第60話 仙
取って食われるかというくらいに、庵へ入る前は考えていたのだが、とても意外なことに、九尾の狐は台所で茶菓の用意を手際よく行い、竜次たちの前へそれぞれ運び、振る舞った。古めかしく味がある湯呑に、適度な熱さのほうじ茶が香っており、茶の友に出された菓子はというと、薄塩味のせんべいであった。手で割って食べやすく、塩加減がちょうどよい。こんな手頃な嗜好品が、どうしてこんな山中の庵にあるのか、竜次、守綱、咲夜、あやめは、美味しく頂きながらも不思議に思わざるを得ず、小首をかしげて考えている。
「そのおせんべい気に入ったかい? ふふふっ、お茶にもおせんべいにも、妙なものは何も混ぜてないから、安心してお食べ」
日本にもアカツキノタイラにも、狐に化かされるという考え方が共通してあるらしく、まさにそのことを竜次たちは一様に考えていた。不意をついた形で心を見透かすような言葉と共に、九尾の狐が塩せんべいの味わいを聞いてきたので、4人ともビクッと体に驚きが現れてしまい、冷や汗すらかいている。
「あんた……人の心が見えるのか?」
「ぷっ! あっはっはっ! 竜次って言うんだってね、あんた。面白い男だねえ。見えたら面白いんだけどね、見えやしないよ。私が目の前にいるんだからそう思うだろうと、カマをかけただけさ」
九尾の狐の口から竜次の名が出てきたのは、晴明がしたためた紹介状に、彼の素性が詳しく書かれていたからだ。日本から来た竜次に、晴明は甚く興味を示していた。ならば妖狐にとってもそれは同様だろうと、話が通りやすいよう、敢えて竜次についての内容を厚くした書を、作ってくれたわけだ。実際、晴明の心遣いがよく利き、女狐は彼に対し好意的である。
「紹介状に竜次さんのことが、そんなに書かれてたんですか。だとすると、国鎮めの銀杯のことも書かれていませんでしたか? 私たちはそれを譲ってもらいたいと思い、あなたに会いに来たんです。銀杯はこの庵にあるのですか?」
「ああ、あるよ。こっちに来て見てみるかい? ちょっと辛気臭いところに供えてあるんだよ」
切れ長の目をした美しく妖艶な顔が、竜次に近づきすぎているのが我慢できず、それを牽制する意味を込めて、咲夜は銀杯の在り処を、思い切って尋ねてみた。九尾の狐は、ああそのことかと少し間を外した調子だったが、あっさりと国鎮めの銀杯がここにあることを認める。そして、竜次たちを手招きし、別室に細い腰で歩いて行きながら、
「そういえば、まだ私の名を教えてなかったね。仙というよ」
と、魅惑的な威圧感がある声で、サラッと名乗った。




