山頂。
両手を振って楽しげに歩くわけもなく、無いポケットに手を入れられるはずもなく、手持無沙汰な両手は背負った鞄の肩紐を掴んでいた。時間はもう昼頃だろうか、日差しは温かく、風が吹くととても気持ちが良い。青々とした木々を横目に山道の先に見える関所を見ていた。
関所は三メートルほどの三角屋根の物見やぐらが二本並んでいて、間に衛兵が一人立っている。
衛兵は兜をかぶらず、鉄製の甲冑を身にまとっている。長い柄の先に槍と小さめの斧が付いたハルバードという武器を杖みたいに地面に刺して俺を凝視している。
もっと遠くに関所が見えた頃は衛兵の姿は無かったし、少し近づいた頃に物見やぐらの陰から現れた衛兵は両手を上に上げながら大きなあくびをしていた。山道を登る俺に気づいた衛兵は地面に転がっていたハルバードを拾い上げて、今の格好に至る。
「この関所を通るには、通行証が必要だ。持っているか?」と衛兵。
背負っていたカバンから丸めた通行証を取り出し、衛兵に手渡した。
「ふむ、確かに。見たところ、商人ではなさそうだが・・・」
衛兵は俺の格好を見てそう言った。続けて、
「お前も魔法使いギルドに用があるのか?」
「はい、登録に来ました」
「そうか、良い旅を」
「ありがとうございます」
関所を抜けて、三十メートルほど先の山頂を目指す。
俺がなぜ、山頂の町を目指しているのか、それは魔法使いギルドに登録するためだ。
なぜ魔法使いギルドを知っていて、通行証を持っていたのか。
それを語るには、三ヶ月ほど前から話を始めなければならない。
三ヶ月ほど前のこと。
俺は地球の、日本の、都会で、夢の一人暮らしを満喫していた。
都会への就職が決まり、田舎から飛び出して、イイ感じの部屋を選び、必要最小限の家具と家電を買った。
入社式も無事に終わり、同僚にも上司にも恵まれ、給料は少し心もとないが、十分すぎるほどのスタートだった。そして、五月に入り、ゴールデンウィーク真っ只中、残りの休みと今日のお昼ご飯をどうするかを思案していた時だった。
忘れもしない、いやここ最近色々なことが起こり過ぎて正直ちょっとだけ忘れかけていたが、
忘れもしない、衝撃的なことが起こった。
カーペットの敷かれた床に寝転がって、手足を投げ出して天井を見つめながら、ぼーっとお昼ご飯を考える。買い貯めたカップ麺か、まだ詳しく知らない近所を散策して良さげな店に飛び込んでみるか、それとも四月に見つけて以来常連になりつつあるパスタ屋にするか・・・。
何をするでもなく、ぼーっと考えて、ぼーっと・・・お昼ご飯を・・・何にするか・・・ぼーっと。
目を瞑っているのか・・・。世界が真っ暗だ。耳に水が入ったような籠った感じがする。
遠くの方で声が聞こえるような・・・。
「・・・ヤマト・・・!」俺の名前を呼んでる人がいる、女性の声だ。
「帰ってきて!ヤマト・・・!」
声がだんだんと明確になってきた、どうやら体を揺すられている。女性というより少女?いや、女の子・・・かな。
「目を覚まして!ヤマト!ヤマトってばあ!」
バチンッ!思い切り頬を叩かれた。ぶほぁっと情けない声を出して、叩かれた右頬を撫でながら、恐る恐る起き上がった。
女の子は涙を流しながら顔全体で驚きと喜びを表現した。
「ヤマトぉぉおおお!!」と叫びながら俺をぎゅっと抱きしめる。
「ちょっちょちょ!なんですか急にぃ!あなたは一体誰なんですか!」
できるだけ優しく引きはがそうとしたが、意外と力強く、すぐに俺は諦めた。それよりも異常なことがあったからだ。ここはいったいどこだ?
俺は平べったい大きな岩の上で寝ていたようだ。周りには質素な衣服をまとった老若男女が数十人。各々が抱き合ったり、拍手したり、俺が起き上がったことを喜んでいるようだった。
でも、なんでだ?俺はさっきまで自分の部屋にいた。天井を見つめて、お昼ご飯を何にするか吟味していたのに。
これはまさか、最近話題のアレか・・・?異世界転生ってやつか?
いや、待てよ。アレは違うはずだ。まず俺は死んでない、と思う。死んだのか?分からない。
いやいや、そんなはずは、ない、よな?
考えても分からない。頭も視界もぼーっとする。右頬がじんじん痛む。
ひとしきり抱きしめ終えた女の子は俺の目を見て言った。
「良かった、戻ってこれたんだね・・・ヤマト」
ごめん、分からん。分からない。
「分からないよ・・・君は誰なんだ?ここはどこ?」
「まだ頭が混乱しているみたいね・・・。私はナデシコ、覚えてる?」
「ナデシコ・・・。」ナデシコ・・・。分からない、知り合いにナデシコなんて名前の女性はいない。
春から入社した会社にもナデシコって人は居なかったと思う。
「ヤマトは私の事ナデコって呼ぶんだよ?」とナデシコは言ってくれたが、それでも身に覚えが無かった。
「ごめん、全然思い出せない。」
ナデシコは「そっか・・・すぐには仕方ないよね」と自分なりに折り合いがついたようで、二人で乗っていた岩から降りて質素な衣服をまとった人々に宥められて、奥へと消えて行った。
えーっと・・・私はどうすれば?というか、ここは一体どこなんだ。