【The enemy captain is Liz③(敵の隊長はリズ)】
後から分かった事だが、俺が車から降りて様子を見に行った時、リズもバックミラーで峠を降りてくる車のライトに気が付いた。
リズは仲間に知らせる手を考えたが、その時ドアのロックが掛かっている事を知り、縛られたまま体を激しく揺らした。
リモコン式の鍵の場合、鍵が掛かり、その鍵を持った人間がリモコンの通信圏外に出た状態で車を揺らすと、車に搭載されたコンピューターが盗難や悪戯と認識して運転手や周囲の人に注意を促すためにクラクションを断続的に鳴らす。
その事を知っていたリズは仲間に知らせるためにその機能を利用して、知らない俺は慌ててしまった。
脇道の林道に車を隠し、アジト迄歩く事7時間。
丁度最後の尾根に登った時に、遥か地平線に真っ赤な太陽が現れていた。
「ただいま」
「あら、可愛いお連れさんね。誰?」
「元DGSIのエージェント。名前はリズ。リゼッタ・チェンユン、中国人じゃなくて香港人だ」
「この女だ。俺を騙そうとしたのは!」
ヤザが凄い剣幕で現れ、リズに掴み掛ろうとしたのをサオリと2人で止めた。
相変わらず直情的で、凄い馬力。
まともに力で抑え込もうとしても全く歯が立たない。
義理とは言え、父親相手に使いたくはなかったが、俺は技を使てヤザを座らせたがまだ抵抗しようとする。
「アサムがこんな時に、狭い洞窟で騒ぐな!」
「す、すまん……」
俺が怒って一喝するとヤザは、急に元気をなくしたように謝り、おとなしくなった。
「あら、娘さんに怒られると効くみたいね」
サオリがチラッと俺を見て笑う。
目が合った俺は、慌てて目を逸らす。
あれだけ怒っていたヤザが俺の一言でおとなしくしてくれたのが嬉しかったし、大きな体を小さく折りたたむようにチョコンと座った姿も何だか猛獣を手懐けたみたい。
なによりも、謝った時の少し上目遣いに俺を見た目なんて、まるで子供の様に可愛くて母性本能を強烈に刺激された。
死んだハイファ母さんも、屹度ヤザのこんな所が好きだったんだろう。
だからサオリに言われた時、胸の辺りがちょっと、くすぐったく感じて嬉しくて恥ずかしかった。
アサムの様子を診てくると言ってその場を離れた。
井戸で汲んで来た冷たい水にタオルを浸し、それを絞って寝ているアサムの額に乗せる。
絞った時に着いた水の玉が付いたままの手で、自分の頬とおでこを触ると、ひんやりして気持ちいい。
「すまんのう……」
眠っていたアサムが、目を閉じたまま小さな声で言う。
「すまん、全てワシが間違っていたのかも知れない」
「……」
「ソビエト(現ロシア)が攻めて来た時、アフガニスタンの青年将校じゃったワシは、この国を守るためソビエトの言いなりになって住民を弾圧することに我慢できずに仲間と共にテロ組織に入って戦った。アメリカの武器を安く分けて貰い、ソビエトを追い出した後、今度はそのアメリカが入って来た。奴らは仲間ではなかった。ただ単にソビエトを追い出すためにワシたちに代理戦争をさせたのじゃ。そのためにワシの仲間は次々に死んでいった」
「国を、いやイアスラム教を守るためには、仕方のない事だ」
点滴がもう直ぐ切れそうだったので、新しい物を用意しながら、そう答えた。
「本当に、そうじゃろうか?」
「……」
「テロ組織は軍隊の様に統制がとれてはいない。古来から続く部族主義の集まりじゃ。じゃから同じ組織内でも分裂や争いが起きるし、気に入らなければ戦争とは全く関係のない文化遺産も壊す」
「野蛮な奴はどこにでもいる」
「イラクはどうじゃ。ザリバンが侵入して良くなったと思うか?」
「……」
点滴の交換を終え、血圧を測るためにベルトを巻こうとした手が止まる。
「アメリカだけじゃない。あちこちの街と言う街には、多国籍軍が駐屯してワシらは組織立った行動を抑え込まれた。その結果が各地で起こった爆弾テロじゃ。そのテロのせいでお前は実の両親と分かれ、今度はその報復攻撃でお前を育ててくれた母が死に、まだ幼かったと言うのにお前はザリバンの戦士になるように育てられた」
「全て終わった事だ」
「いいや、終わっちゃいない。我々が分断され、まるで秩序も良識もないテロを行った事により、武器さえあれば誰にでもテロは起こせると言う風潮になってしまった。そして、そこに目を付けたのがPOCを始めとする武器商人じゃ。奴らはパリッとしたスーツを身にまとい、戦争や紛争とは程遠い都会の真ん中に居ながら、人を唆し、人を操って利益を貪る。馬鹿なワシらは奴らの格好のお客さんじゃ」
「どうしたいのだ?」
俺の問いに、今迄目を瞑っていたアサムの目が開き、顔を横に向けた。
真直ぐな視線は老人の目ではなく、まるで思春期に起こる様々な悩み事が全て解決でもしたような青年の目のように、ただ純粋に輝いている。
「ワシは世界に向けて全てのテロ活動の中止を宣言し、全ての犠牲者に向けて謝罪する」
「出来るのか?!」
「何か問題でもあるのか?」
「宣言するのはいいが、共に戦って来た仲間はどうする。職を失うぞ」
青年の目をしていたアサムの眼差しが、今度は悪戯っ子の様にランランと輝いてニコッと孤を描いて俺を見た」
「実はな、ある財団から職業訓練と職場をあっせんしてくれると言う話しも来ているのじゃ」
「でも、その財団ひとつだけでは……」
「まだ明かせんが、一つだけではないぞ。なにせテロが無くなって平和な世の中が訪れるのじゃからな」
アサムの話に、俺まで心がウキウキとした。
そう。
平和だ。
争いが止み世の中が平和になれば、人々の生理的欲求が満たされると、直ぐに安全の欲求も満たされる。
マズローの法則によると、次に訪れるのは社会的欲求。
ここまでくれば産業は一気に伸びる。
※マズローの法則(欲求5段階説)とは、人間の「欲求」にはピラミッド状に積み重ねられた5つの段階があるとする心理学理論です。基礎となる底辺にある「生理的欲求」は、生命活動を維持するために不可欠な「3大欲求(食欲・睡眠欲・性欲)」があたります。2段目は「安全の欲求」です。安全の欲求とは、身体的に安全で、かつ経済的にも安定した環境で暮らしたいという欲求です。そして3段目の「社会的欲求」とは、家族や組織など、何らかの社会集団に所属して安心感を得たいという欲求を指します。つまり社会活動が活発化することにより、コミュニケーションの取れた、より住みやすい世の中になって行くのです。




