第64話 戦えなかった理由
「炎!!」
手のひらに集中させ切った法力を咲夜が解き放つと、空中に炎の柱が3本、横向きに倒れた形で現れ、一瞬、空中で力を溜めたかと思った刹那、ブラックオーガを標的とし、そのまま高速で飛んで行った!
「ウガアアアッッ!!」
黒鬼は、炎の柱の一本をかろうじてかわしたが、一本を左足に受け、最後の一本は体へまともに直撃した! 高熱の炎はブラックオーガの体を燃え上がらせ、その火を何とか消さんとし、土の地面を巨体がのたうち回っている! その間、少しの打撃を受けたあやめは、ブラックオーガから十分な距離を取ると、ようやく体の火を消した黒鬼に、
「シッ!」
鍛錬された右腕と手首を使い、鋭い苦無を正確に投げつけた! 炎で怯み、完全に虚を突かれたブラックオーガの左目に苦無が刺さり、片目の視力を失った黒鬼は、混乱と恐慌でうめいている!
「せめて、苦しまぬうちに斬ってやろう。竜次! 参るぞ!」
「はい!」
ほとんど戦意を失いかけているブラックオーガの左右の脇で、駆けつけた竜次と守綱は、それぞれの刀を抜き、万全の戦闘態勢を取っていた。こうなれば勝利は近い。
「ガアアアァァッッ!?」
恐れで破れかぶれになったブラックオーガの膂力は、まだ凄まじかったが、闇雲な攻撃を喰らう彼らではなかった。大丸太のような右腕から繰り出される速い拳を竜次は見切ると、ドウジギリを大上段に振りかぶり、黒鬼の太い素首を一太刀で刎ね飛ばす! 断末魔の声を上げる苦しみも感じなかった怪物の首と体は、鈍く土へ音を響かせて落ち、そのまま大きな屍となり、やがて黒く光る宝珠へと変化した。
戦いが終わり、竜次と守綱は刀を仕舞い、咲夜は軽い打撲を受けたあやめの左腕を治療している。白い大岩壁の前に広がる草地では、再び騒々しい夏虫の合唱が広がり始めた。戦いの緊張感が解け、なんとなく竜次が後ろを振り返ると、そこには細腰で静かに立つ、狐耳の女がこちらを見つめていた。
「うまい具合に斬ってくれたようだね。ありがとう」
「仙さん……もしかして、ずっと見てたのかい?」
竜次の問いに、仙は微笑むだけではっきりと答えず、岩壁の方へ歩いて行く。ただ、その表情は柔らかく穏やかで、どことなく少し安心したようにも、竜次たちには見受けられた。そして、彼女が向かって行った先には、小さな墓石らしきものが、ポツリと一つ、大岩壁の傍へ置かれている。
「これは、お墓? 仙さんが戦えなかった理由って、もしかして……これ?」
「ふふっ、あんま言わないでおくれよ。私を好いてくれた男の前で、あまり乱暴を見せたくなかっただけさ」
そうとだけ言うと、仙は紫の袋から線香と数珠をゆっくりと取り出し始めた。透き通るような白い指が進める墓参りの所作は、どれを取っても非常に美しく、まるで仙女かと見紛うばかりである。