第138話 人影
初秋の涼風が疲れた体に心地よい。咲夜は課された試練を全て成し遂げ、晴明と仙と共に白壁の庵へ帰ってきたのだが、田舎道を歩いている内に日がすっかり落ち、庵がある日陰山の麓には夜の帳が下りていた。
「おや? 庵から明かりが漏れてるね。人影が2人分見えるよ。竜次たちが帰ってきたんだね」
「そのようだな。どうやら無事に帰って来れたようだ。そうでないと困る」
仙は竜次が無事に日陰山での試練を完遂し、戻ってきたことに胸を撫で下ろしている。想い人が危険な場所へ行き、その帰りを待つ女の心境というのはそうしたものなのだろう。そして庵の窓から漏れる、生活感のある超速子の明かりと人影を見て、竜次とあやめの無事を確認し、心の底から安堵している女がここにもう一人いる。
「ちゃんと帰って来てよかった……」
咲夜は竜次を好いて想っているが、それ以前に彼女は、竜次とあやめの主人である。2人の配下を心配し、また想い人の竜次を心配する。その心労は重く深い。まだ少女の面影が残る咲夜にとって、それは過酷な責任であり、縁の国の姫としてその責任に押し潰されず、よく耐えていると言えよう。
咲夜たち3人が玄関から晴明の庵に入ると囲炉裏付きの居間で、竜次とあやめが座布団に座り、うつらうつらとうたた寝をしていた。晴明はその様子を見て、起こしてしまうのを気の毒に思ったが、
「竜次殿、あやめさん、よく戻られた。咲夜姫も修行を終え、今、我々と一緒に帰ってきたよ」
と、よく通る少しだけ高い声で2人に話しかけた。その声を聞いた竜次とあやめは、ハッと気が付き、まどろみから我に返ったようだ。
「おかえりなさい。俺たちは夕方前にここへ帰りました。それであまりにも腹が減っていたんで、勝手に煮炊きをして飯を作って食いました。お許しを」
「ぷっ! ハッハッハッ!! よいよい、幾らでも食ってよい。背中と腹がひっつく程の戦いをしてきたのであろう」
正直で嫌味のない竜次の言葉が余程面白かったのか、晴明は吹き出すほど笑ってしまった。仙も腹を抱えて笑っている。竜次とあやめは意外によく笑う陰陽師の様子にキョトンとしていたが、
「そうなんですよ! とんでもなく強い甲冑を着た武者……いや、武将がいました! あいつはいったい何だったんだろう? 気を抜いたら俺たちは簡単に斬られるところでしたよ」
竜次が身振り手振りを交え、九死に一生を得た激しい戦いを興奮気味に思い出し、目の前で楽しそうに聞いている晴明に、戦った謎の武将の強さを伝えた。
「なるほどな。それで、その武将はどんな様子であった?」
晴明は、笑いながら何の気なしに尋ねてきたが、その何の気なさには、ある含みが隠されていた。