「ローメン家……こんなカビの生えた一族はすぐに俺が乗っ取ってやるさ」
明らかに茶会でのそれとは違うエリックの口調。
「しかし、油断は禁物かと」
「大丈夫さ。ここの当主はまるで狡猾さが足りてない。あの女と結婚したら、すぐに組織を刷新して、中核は俺の息のかかった者だけで固める。ローメン家を俺色に染めてやるさ」
「あの女……アミーシャはどうされますか?」
「頭は足りてなさそうだが可愛くはあった。まあせいぜい飼い殺しにしてやるさ。なんなら俺の玩具で遊んでやってもいい。いい悲鳴を上げてくれそうだ」
コレクションがどういうものを指すのか、アミーシャにもおぼろげながら察しがついた。
頭がくらくらした。
エリックはローメン家を盛り立てるのではなく、乗っ取るつもりだ。
ロルフとの別れ、エリックの本性。この二つの出来事を処理しきれず、アミーシャは過呼吸になりそうになるのを必死にこらえた。
せめて婚礼前に正体を知れたのは幸運だった、と思うしかない。
何とかしなければ……。
明日、父と母にこのことを報告しようとアミーシャは決心した。
**********
アミーシャの期待は裏切られた。
「お前、エリック殿と結婚したくないからって嘘をついてるんだろう」
「彼がそんなことを言うはずがないでしょう?」
一蹴された。度々の外出や茶会での湿った態度で著しく心証を損ねていたアミーシャの言葉は、両親には届かなかった。
ベッドで寝込むアミーシャ。
食事もせず、横になっているのに体力を浪費していく。
もうどうにでもなれ――という諦観が彼女を支配していた。
「お嬢様」
使用人のベティだった。
「どうしたの?」
「お嬢様がたびたび外出されていたのはおそらく想い人のところですよね? その方のお力を借りたらいかがですか」
「だけど……」
「お嬢様っ!」
ベティが怒鳴るなど、初めてのことだった。
「お嬢様が抱えている事情、私などではどうすることもできないでしょう。かといって指をくわえて見ているのも耐えられません。ですから私は私に出来ることを致します」
「……?」
ベティは無理矢理アミーシャを起こすと、
「えっ!?」
「お嬢様はじっとなさってて下さい。着替えさせますので」
「ちょっと待ってちょっと待って」
強引にアミーシャを外行きの服装にしようとするベティ。これには慌ててしまう。
「自分で着替えられるから! 大丈夫!」
「そうですか」
ニコリと笑うベティ。
ショック療法が功を奏し、アミーシャはすぐさま着替えた。
「ありがとう、ベティ。行ってくるね」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
お辞儀をする使用人の声を背に、令嬢は外へ出た。
**********
ロルフの元に向かう。
ロルフならきっと何とかしてくれる。
根拠はないが、アミーシャはそう信じて『スカム』のある町を目指した。
ところが――
「エリック……様……」
「やぁ」
エリックが待ち構えていた。なぜここに……。
「どうしてここにって顔してるね。教えてあげよう。君のご両親から、私がローメン家に邪な野心を持っているのか、なんて聞かれたからさ。もちろん否定したけどね」
「……!」
「まさかあんな時間に君が外にいるなんて思わなかったよ。とんだおてんばお嬢様だ。私はお喋りが好きだが、今後は控えないといけないな」
均整の取れたハンサムといえるエリックの顔。しかし、以前とはまるで別物に見える。
「今から君を私の家まで連れていくよ」
「え?」
「ご両親に許可は取ってある。婚礼までじっくり二人で過ごしてくれってさ」
「あ……あ、ああ……」
もし連れて行かれたら、何をされるか分かったものではない。おそらくは玩具で、従順な妻になるように“調教”を――
「いやぁっ!」
アミーシャは逃げた。恐怖で速く走れない。近くには誰もいない。
エリックの足音が聞こえる。追いかけてきている。リズミカルに、追いかけっこを楽しむように。
――誰か、誰か助けて!
アミーシャは心の中で叫んだ。
――助けてロルフ!
