第300話 天に続く階(きざはし)
「アカツキノタイラの瘴気は完全になくなり、平和が戻ってきた。それはめでたいことなんだが、あの女はいったい何だったんだ?」
最後の国鎮めの儀式が執り行われた翌日、竜次は朝から連理の都の歓楽街を歩いていた。朝内からこんなところをウロウロするのは、自分でもどうなのかと思っているようだが、彼は昨日出遭った謎の女の寂しげな顔に、頭の中を囚われており、その呪縛から少しでも離れるため、今、どうしても呑みたい気分であった。
だが、都で最も賑やかな歓楽街といえども、朝から酒を出す店を探すのは難しい。適当な飲み屋はないかと、竜次が当て所もなく通りをさまよい続けていたところ、ある店の前でガヤガヤと騒いでいる、妙な人だかりに気づいた。
(えっ!? あの店は!?)
竜次は慌てた様子で、その人だかりに駆け寄ると、
「『縁』で何かあったのかい?」
倶楽部『縁』の前で従業員から状況を聞いている、恰幅の良い町人に話しかけた。
『縁』と関係が深そうな町人は、最初口が固く、竜次の尋ねをはぐらかし、なかなかまともに答えなかった。
(このままでは埒が明かない)
竜次はそう考え、自分の身分を明かしたところ、ようやくこの町人は、詳しい情報を提供してくれるようになる。
一言で言えば、この歴史ある歓楽街において大事件が起こった。倶楽部『縁』の若ママが突然失踪し、行方不明になったらしい。今まで『縁』に通う度、若ママに良い酒をよく呑ませてもらっていた竜次は、大きなショックを受け、しばし呆然と立ち尽くしていたが、
(あっ!? これは!?)
衝撃で呪縛から解き放たれ、頭が働くようになったのか、思わぬ発想が浮かんできた。天の国に飛んで行った謎の女の顔と、行方不明になっている『縁』の若ママの顔を、脳裏に浮かべ、重ね合わせたところ、ピッタリ一致するではないか!
もはや憂さ晴らしの酒を呑もうと、歓楽街をうろついている場合ではない。突如としてひらめき、頭の中の点と点が線で繋がった竜次は、一旦自宅に帰り、身支度を整えた後、昌幸へ今しがたの気付きを報告するため、朱色の大宮殿へと急いで向かった。
竜次がひらめきと気付きを絡め、都の繁華街で『縁』の若ママが行方不明になった事件を、昌幸に報告すると、この果断な頭領は即座に動き、咲夜、あやめ、仙、晴明の4人を、大宮殿神事の間に、まず呼び寄せた。
「昨日は私も気が動転していて気付きませんでしたが、確かに天女と思しきあの者の顔は、『縁』のママさんの顔と同じでしたね」
昌幸から一連の話を聞いた咲夜は、一瞬、ハッと目を見開き驚くと、竜次の方を向き直し、ゆっくりうなずきながら見解の一致を伝えている。咲夜と同じく竜次に同伴し、倶楽部『縁』で若ママに会った仙も、
「そういえば、瓜二つの顔をしてたね。私も昨日はパッと考えが浮かばなかったよ」
と話していることから、同見解であるようだ。若ママと面識がある3人の見方が一致した。これは間違いないと言っていいだろう。
「その行方不明になった倶楽部とやらの女店主と、昨日の天女が同一人物というのも妙な話だな。だが、話の信憑性は高いと見える。昇天したあの女は『復讐を果たせる』などと、気にかかることも言っておった。天の国に行ってみるしかあるまい」
黙って皆の話を聞いていた晴明は、結論のまとめに入りながら、突拍子もない提案をしてきた。
「天の国へ行く……。そんなことができるのですか? 晴明さん?」
「方法はある。私も忘れかけておったのだがな。最後の国鎮めの儀式で開かれた、天へ続く道を見て思い出したよ」
あやめの問いかけに、最強の陰陽師は自信を持って、できると答えている。しかしながら、問いかけたあやめのみならず、この神事の間にいる皆は、晴明の答えを聞いて尚、半信半疑な様子だ。
「ふふふっ、信じられぬのも無理はない。だが、何とかしてみせよう。日陰の村の庵に戻って、少し家探しをせねばならぬゆえ、準備に小一時間ほどもらうぞ」
苦笑しながら皆を見回し、晴明はそう請け負うと、神事の間から縮地を使い、日陰の村の隠宅へ行ってしまった。いずれにせよ、昇天した謎の女を追える手立ては他になく、ここは晴明に任せるしかない。
小一時間経たない内に、晴明は長い巻物を手に携え、縮地の法術で神事の間に戻ってきた。
「物置を漁っていたのだが、案外早く見つかったよ。これは、我が師、役小角が残してくれた巻物でな。天の国へ渡る秘術が書かれているのだ」
晴明の説明によると、国鎮めの祭壇を七色の光が照らし続けている今、この巻物に書かれた真言を手順通り詠唱すれば、天の国へ続く階が現れるのだと言う。
「ただ、秘術を発動できる条件が非常に限定的でな。それもあって、私はこの巻物を持っていたのを、ほとんど忘れかけていたんだよ。だが、因果律がそうさせているのだろうな。今ここに、全ての条件が揃っている。咲夜姫、あなたの力が必要だ」
「私……ですか?」
役小角が編み出した国渡りと呼ばれる秘術を発動させるには、因果律を変化させる陰陽師の力以外に、国鎮めの儀式を執り行える、神聖な巫女の法力が必要となる。咲夜が持つ法力が正にそれであり、蓋然性から考えて、この巡り合わせは、もはや運命と言うより他はない。
秘術の巻物を読み、全てを理解した咲夜は、皆と共に、七色の光が差し込む神事の間の南側扉から中庭に入ると、晴明と力を合わせ、国渡りの真言詠唱を始めた。咲夜と晴明は、多大な法力を消耗しながら国渡りの真言を、天に向かって一心不乱に唱え続ける! すると!
「階が降りてくる……」
連理の都から見て、東南東の雲間から、とてつもなく長い筒に包まれた階段が、七色の光に沿って降りてきた! 大宮殿の中庭で光り輝く、その神聖な階の威容は、
(誰を導くのか?)
と、問いかけているようにすら見える。
「もうお前たちに託すしかない。咲夜、竜次、あやめ、仙、晴明、頼んだぞ。必ず無事に帰ってこい」
『はい!』
頭領平昌幸の見送りを受けた5人は覚悟を決め、光り輝く階に足を踏み入れた。すると、果てしなく長い階は、突然、超高速エスカレーターのように動き始め、咲夜、竜次、あやめ、仙、晴明の5人を、莫大なエネルギーで天の国へワープさせる!