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恋海獣

作者: 水男

天保9年(1838年)。江ノ島で人語を弁えるアザラシが見つかったと瓦版屋の記録が残っている。 そして時は2020年。次は、喋るカワウソが湘南に現れた。


常夏の湘南。僕は共同生活しているカワウソ、通称カワちゃん(♂)と縁側の窓を全開に開け、暑さにうなだれていた。そんなカワちゃんとの出会いは江ノ島横の腰越港で釣りをしていた時のことだ。


「腹が、減った」


某ドラマの松重さんのようなセリフが海の方から聞こえてきた。


不思議に思った僕は波止場から海を見下ろして見た。するとそこには波に揺られながら仰向けでお腹をさするカワウソがいた。


僕の存在に気づいたカワウソはその小さな手をクイっと動かし、物をよこせとジェスチャーで伝えてきた。


驚いた僕は立ち上がりざま、隣に釣ったアジを入れていたバケツを海にひっくり返した。するとカワウソは仰向けから即座に体をひねって泳ぐ体勢に。そのままアジに突進していった。


カワウソはアジをあっという間に平らげてゲップし、波に浮いていた木のささくれで、歯間をシーシーと掃除しだす。呆気にとられている僕を横目に見ながら、カワウソは「ありがと、助かったわ」と礼を述べてきた。


その時の出会いがきっかけで僕らは友達になった。そして今ではカワちゃんは我が家の居候兼大黒柱だ。


「暑い!なぁ水男、窓閉めてエアコンにしようぜ」


カワちゃんはうつ伏せで顎を畳に置きながら言ってきた。


「そろそろ行かなきゃ間に合わないべ。もう準備しよう。」


それを聞くとカワちゃんは慌ててシャワーを浴び、蝶ネクタイにサスペンダーで、きっちりとした正装に着替えてきた。そして僕はカワちゃんを電動自転車のカゴに一枚座布団を敷いて乗せ、目的地に向けて出発した。


正装して向かうは江ノ島水族館。目的はカワウソの展示部屋に行く為だが、お目当てはカワウソじゃない。飼育員の桜さんに会う為だ。先の腰越港で、仕事終わりに通りかかった桜さんも引き上げなど色々手伝ってくれた。


「ブッダは生まれてすぐ、天上天下唯我独尊と人生の抱負を述べたらしいわ。カワちゃんもブッダのように何か使命に目覚めて、喋り出したのかしら。でも最初の一言がお腹減ったなら、大した使命ではなさそうね。」


そう桜さんはケタケタ笑いながら言っていた。


そんなあっけらかんとしていて訳の分からないことを言う桜さんに僕たちは一目惚れした。


国道134号線を抜け、えのすいに到着。そして桜さんの職場である展示部屋に着いた。


桜さんはカワちゃんと僕を見つけると、しゃがんでニッコリ微笑んだ。すかさず僕たちは挨拶を返した。談笑も束の間、幼児たちがカワちゃんに興味津々で近づいてくる。


喋るカワウソとして一躍スターになったカワちゃんはどこにいっても人気者だ。最初は得意げだったカワちゃんも、流石に最近では対応が面倒になってきたらしい。そんなことで気怠げに幼児をシッシッと追い払うカワちゃんを、桜さんは窘めている。


ちなみに我が家はカワちゃんの印税のおかげで鎌倉の一等地である鎌倉山に引っ越せた。それだけカワちゃんの注目度は高いわけだ。


でもいくら人気者でもそんなこと塩対応しているとモテないぞと心の中でしめしめと思いつつ、僕も頭の中では桜さんと会話する話題を必死に考えていた。僕もカワちゃんも女性経験がないのだ。


そうこうする内になんだか陰気臭い男が僕の目に映った。そして後ろから馴れ馴れしく桜さんを呼ぶと、あろうことか桜さんは嬉しそうに振り返り、応えた。


その陰気臭い男は、桜さんの彼氏だった。


あの陰気臭い男が?僕とカワちゃんは自分らの容姿は棚に上げてそう思い、顔を見合わせた。しかも職場に来るようなタイプだ。


「おい、何だよ。桜さんは職場に来るメンヘラ彼氏持ちだったのかよ。」とカワちゃんは僕の肩に飛び乗り耳打ちしてきた。


僕たちのお姉さんの幻想は全て崩れ去っていった。


お姉さんにはメンヘラ彼氏がいた。その事実と自転車を引きずり、僕たちは江ノ島を背に帰路に着いた。


「帰りは由比ヶ浜の水着美女でも見て帰ろうぜ」と自転車の前のカゴで力無げに言うカワちゃんの背中には、哀愁が漂っていた。僕もつられてため息が出た。

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