何かにぶつかった。
壁……ではない。誰かの胸板だと分かった。分厚い、とても逞しい感触だった。アミーシャが顔を上げると、
「アミーシャ……」
「ロルフ……様!」
ロルフがいた。
「どうして……?」
「ええと、やっぱりお前に会いたくなって……家に向かう最中だった」
運命の悪戯としか言いようがあるまい。
見つめ合う二人のところにエリックが駆けつける。
「なんだい、君は」
「俺はロルフという。お前は……エリックだな」
互いに事情は察したようだ。
「ふうん。まさかご令嬢にこんな野良犬みたいなボーイフレンドがいたとはね。しかし、今では彼女は私の婚約者なんだ。こっちに渡してもらおうか」
ロルフはアミーシャを抱き寄せると、
「断る」
「なに?」
「ちょうどいい機会だ。はっきりと宣言しておこう」
ロルフの腕の力が強まるのを感じる。
「アミーシャは俺のものだ」
「なんだと……」
「返して欲しかったら、この先の町にある酒場『スカム』まで来い。フッ、まるで悪党の台詞だが、酒場のアウトローには相応しい台詞だな」
ロルフは軽々とアミーシャを両手で抱え上げた。いつだったか「なーんてな」とはぐらかしたことを実現させた。
「酒場までこのまま行こう」
「はいっ!」
満面の笑みで、ロルフに掴まるアミーシャ。
残されたエリックは去っていく二人をいまいましげに睨みつけていた。
**********
『スカム』は大盛り上がりとなった。
なにしろもう会えないと思っていたアミーシャが戻ってきたのだ。
「その変な婚約者がどんな奴を連れてこようと俺が守ってやるぜ!」
息巻くゴードン。
「いやいや、俺が守る!」
胸を叩くユベル。
抗争する気満々の男たちに、ため息をつくロルフ。
「おいおい、なにも喧嘩するわけじゃないんだ。あの婚約者がやってきたら、とにかく話をしてみるつもりだ」
「話すって何を話すんだよ?」
「どちらが……よりアミーシャを愛しているか、とか」
なんだそりゃと皆が大笑いする。
アミーシャもつい笑ってしまう。この武骨さこそがロルフだ。
「いずれにせよ、女をムリヤリ従わせようとする奴にアミーシャは渡せないがな」
眼を鋭く光らせる。皆が迫力に息を飲むが、アミーシャだけはその姿に見惚れていた。
荒くれ者たちの興奮も収まってきた頃、酒場の戸が開かれる。
入ってきたのはエリックだ。
ロルフを除く男は一斉に怒りの視線をぶつけるが、表情の涼しさは崩れない。
「ロルフ君……はいるかな」
「ここだ」
「アミーシャさんを取り戻しにやってきたよ」
「なら、ここに座れ。争うつもりはない。じっくり話し合おうじゃないか」
「話し合おう……か。あいにくこっちはそういうつもりじゃないんだよね」
エリックが外にいる“誰か”を顎で促す。
「入ってきてくれ」
酒場に登場したのは――茶会で見たボディガード・ボルツ。
さっきまであれほど自信満々だった荒くれ者たちは凍り付いた。
町の喧嘩自慢などとは質の違う威厳と肉体を誇るボルツに、これは勝てないと悟った。
「どうしたい、みんな。ボルツの迫力にビビっちゃったかい?」
――ただ一人を除いて。
「よぉ、ボルツ」
気さくに話しかけるロルフ。
ボルツは目を丸くする。
「ロルフ隊長!?」
「『黒き狼』解散以来だから……一年ぶりか」
「まさか……あなたとまた会えるなんて……」
「みんなは元気か」
「ええ、それぞれ次の道を見つけて……」
ロルフとボルツは旧知の仲だった。
「お二人が『黒き狼』の隊長と副隊長だったのですか!」
「まぁ、そういうことだ」
ロルフは照れ臭そうに顔をそむける。
事態が思わぬ方向に向かってると気づき、エリックが怒鳴る。
「おいボルツ! 何をしてる! そのロルフとかいう男を叩きのめせ!」
「……できません」
「なにぃ!?」
「この人がいなきゃ今頃俺は生きてない。そんな恩人と戦えるわけがありません」
たちまちエリックの顔が紅潮する。
「ふざけるなよ……。お前はもう傭兵じゃなく、ただのボディガードだ。今の雇い主は誰だ!? この私だろうが! ここで戦わなきゃ、お前は誰からも雇ってもらえなくなるぞ! 分かってんのか!」
もはやクリーンな好青年の姿はない。それでも動かないボルツ。
とはいえエリックにも理はある。ボルツが彼に雇われ、報酬を得ているのは確かなのだから。
「ボルツ」
「はい」
「過去とか恩人がどうとかは関係ない。俺は久しぶりにお前と腕比べをしたい。全力でかかってこい」
「……分かりました」
ボルツが右拳を固め殴りかかる。
バキィッ!
ロルフの左頬を拳がえぐった。
頭が吹っ飛ぶんじゃないかという打撃だった。悲鳴を上げるアミーシャ。
「いいパンチだ。さすが、俺が最も頼りにした男だ」
ガゴォッ!
