【In search of hope.③(希望を求めて)】
テレビで発表された声明後、にわかに街中がお祭り騒ぎになる。
ロビーで寛いでいた俺たちの元へ、ホテルの従業員がノンアルコールビールを配って来た。
「頼んでいないぞ」と驚いて答えたモンタナに、従業員が「これはホテルからのプレゼントです、一緒に祝杯で乾杯しましょう!」と告げ、皆が起立して一斉に乾杯して祝った。
喜びの儀式は夜遅くまで街のあちこちで続き、朝起きて窓の外を見るとまるで戦争でもあったかのように道路にはゴミが散乱していた。
しかし、これは戦争のもたらした惨状ではない。
一見落ち着きを見せていた国民の多くが、待ち望んでいた平和が取り戻される日が来た事を心から喜んでいた事を証明してみせた所業。
一旦シャワーを浴び、もう一度外を眺めると、清掃員だけではなく街の住民たちが何かを話しながら散らばったゴミを片付けていた。
その顔に会ったのは、厄介な物を拾い集める姿ではなく、まるで宝物でも集めるかのような笑顔が溢れていた。
テレビでは何度も昨日のニュース映像が繰り返され、専門家たちの討論会では、これからの街造り国造りについて語られていた。
“平和”
この国の誰もが平和とは無縁だと感じていたに違いない。
半世紀も続いた侵略者との闘いに、平和は常に自分たちの目の前にはないと思って暮らしていた。
だけど、振り向けばそこに平和は確かにあったのだ。
朝食を摂りに食堂に行く。
昨日の興奮はどこへやら、いつもどのホテルでも見るような静かで落ち着きのある朝の食堂。
サラダとフレッシュジュースを注文して席に着く。
LéMATのメンバーはまだ誰も来ていない。
エマとレイラはサオリに付いて、アサムたちの世話をするために山で分かれたきり。
おそらく向こうも夜遅くまで宴会が続き、大変だっただろう。
「早いな」
綺麗になって行く街の景色を眺めていると、向かいの席に誰かが来た。
テーブルに置かれたのは、珈琲とサンドイッチ。
声の主はハンス。
「とうとう、やったな」
「俺は何もしていない。やったのは長くこの日のために交渉の準備を進めて来たサオリと、勇気ある決断を決めたアサムを始めとした指導者たちだ」
「ああ、しかし極上の牛肉だけでは特上のご馳走にはならないだろう?油や各種のスパイスそれに野菜やスープも必要で、それらは色鮮やかに食卓を賑わすだけではなく、体に必要なタンパク質やカルシウムやビタミンなどの吸収や消化を助けるためにも欠かせないものだ。塩だってそう、取り過ぎては体に悪いが、適量を摂らないと生きてはいけない」
そう言ってハンスはサンドイッチの隣のボールに入れらてあったサラダに塩を一つまみ振りかけて口に運んだ。
「たしかに」
俺もハンスの真似をして、自分のサラダボールに塩を入れた。
「これからどうなる?思い付きで日本に渡り、その後このアフガニスタンで思いがけず和平交渉の手助けをする事になったが、肝心の俺たちの解散に関しては勿論、エマたちの解雇の件だって何も解決出来てはいない」
「いいんじゃないか」
「いいって……でも、スマナイ2週間の休暇のを半分以上を他人の戦争に使ってしまって」
「それでいいのさ」
「それでいい?」
「自分の幸福のために遁走したとしても、それはただ焦りを生むだけで幸せにはナカナカ繋がらない場合が多い。幸せになりたいのであれば、先ずは自分だけの幸せを優先するのではなく、身近な所から始めればいい。幸せとは、そういう所から不意に訪れるものだろ?」
「つまり小さな感謝の積み重ねが幸せにつながると言う訳か」
「俺は、そう思っているし、そうあるべきだと信じたい」
「さすがだな」
「なにが?」
「ん?なんでもない」
ハンスのこういう諭してくれる言い方が好き。
どんな時も感情的にならず冷静で、目の前に有る物だけにとらわれず、常にその先にある物や隠されたものを探すような考え方。
確かにエマが一昨夜言った通り、ハンスとトーニは全然違う。
でも……。
そこまでボーっと考えていて、急に思いなおそうとした。
