第313話 思い出の名酒
全てを話し終えた夢幻は穏やかに目をつむり、やがて来る死を静かな形で迎え入れるばかりとなった。最愛の弟、宵暁縁を、冥界の奥深くから救い出せなかった心残りはあるが、彼女は竜次に討たれ、復讐の葛藤から解放された。苦しみの無限ループから解き放たれた夢幻の心に、この世への未練など微塵も残っているはずがない。
しかし、儚く綺麗な顔で静かに死を待つ夢幻とは対照的に、太陽神天照は、全てを告白した彼女を見て、心に深い自責の念を負っている。天照は、息が細くなり、もうすぐ命の終焉を迎える夢幻の傍へ寄ると、頭を下げ、
「精霊であるあなたと宵暁縁は、かつて私たち3姉弟に、献身性をもって仕えてくれました……。今更ですが、あなたたち姉弟に与えた罰は、苛烈過ぎたと後悔しています。もうこんなことで許してもらえるとは思いませんが……」
悲しい目でそう謝罪した後、彼女に天岩戸の方を見るよう促した。
夢幻と竜次たちがそちらへ目を向けると、天の国と冥界を隔てる岩戸が開いており、幽玄な世界の入口に、夢幻とよく似た目を持つ青年風の男が、半透明の精神体の姿で立っていた! 夢幻の弟、精霊宵暁縁だ!
最愛の弟が、天岩戸の前まで自分を迎えに来てくれている。命を懸けてでも会いたかった宵暁縁の姿を目に映した夢幻は、微笑んだまま、
「許されたのね、よかった……」
そう消え入るような声で言うと、事切れ、竜次の両腕の中で半透明の精神体に変化した。腕の中に彼女がいる手応えをもはや感じなくなった竜次は、そのまま天岩戸の前に立つ宵暁縁のところまで歩き、彼の両腕に夢幻の精神体をそっと抱かせる。すると、
(竜次さん、君には何もかも世話になったね。ありがとう)
宵暁縁は全てを見ていたのだろうか? 竜次の心奥へそう語りかけ、心からの感謝を笑顔で伝えた。
これで心残りは、もう何もない。宵暁縁は竜次の姿をしばらく茫洋と眺めた後、最愛の姉、夢幻と共に、天岩戸から再び冥界へと旅立って行く。
全てを成し遂げた竜次たち5人は、天の国とアカツキノタイラを結ぶ光の階から、縁の国連理の都に帰って来た。
英雄となった一行を大宮殿神事の間で迎えた、昌幸、幸村、桔梗の平一族と家臣団は、彼ら彼女らの無事をこれ以上なく喜んでおり、守綱などは嬉しさのあまり竜次に抱きつくと、声を上げて号泣していた。
アカツキノタイラは完全に平定され、真の平和がもたらされた!
英雄たちが帰還して数日後、この世界を救った5人の栄誉を称える、縁の国を挙げての大祝宴が開催された。しかし、主役の一人である竜次は、宴をそこそこに大宮殿を抜け出してしまう。彼が向かった先はというと……
「開いてるかい? 入るよ」
精霊夢幻がいなくなった倶楽部『縁』であった。
カウンター席にさり気なく座った竜次は、思い出の名酒をお気に入りのぐい呑みで、一人静かに呑み続けている。
『縁』には、若ママのいい匂いがまだ少し残っていた。