ロルフのアッパーカット。ボルツの巨体は打ち上げられ、そのまま一撃でノックダウンした。
その顔はどこか満足気だった。隊長の強さはあの頃のままだ、と言わんばかりに。
「ロルフ様、すごい……」
初めて目の当たりにしたロルフの腕前に、アミーシャの鼓動は高まるばかり。まるで物語に出てくる正義の騎士のようだ。
「二人とも化け物だったぜ……」
「今のパンチ二発で、俺は何回死ねるんだろう」
青ざめるゴードンとユベル。顔を見合わせ、苦笑いする。
殴られた箇所をさすりながら、ロルフはエリックに迫る。
「次はお前だな」
「ひっ!」
「部下を戦わせて、お前は戦いませんというわけにはいかないだろう」
「わ……わわっ!」
「言っとくが、アミーシャは最初この酒場にたった一人でやってきて、しかも堂々とミルクを頼んだ。お前みたいな腰抜けとは大違いだ」
ロルフの目は暗い光を帯びていた。この眼光だけで相手の寿命を減らせるのではと思えるほどに。修羅場を幾つも越えた者だけが出せる光。
「わ、私をどうする気だ……!」
「どうもしないさ。ただ、お前が清く正しい実業家とはとても思えん」
「ひ……ひいっ!」
「とりあえず、お前のやってきたことを全て吐き出させてやろう。覚悟するんだな」
ロルフは一切暴力を振るわなかった。ただ静かに語りかけるだけで、エリックは震え上がり自分のやってきたことを話した。
すると出るわ出るわ。違法商品の取引、商売敵を拷問にかける、女性に恨みを買うようなこともやっている。エリックの躍進には種も仕掛けもあった。
全て暴露した後は、抜け殻のようになっていた。
そして――
「エリック様」
「なんだ……」
「あなたとの婚約……白紙に戻させて頂きます」
アミーシャのこの言葉で、エリックはがっくりと肩を落とした。
「然るべきところに申し出て捜査させれば、こいつは終わりだろう」
「ロルフ様、本当にありがとうございました」
「……アミーシャ」
「なんでしょう?」
「そのロルフ様ってのは……もうやめてもらえないか?」
「え、なぜですか?」
「出来れば呼び捨てで呼んでもらいたい」
「わ、分かりました……。ロ、ロルフ」
「アミーシャ」
二人は抱き合った。互いの感触と体温を思う存分味わった。
**********
その後、エリック宅には国による家宅捜索が入り、彼が悪徳商人であることを示す数々の証拠が押収された。中には悪趣味な拷問器具まであった。
連行されるエリックの姿にかつての面影はなかった。
ロルフの過去も明らかになった。
『黒き狼』はある貴族に雇われた際、報酬を渡すのを渋った貴族に裏切られた。疲弊したところを私兵に狙われたのだ。ところがそれをいち早く察知したロルフが返り討ちにする。
非があるのは貴族なのだが、傭兵が上流階級の私兵を打ち倒すというのはやはり体面がよくなかった。
ロルフは責任を取り、隊を解散。自身は表舞台から姿を消した。噂が噂を呼び、『黒き狼』は伝説だけが残った。
残るは両親なのだが、父と母は二人の交際をあっさり許した。エリックの件もあるが、なによりロルフが元『黒き狼』隊長だというのが効いたようだ。
相変わらず肩書や権威に弱い、と少々呆れるアミーシャだった。
**********
交際を始めてからしばらくして、酒場『スカム』にアミーシャはいた。
ロルフの様子がいつもと違う。何かそわそわしている。
「どうしたの、ロルフ?」
「あ、いや……」
「今日はさっきから様子がおかしいわよ」
「そんなことは……ないぞ」
この男は隠し事ができない。アミーシャが小首を傾げ、上目遣いで問いただす。
「ロルフ、私たちの間に隠し事は無しよ」
「わ、分かった……すまない」
「これを……」
「?」
指輪だった。簡素な作りだが、赤い宝石が美しく輝いている。
「あまり高価な物じゃないが……これが精一杯で」
アミーシャの目が潤む。
「俺と……結婚してくれないか」
「はい!」
拍手と笑いが沸き起こる。いつもの野卑な笑いではなく、温かな笑い。心から二人を想うがゆえの笑い。
マスターが動く。
「アミーシャちゃん、俺からの奢りだ。好きなもんを頼んでくれ」
「はい! それでは……ミルクをお願いします!」
酒場『スカム』は祝福の声に包まれた。
~おわり~
以上で完結となります。
楽しんで頂けたら、感想や評価等を頂けると嬉しいです。




