第2話 偽りの思い出、だけどそれは大切な宝物だから。
天城民間除霊事務所。
今日も客は一人もおらず、暇な毎日を送っていた。
「なあ黒猟犬、何で客が来ないと思う?」
「だって聖、せっかく取材に来てくれた記者をわざわざ追い返すだろ。それで知名度なんかないし、それで結局こんな名もない場所に依頼なんてしませんよ」
黒猟犬は正直に言った。
その正論には言葉を失ったのか、天城は椅子に座って天井を見上げた。
天井にはこけが生え始め、とうとう自然と一体化しようと試みていた。それにため息をこぼし視線を下ろすと、床にもこけが生え始めている。
「いよいよこの事務所も終わりだな」
「なあ聖、何で記者を追い返すんだ。今の財政をちゃんと理解しているのか」
「当たり前だ。だけど私は人見知りなんだ。そんな私にどう記者の相手をしろと?」
「それもそうですね。ではこのまま三億年ほど昼寝してますので、依頼が来たら起こしてください」
「三億年後か、ギリギリ死んでるかもな」
「普通に死んでるよ」
黒猟犬は的確にツッコミをいれた。
「全く、ボケにボケで返すのはやめてください。こっちが損した気分になりますよ」
「良いじゃないか。面白さが二倍になるんだぞ」
「はあ。本当にあなたはいつまでも変わらない人ですね。そんなあなたについていけるのは私しかいませんね」
「大好きだぞ。黒猟犬」
天城はソファーで寝転ぶ黒猟犬へと抱きついた。
その突拍子もない行動に黒猟犬はソファーの上で暴れまわった。
それを見て楽しんでいると思ったのか、聖華は黒猟犬の体をくすぐり始めた。
黒猟犬が必死に笑い声を我慢しようとしているのを見て、聖華の内にあったいたずら心には火がついていた。
「笑って良いんだぞ」
黒猟犬は必死に声を漏らさぬように力んでいるが、既に限界は近づいていた。漏れ始めた吐息にやる気を得たのか、聖華の手付きは早くなっていく。
あと一息で黒猟犬が笑う、となった直前、扉が開き、そこから一人の女性が姿を現した。
緩んだ聖華の手から抜け出し、黒猟犬はその女性の背後へと移動した。
「もしかして、依頼ですか?」
「はい……今、何をしていらっしゃったのですか」
返答に困る聖華の顔を見てか、黒猟犬は笑みを溢しながら聖華の横へと座る。
「とりあえず座ってください」
そう促した場所は先ほど聖華と黒猟犬が暴れていたソファー。そこには黒猟犬の毛が落ちている。
戸惑いつつ、女性はソファーに腰かけた。
「今日はどんな依頼でしょうか?」
聖華はソファーとは離れた位置にある椅子に座って本を読み、女性の対応を黒猟犬が請け負っていた。
「実は先週まで仕事で会社に寝泊まりしていまして、それからお爺ちゃんお婆ちゃんと一緒に住んでいる家に帰ったんですけど、どういうわけか二人ともおらず、近隣の住民に話を聞いても皆口々に知らないと言いまして」
「なるほど。それで妖かしが関わっているかもしれないから、調査を依頼したいと言うことだね」
「はい」
「聖、良いよね」
「うん」
依頼人の女性へは目もくれず、聖華は視線を本に向けたままそう答えた。
「ではそこへ案内していただけますか。その謎、解決してみせますので」
依頼人の女性は明らかな動揺を見せつつも、黒猟犬と聖華をその家へと案内した。
特に変哲もなく、妖かしの気配を微塵も感じさせない家。
「黒猟犬。少し変じゃないか」
「変って?」
「妖かしの気配は感じない。だが残り香はある。つまりここに妖かしはいた、ということになる」
「まさかそれって……」
長年彼女とともに過ごしていたからこそ、彼女が何を言おうとしていたのかはすぐに理解できた。
黒猟犬は聖華の肩から降りると、依頼人の女性のもとへと歩み寄った。
「この事件の謎は解けました」
「本当ですか。ではお爺ちゃんとお婆ちゃんは」
「もういません」
「……え!?」
彼女は呆然とし、言葉を失った。
「あなたのお爺ちゃんとお婆ちゃんは、妖かし、だったんですよ」
「そんな……だって……」
思い当たる節があったのか、彼女は言葉に詰まった。
「きっとあなたのことを思うが故、妖かし語りがいないような田舎で暮らしていたのでしょう。いつか言おうとしていたのでしょうが、既に弱っていたせいか、その前に力尽きて消失した」
「じゃあ、お爺ちゃんとお婆ちゃんは、ずっと私に嘘をついてきた……」
彼女は膝から崩れ、顔を手で覆い隠した。
けれど頬を伝う一滴の雫を隠すことはできなかった。
黒猟犬は何も言えずただ見守っていた。
そんな時、聖華はなぜか家の中から現れ、そして崩れ落ちる彼女の前にしゃがみこんだ。
「依頼人さん。あなたの祖父母はあなたのことを騙そうだなんて考えてはいなかったんですよ」
「そんなの嘘です」
「いいえ。嘘じゃないんですよ」
「何でそんなこと言えるんですか」
「それはですね、これを読んでみてください。この手紙を見つけられたのは、あなたの祖父母がこの手紙に込められるだけの思いを込めていたから。だから読んでみてください。きっと彼らの本音が聞けると思うから」
聖華は手に持っていた手紙を彼女へと渡した。
彼女は顔を手で拭い、その手紙を受け取ってそこに書かれていた内容に目を向けた。
『才花へ
今まで隠していてごめんなさい。
私たちにはどうしても打ち明ける勇気がなかった。きっと才花は私たちに騙されていたと、そう思ってしまうから。
でもそう思われても仕方のないことをした。
孤児であった才花を拾った時は正直戸惑ったけれど、見過ごすなどという選択は選べなかったから。
才花、妖かしの私たちに、こんなにも温かい思い出をくれてありがとう。私たちはこの思い出を忘れない。
才花、これはお婆ちゃんからのお願い。
あなたは一人でも良いから一緒にいたいと思える人を見つけなさい。私たちの寿命は長くない。本当はもっと才花と思い出を作りたかった。
けど、この世界には逆らえないものがあるから。
だから後悔をしないように、今を精一杯生きてね。
才花、愛してるよ。
お爺さんとお婆さんより』
その手紙を胸に当て、彼女は床に額を当てて涙を流していた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、私も愛してる。愛してる、愛してるよ……」
彼女は伝えられる限りの感謝を二人の家族へと告白した。
涙を拭った彼女は聖華の前に立ち、
「ねえ、天城さん。私、あなたのところで働きたい」
「……え!?まじか……」
「お願いします。天城さん」
聖華は手を掴む彼女を見ていた。
そして考えていた。
「私、何でもやります。犬の散歩に洗濯に掃除、そして料理まで、私、何でもやりますから。是非ともお願いします」
「おいおい。犬の散歩って、」
黒猟犬の言葉を遮り、聖華は輝かしい目で彼女を見つめながら言った。
「分かった。是非うちに来てくれ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた彼女は顔をあげると、笑顔で聖華へ言った。
「私は七海才花と申します。これからよろしくお願いします」