第301話 高天原
子供の頃、絵本などで、雲の上に立つ話を読まれた方は多いだろう。天に続く筒状の階段を登り、連理の都からワープして来た竜次たち一行は、ちょうど今、その幼い頃に見たおとぎ話の世界と同じ、幻想的で不思議な体験をしている。
「乗っても崩れない雲、こんな面白いものがこの世にあるとはねえ。いや、ここは天の国だから、この世じゃないんだっけね」
どれだけの歳月を生きてきたか分からぬ、九尾の狐の仙ですらも、白雲に立つ自分の周りに広がる、極楽浄土そのままのような風景を見て、新鮮な驚きを覚えたのか、興味深そうにつぶやいていた。
「天へ登っては来ましたが、まずどこへ行ったものでしょうか……。おや? あの烏は?」
闇雲に動くのはマズいと考えた咲夜が、白雲や浮遊大陸で構成された辺りの景色を見回していると、こちらをじっと見つめる奇妙な烏を発見した。よく見ると、3本の足を持っている。導きの霊鳥、八咫烏だ。
八咫烏は竜次たち一行を値踏みするかのように、しばらく見つめ続けた後、不意に視線を外し、北の方角へ飛び去った。八咫烏が飛んで行った方角に一行が目を向けると、広大な浮遊大陸の一部と雲の大地の上に造られた、大きく栄えた都市が見える。
「最初の目的地が決まったな。あの八咫烏を追って行こう。天の国の町か~。どんなところなんだろうな?」
不穏な言葉を言い残した天女を追うこんなときでも、竜次は、子供のように冒険心が湧き上がっているようだ。ワクワクした顔で、竜次は天の国での第一歩を踏み出した。そんな無邪気な彼の後を、咲夜、あやめ、仙、晴明、4人の仲間たちは、笑いながらついて行く。
宵の国夕闇の都で観た、静と義経の『宵暁縁』の舞によると、天の国は概念的に、人間界と冥界の狭間に存在する国であるらしい。
ということは、竜次たち一行が今しがた辿り着いたこの大都市は、死者の町とも言えるはずだ。そうではありながら、広大な都市領域の半分ほどを構成している土の大地では、流れる川の水を利用した農耕と畜産、もう半分の領域を構成する雲の上に造られた建物では、各種の商工業が、アカツキノタイラの生者の町と同じように営まれている。
「かなり生産活動が活発な都市ですね。みんな生き生きと暮らしています」
あやめは都市と町人たちを観察し、一言で感想をまとめているが、正にそうなのだ。この都市で暮らす全ての町人は、達観しているという表現が適当だろうか、何も迷いなく今日の仕事に邁進している。
一種の達人のような悟りの境地で生活を送る町人たちに、興味は尽きなかったが、竜次たち一行は、まだこの大都市の名前も知らない。まず必要な情報を仕入れるのが先決と考えた咲夜は、都市の大通りを歩いている町人の一人に話しかけた。
咲夜に呼び止められた町人は、この大都市について様々な情報を気さくに話してくれたが、竜次たち5人から天の国へ登って来た経緯を聞くと、大変な驚き方をしていた。
手に入れた情報によると、ここは天の国の首都で、高天原という都市名なのだという。また、そういう込み入った事情があるなら、大理石の宮殿にいる、天の国を治める神々に会うようにとも、町人は促してくれた。
統治神に会えば、倶楽部『縁』の若ママと思しき謎の天女について、何か重要な手がかりが得られるかもしれない。
そう考えた竜次たち一行は、親切な町人の勧めに従い、高天原の中心部にある大理石の宮殿前まで歩を進めた後、門番の神兵に自分たちが抱えている事情を話し、天の国を統べる神々に会わせてほしいと頼んだ。