見る見る耳が熱くなってくる。
「どうした?」
異変に気付き、どうしたのか聞いて来るハンスの声が夢の中の声のように聞こえたのは、俺が焼けた耳を両手で覆っているからだけではない。
化粧室に行って来ると言い残し、逃げるように慌てて化粧室に向かう。
早歩きをしていると、頬に当たる風が気持ち好い。
化粧室に入るなり、何度も顔を洗った。
まだ乳液も塗っていない素肌が、気持ち好いほど水の冷たさを吸収する。
顔を上げて自分の顔を鏡で見ると、水浴びを終えたばかりの少女のような顔が目をパチクリと開けて俺を見ていた。
俺は鏡に映る少女の、幼さには不釣り合いにキュンと尖った鼻に指を押し当て「天秤なんか掛けてないよね」と聞いてみた。
少女は驚いた顔のままで、大きな眼をパチパチと瞬きを繰り返すだけで、何も答えてはくれなかった。
「ナルシストなの?それともハンスとなにかあったの?」
いきなり声を掛けられて驚いて振り向くと、その顔を確認するよりも早く唇を塞がれ、そのままトイレのBOXに運び込まれてしまった。
白人にしては少し褐色を帯びた肌、ローズの香りの化粧水、それに柔らかい唇に口の中で絡めて来る暖かい舌。
なによりも、襲って来た相手の女は俺の弱点を熟知しているから、俺は一瞬にして抗う力を失い抱きつかれたままトイレに押し込まれてしまった。
女の背中でカチャリと鍵の閉まる音が聞こえた。
「エマ」
俺を押し込んだのはエマ。
そのエマが、何か言おうとして一瞬唇を離して言った。
「男の前では、素直に女になりなさい」
「女の前では?」と、聞き返す俺。
「いつものように女で居て頂戴」
エマは再び貪るように俺の唇を奪う。
俺も同じように、その唇を迎え入れた。
エマが朗報を持って来た。
アサムが交渉の席で、このために骨を折ってくれたDGSEのエージェント2名と、LéMAT第4班の功績を共同声明の最初の言葉で感謝の証として言ったのだ。
当然この歴史的な和解のニュースは世界中に流れ、POCの圧力でエマとレイラそれに俺たちLéMAT第4班の解散を決めた政治家共も、のんびりテレビで中継を見ている場合ではなくなり慌てて前言を撤回するに及んだ。
思わぬ朗報に喜ぶみんな。
「これで大手を振ってフランスに帰れるぜ!」
「ありがとう軍曹!」
喜んで俺に抱きついて来る隊員たち。
ハンスの言った通り。
自分の幸せとは、まさに他人の幸せを思えばこそ叶った。
「さあ、レイラ。私たちも大手を振ってDGSEのオフィスに帰るよ!」
ところがエマのかけた言葉に、レイラは困った様子。
どうしたのかと聞くと、意を決したように床に膝まづいて三つ指を着いた。
「な、なに?どうしたの??」
「ナトーさん。私とお義父さんの結婚を許してください!」
「えっ!?」
急な話で戸惑っている俺に変わってエマが言う。
「それって、寿退社ってこと?」
「ごめんなさい。エマにもお世話になったのに勝手に決めちゃって」
立っている俺の目線に、ホテルのドアからこっちに向かって来る男女の姿が見えた。
サオリとヤザ。
ヤザはレイラが俺の前で平伏している事に気が付くと、慌てて駆けて来てレイラの隣に同じ姿勢で並び元大工らしい良く通る太い声で言った。
「すまんナトー!幼い時にハイファを亡くして親として何もしてやれなかったのに、自分勝手な事は分かっているが……レイラとの結婚を許してくれ!!」
ヤザが大声を上げて床に額を押し付ける。
慌てて俺も目の前の2人と同じ様に床に跪き、床に着いている2人の手を持ち上げて重ね合わせる。
「おめでとうヤザ。そして、おめでとうレイラ。養女として何も出来なかったけれど、その分、お義父さんを幸せにしてやってくれ」
「ありがとうナトー」
「ありがとうナトちゃん」
一斉に歓声と拍手が沸き起こる。
「おめでとうヤザ!」
「おめでとうレイラ!」
「2人共おめでとう」
「مبارک شه!(おめでとう)」
“んっ!なんでパシュト語が混じっているんだ?”
周りに目を向けるとホテルの人が通訳したのか、大勢の人たちが集まって2人を祝福してくれていた。