第53話 黒に映える椿
都大路から脇道に入った歓楽街の一角に、倶楽部『縁』と書かれたネオンサインのような看板がある。超速子という素晴らしいエネルギーがあるのに、それを利用した道具が意外に少ないのが、異世界アカツキノタイラの特徴の一つではある。しかしながら、夜の飲み屋を目立たさせる照明の発想は、日本と共通のものらしい。
「こんばんは。呑みに来たよ」
「あらいらっしゃい、竜次さん。来てくれたのね」
縁の若ママは、一回しか飲みに来たことがない竜次の名前を、きちんと覚えていた。クラブという商売柄、客の名前を覚えるのは当たり前なのだが、それでも自分の名前が綺麗な女性の口から自然に出てくるというのは、男にとって嬉しいもので、竜次も全く例外ではない。
若ママの透き通った声に、軽く笑顔で会釈すると、竜次は何も言わずカウンター席に着いた。縁で雇っている女の子は何人かいるのだが、若いながら色々な話に精通した、ママと飲みたいという客が多く、竜次もその一人である。
「竜次さんは辛口のお酒が好きでしたね。今日は、いい物が入っているわよ。それにする?」
「そりゃいいな。それを飲もう。つまみは、煮込みをくれないか?」
「ええ。美味しく炊けてるわよ」
少しだけ若ママがおすすめを示すと、竜次は酒瓶を見せてくれとも言わず、それに従った。若ママの酒を見る目が確かなのは、既によくわかっている。余計なことを言わずに任せておけばいいんだ、という相手を信じ切った考え方が、実に竜次らしい。
今夜の若ママは、黒の下地に椿の赤が素晴らしく映える着物を着ている。その赤はワンポイントではなく、大きな花があしらってあり、どことなく哀愁が漂う若ママの所作を、より一層際立たせている。そんな彼女の様子を心の安息と共に眺めていると、いつの間にか、若ママ手製の牛肉と根菜の煮込みが目の前に置かれており、
「竜次さん、よく来てくれたね。お酌をしましょう」
と、陶器のぐい呑を竜次に持たせ、それに辛口の良酒をなみなみと注いだ。竜次は口をつけると、思い切りよく一呑みで空にした。別に若ママの手前、良い格好をしているわけではない。それだけ彼は酒が強く、好きなのだ。
「か~っ! これはたまらん! いい酒だ~。もう一杯注いでくれない?」
「ふふっ、いい呑みっぷりね。でも、煮込みと一緒にゆっくり呑むのもいいわよ」
再び酌をする若ママの白い手は、色っぽさ以外に人としての深みを感じられる。容姿からはどう上に取っても、20代後半くらいにしか見えないが、その重ねた齢の、3倍も4倍もの喜びや哀しみを背負ってきている、竜次には、精霊のような彼女の美貌を目に写し込み、そう思えてならなかった。