第56話 妖(あやかし)の山か霊山か
咲夜の恋路が思いがけずうまく進んだようだが、今急ぐ先は妖狐山である。北西の街道をどんどん進んで行くと、都から離れるに従って、所々に見える民家などの建物が少なくなり、やがてはポツリポツリとある小集落を、見つけるのも珍しくなってきた。前の旅で訪れた日陰の村までの道程より、今回の旅路は短い。だが、進む道周りが閑散としていく様子は、晴明の庵を訪れた旅よりも早く、それは鄙びた景色を通り越したものだった。
「どれ、着いたようじゃな。見たところ妖がおるような気配がない、静かな山じゃが」
途中、うまい具合に見つけた小集落の民家で一宿一飯を頂き、馬をさらに飛ばして行くと、2日目の夕方に、妖狐山の麓へたどり着くことができた。西日を受けて淡くオレンジ色に光るその山は、なだらかな低山である。その裾野は東西に広がっており、稜線の所々に切り立った大きな岩壁が、頼もしく鎮座しているのを眺めることが出来る。守綱は、九尾の狐が住むという静かな広がりを見せる山から、それほどひしひしとした恐れを感じられなかった。
「私は何回か妖狐山を見ています。守綱さんが受けた印象と、同じことを思いました。妖狐が住むというより、霊山のような感覚があります」
「私もそんな感じがするわ。本当に晴明の占い通り、九尾の狐がいるのかしら?」
守綱ばかりでない。あやめと咲夜も、静かな低山から人に悪影響を及ぼすような、多大な瘴気の流れを感じていない。黙って腕を組み、山を眺め続けている竜次にしても同様である。
「とにかく着いたわけだから、麓の集落に行きましょう。馬を休ませないといけないし、宿も借りないといけない」
これは竜次の言う通りだ。ボーッと山を眺めているばかりでは、すぐ夜になってしまう。実際、日が既に西へ落ちかけており、かわりに月が姿を表し始めている。一行は、疲れてきている馬をなだめながら、もう一踏ん張り走らせ、山麓の集落に馬をつなぎ休ませた。そして馬屋から少し歩いた所にある、比較的大きな民家に、今日の一宿一飯を請うことができた。
一行が宿を借りた民家の主は、集落の長老であり、妖狐山と九尾の狐について、詳しい話を聞けている。
「私は見たことがありませんが、確かに九尾の狐が住んでいるようですよ。もっとも、私のひいじいさんから伝え聞いた話ですがね。大昔の話ですが、九尾の狐というくらいです。まだいるんでしょう」
竜次、咲夜、守綱、あやめは、晩餉に出された岩魚の塩焼きや、白米に麦を少量混ぜて炊かれた飯を、思い思いに突きつつ、顔を見合わせながら、長老の昔話を聞いている。




