第147話 駆け引き
深い緑色のぐい呑みに、良酒がなみなみと注がれた。その陶磁器の釉薬が作り出した味のある深緑色と、若ママの柔らかく優しい微笑みを、仙はしばらく見比べていたが、この場にいる誰もが思っていなかった意外なことを若ママに尋ねている。
「ちょっと変なこと聞くんだけどさ、あんた前にどっかで会ったことないかい?」
仙の問いかけに少しばかり若ママは驚いたようだが、すぐにいつもの落ち着いた所作を取り戻し、
「さあ、どうでしょうね。この都は広いですから、どこかで会っていたのかもしれませんね」
敢えて否定もせずに、はぐらかしながら答えている。それと同時に、いつの間に用意したのか、柿、梨、りんごにぶどうといったフルーツの盛り合わせを仙と咲夜の前に出し、
「これもサービスですよ。竜次さんと一緒にゆっくり楽しんでくださいね」
それとなく自然に話を切ったあと、後回しになっていた竜次の接客に移った。若ママの手慣れたいなし方に、百戦錬磨の仙すら多少呆気にとられていたが、
(前のことだしね。私の記憶違いかもしれないね)
そう思うことにして、野暮なことを聞くのはこのくらいにしておこうと、ぐい呑みに入った竜次が好きな辛口の良酒を、色っぽい口で少しだけ飲んだ。
「ごめんなさいね。待たせちゃったね、竜次さん。いつものお酒でいい?」
「ああ、いいよ。これを呑みに来たんだ。それと、いつもの煮込みをくれない?」
「ふふっ、竜次さんあれで呑むのが好きよね。今日も美味しく炊けてるわよ」
若ママは竜次のぐい呑みにいつもの良酒を注ぐと、竜次が『縁』でよく肴にしている牛肉と根菜の煮込みを陶器の器にお玉で盛り、それとない所作でスッと差し出した。若ママ手製の煮込みを心待ちにしていたこの30半ばの好漢は、顔をほころばせて美味そうに箸をつけ始めている。
「なんだい、竜次。そういうのが好きだったのかい。それならそう言えばいいのに。今度、家まで作りに行ってあげるよ」
「えっ!? 仙さん!? それはどういう……あっ!? もしかしてそういう目的でここについて来たんですね!?」
元々、竜次と咲夜は2人だけで倶楽部『縁』を訪れる約束だったのだが、仙がしれっと間に入ってきてしまい、デートを壊された咲夜の心中は当然穏やかではなかった。それでもこうなったからには仕方がないと、いくらかの諦めの境地で竜次の隣に座り、柑橘ジュースなどで楽しんでいたのだが、仙の魂胆がようやく分かり、心底しまったという顔をしている。
幾星霜生きてきたか分からぬ九尾の女狐は、恋の駆け引きにおいて銀髪姫より上手である。好きな竜次の好物を探る意味でも『縁』について来たようだが、同じく竜次を想う咲夜にとって、それはたまったものではない。