【In search of hope.①(希望を求めて)】
「ミラン!」
拘束されたPOCのメンバーの中に、その姿を見つけたので声を掛けた。
だがミランは、ゆっくりと振り向いただけで何も返事をしない。
“ナトー”と呼んで欲しかった。
あの優しい笑顔を向けて欲しかった。
戦いは終わったのだから、昔のように受け入れて欲しかった。
しかし、それは叶わなかった。
もう彼にとって俺は敵なのだ。
彼が俺を嫌うのは分かる。
なにせ俺の仕掛けた罠に3度も引っかかってしまったのだから。
1度目は向こうの山にアジトがあると思わせた事。
これはリズのおかげでバレてしまい、俺たちは3日と言う時間を稼ぎ出すことに失敗した。
2度目は、スマホの自撮り写真を俺だと思い込ませて撃たせた事。
そして3度目は、トーニのスコープに細工した事と、前線の通信機を破壊してもう一人の俺の存在をにおわせた事。
これがスポーツなら種明かしをしてみせて、お互いに笑って済ませる事が出来るが、これはスポーツとは違う。
命と命の駆け引き。
騙した方は生きていると言う優越感に浸り、騙された方は死に行く運命を背負わされる。
つかつかとミランに向けて歩き出した俺をトーニが止めようとする。
「ナトー止めておけ。今は嫌な思いをするだけだ」
こいつは本当に優しい。
このあと俺が、ミランにどんな汚い言葉を掛けられるか心配してくれている。
「構わん。俺が何を言われようと、奴の心の傷に比べれば大したことは無い」
止めようと出したトーニの手を振り解いて俺はミランの前まで進む。
「傷は大丈夫か」
「……」
睨みつけるわけでもなく、ミランは冷たい虚ろな目を向けて俺を蔑むだけ。
「痩せたな」
「……」
今度も反応は同じ。
「性分に合わない事をしていると、人間は体調に変化が起こる。痩せたり太ったり、これを機会にもう一度自分を見直して欲しい」
返事は返ってこないだろうと思って、それだけ言うと踵を返し歩き出そうとした。
「負傷者47人」
ミランが言葉を返したので振り向かずに、その場で足を止めた。
「死者は0人。いや、前線に出していた無線機が何者かによって銃で殺された。これが今日の戦闘でこちら側の受けた被害。そっちは?」
「……頭に大きな“たんこぶ”を作った戦士が1名だ」
「それは良かったな」
「ああ」
「俺もこれから忙しくなる」
「……」
「なにせ、ここでの戦闘で70名近い負傷者を作ってしまったんだ。戦争ではないから大統領命令が出ない限りバグラム空軍基地では持てあますだろうな……その大統領も近々何かある様で忙しいらしいし、捕虜の中でも医者や大工と言うのは重宝されると聞いたが、間違いないか?」
「あ、ああ、間違いない。特にこの場合医者は重要だ……」
ミランの言葉を聞いて急に鼻がツンとして、目が潤んで来た。
「泣いているのか……」
「いや、泣いてなど居ない」
「じゃあこっちを向いてくれ、ナトー」
これは罠だ。
ミランが俺に仕掛けた罠。
冷たい虚ろな目を向けて俺を蔑んだのも、決して本意ではなくフェイクだったのだ。
俺は何て馬鹿なのだ。
ミランがスマホに映った俺の写真を撃つのに躊躇している時、既に彼はその信号を俺に送っていた。
彼はあの時、ただ単に撃つのを躊躇っていただけではなく、俺が気付くのを待って居たのだ。
俺がミランの存在に気付いて撃ってくることを。
グリムリーパーと言う残虐で悪魔の様な狙撃手の命と、間違った選択をしてしまった自分の2人を同時にこの世から消すチャンスを待っていたに違いない。
「ナトー、こっちを向いて」
もう一度ミランが言った。
既に俺の瞼からは、止められない程の涙が溢れ出し、幾粒も頬をしたたり落ちていた。
鏡は無いので分からないが、おそらく鼻なんて真っ赤だし、屹度鼻水も垂れている。
そんな幼児の様な泣き顔なんて、恥ずかしくて他の者には見られたくない。
だから広げた両手で眉から顎まで隠すようにして振り向いた。
これなら正面に居るミランしか見られない。
男は女の涙に弱いと言うのは本当だ。
ミランもまた、予想していたとは言え、俺の泣き顔を目の当たりにして気の毒なくらい心配そうな顔に変わった。
そこで俺は、言葉を一つ添えた。
「Happy crying(嬉し泣きだ)」と。
その言葉一つを添える事で、ミランの顔は見る見るうちに、昔赤十字難民キャンプに居た頃の優しい苦労知らずの顔に戻って行くのが分かった。
元のミランの顔を見る事が出来て、跳びつきたいほど嬉しかった。
けれども今それは出来ない。
人間としては平等だが、立場上はまだ敵対した者同士。
ここで俺が負けた側の司令官であるミランに馴れ馴れしくすることは、彼の立場を危うくするどころか彼がこれから行うであろう怪我人たちの治療にも影響を及ぼす。
命を狙われるかも知れない。
「See you!(またね)」
それだけ言って背を向けた。
歩き出そうとしたときに、またミランが声を掛けて来た。
「出所できたら、医者に戻るよ。俺には火遊びよりも、医者が合っている」
「復帰したら教えてくれ、見てもらいに行く」
「ああ、是非君が守ろうとした大切な彼氏と一緒に来てくれ」
折角鼻の赤みが消えてきた頃だと思っていたのに、今度は頬と耳が急に焼けるように熱くなった。
彼氏って、トーニの事か??
勘違いを正そうとして、慌てて振り返ると、ミランがニヤッと笑いながら右肩に巻いた包帯をポンポンと叩いていた。
“しまった!!”
またしても罠だ。
ミランの肩には弾傷がクロスして付けられている。
ひとつはトーニが見事に当てたもの。
もう一つは、当てられなかった時の事を心配した俺が付けた傷。
それにしても“彼氏”だなんて縁起でもない。
俺はソッポを向いて言い返す。
「新しい看護師さんは、屹度ミランの事を誰よりも心配してくれるから、もう前の彼女の時のように喧嘩はしないように!」
そう言い残すとスタスタと大股で、ヤザの居る洞窟の方に歩き出した。
もう振り向かない。
振り向く理由もない。
ミランはもう1人でもチャンと立っていられる。
いや、2人でもっと進歩的な未来を目指す事が出来ると言うべきなのだろうか。
俺の進む方向から、拘束したリズをジェイソンとボッシュの2人が連れて来るのが見えた。
途中まで俯き加減だったリズの目が、心配そうに縛られた兵士たちの隊列の中を探り、急に曇っていた瞳を輝かせた。
ミランの姿を捉えてからは、もう周りの景色など何もなかったように、何ものにも振り向きはしない。
“恋する女性は、みんなこうなるのかな”
俺は、丁度前からやって来たハンスを見た。
ハンスは直ぐに俺の視線に気が付いたが、忙しいのか直ぐに目を逸らせた。
どうやら、俺にはまだ恋という奴は当分来そうにもない。




