第172話 仙の微笑み
仁王島の戦いで各自が上げた武功に報いる論功行賞が終わった後、咲夜は宮殿内の評定の間から去ろうとしている仙を、誰もいない渡り廊下で呼び止めた。銀髪の姫は主人としてどういう態度で話そうか迷っていたようだが、一応の体裁を取りつつ……というより、半ば懇願するように、
「仙さん。竜次さんの近くに住まわれるようになっても、その……竜次さんと一線を越えないようにお願いできますか?」
と、咲夜にしては随分過激で思い切った言葉を使い、仙に頭を下げて頼み込んだ。思わぬ恋敵からの切実な頼みに、仙は目を丸くして驚いていたが、咲夜は仙にとって恋敵であると同時に、可愛い妹のような存在である。竜次を取り合う難しく複雑な関係とはいえ、情が深い九尾の女狐は、銀髪姫の自分に向けた必死な姿を、無下に出来なかった。
「しょうがないねえ。分かったよ、咲夜ちゃん。宮殿から平屋に移っても、竜次と一線は越えないであげるよ」
「本当ですか!? ありがとうございます! 恩に着ます!」
口約束ではあるが、一応の承諾を仙から引き出し、咲夜はホッと胸を撫で下ろした。その様子を見て、よせば良いのにこの女狐は、何やらいたずら心が芽生えたのか、
「ところで咲夜ちゃん、一線を越えるってどういう意味だい? お姉さんにはあんまりよく分からないな~」
クスクスと笑いながら咲夜をからかってきた。銀髪姫はその美しい髪色とは対象的に、顔を真っ赤にして、
「えっ!? それは、その……男女のそういった……」
と、しどろもどろになりながら頑張って答えようとしている。百戦錬磨の細腰の麗人である仙は、咲夜の色恋における初心さが可愛らしすぎて、微笑みながらもチクリチクリと罪悪感を覚えたようだ。
「冗談だよ。まあ、竜次と男女のそういったことには踏み込まないようにするよ」
頬を真っ赤にして泣きそうになっている咲夜の頭を撫で、仙は優しい目でそう約束した。
大宮殿で咲夜とそんなやり取りがあったわけだが、結局のところ、仙は竜次の家近くの平屋に移り住んで以来、3日にあげず好きな彼のところへ入り浸っている。
「うまいなあ! 仙さんは料理が抜群に上手いんだな。これは『縁』の若ママの味といい勝負だよ」
「いい勝負ってことはないだろう? 私が作った煮込みの方が美味しいさ。そうだろう?」
丹精込めて作った牛肉と根菜の煮込みを、パクパクと食べていく竜次の様子を見つめる仙の目はとても優しかったが、倶楽部『縁』の若ママの味と比べられた途端、九尾の狐は目の奥を妖しく光らせた。表情は優しい微笑みのままながら、目は全く笑っていない。
竜次は仙の空恐ろしさを、彼女の切れ長の両目から垣間見た気がした。蛇に睨まれた蛙のように箸をピタッと止めた竜次は、引きつった笑顔のまま即座に、
「仙さんの方が美味しい」
と返事をし、慌てて何度もうなずいている。