埃っぽい荒野に花が咲いたら:1 聞いたことはすぐ忘れてほしい どんどん嘘になっていくから
寒さが人間をどんどん固くして
僕らのなかから次々と火が消えていく
明かりが消えた町の風景はとても遠くて
そこに人間がいるのは分かるのに
誰も動こうとせず息を潜めて
みんな
何もないということに心底怯えていた
つまり
凍えていたということ
だったら火を点ければいいだけなのに
きっとその大切なことを忘れてしまったのだと思う
どれくらいできるのかよく分からないまま
電力会社は結局のところ僕らに電気を送ってくれている
ああそうか
みんな電気のことを火だと思っているんだ
オール電化住宅ってけっこう便利
これで部屋は暖かいし料理もできればあったかお風呂も用意できる
でもね
新興住宅地の家が全てオール電化でずらっと並んだら
その団地ってとても冷たい感じがする
みんな凍えているのに
どうして皮膚がかさかさしてくるのか理解できない
体の動きも悪くなって
ああきっとこのままだと
自分のなかに火があるってことも忘れちゃうんだろうな
いったい何が僕らの火を消していくのだろう
って
今さらだよね
現代の生活を享受している人たちを問い詰めれば
ある人たちはちゃんと答えてくれるし
気付いていない人たちは怪訝な顔をするし
気付かないふりをしている人たちは笑ってくれる
「やつら」の手下になってる人たちだけは
猛烈な勢いで怒鳴ってくる
それとも
大人の余裕ってやつを見せてきて失笑してくるかな
それに対して僕が「勝てないなあ」と思うのは
自分も「やつら」を飼っていて
やっぱり「やつら」がかわいくてわがままを聞いてしまうから
とりあえず寒いからコタツに入ろう
あったか電気に蜜柑が合うから
僕の指はまっ黄っ黄
目は充血してまっ赤っ赤
体のなかは青ざめているかな
僕は今日も「やつら」にやられた
◇
僕のキッチンに立って香奈理子はコップに水を注ぐ
どうして紅茶を飲まないのかとティーバックを指して言うと
あなたがコーヒーを飲んでいないから
と言う
僕も水を飲んでいる
最近また雨が降らない
僕の上に乗る香奈理子の柔らかさと軽さがあれば
もう雨もいらないような気がする
僕らは相合傘をするけれど
雨はその内側に降っている
「野菜炒めにピーマン入れていい?」
君はこくっと頷いてすっと水を飲み干す
やっぱり香奈理子は処女だ
その水の飲み方
喉を通る水のあり方
その後にきらきら光る口元と瞳
僕はそこに手を伸ばしたい
えーっと
香奈理子って僕のなんだっけ?
セックスするんだから恋人で
伴侶っぽいと思うこともあれば
自分が赤ちゃんみたいだと感じることもある
その一瞬一瞬が永遠になればいいのにと思う時
僕はきっと「やつら」に甘い
「地上の永遠が「やつら」の好物だから」
と香奈理子が教えてくれる
僕はピーマンを切ってフライパンに入れたところ
今日の香辛料は何にしよう
◇
昔の話になるけれど
同じ高校に尻軽ビッチという密かなあだ名を持っていた同級生がいて
本当に同じ年かと疑うくらい綺麗な女の子だった
容姿端麗
なわけではなくて
ふくらはぎは少し筋肉質だし胸はそんなに大きくなかったけれど
お尻は確かに大きかった
運動はできたけれど勉強はあんまりで
顔はひたすら綺麗だった
えーと確か
声浴ノさんって名前だった
彼女は学校中の気に入った男を誘って跨り
相手がその気になってくるとすぐに切り捨てた
きっといろんな恋がしたかったわけじゃなくて
ただセックスしたかっただけ
だけど一人だけ本気で好きになった男子がいて
一応その人と付き合っているということになっていた
声浴ノさんの噂は学校中に広まっていたから
彼氏だって知らないわけじゃない
「別に声浴ノがしたいっていうんなら止めないよ」
とか
「俺だって浮気したくなる時あるし」
とか
「でもけっきょく俺のところに戻ってくるからさ」
とか言っていて
それって強がりなんじゃないのと思っていたけど
事の真偽はけっきょくのところ分からずじまい
彼氏は卒業する前に心の病にかかって登校拒否をして
最後は中退したのかな
みんな声浴ノさんのせいだろうとか言っていたけれど
彼女はその時
誰にも言えずに涙を流していたから
きっとそうじゃないと僕は思っている
あー
そんな時に僕は
彼女とセックスしたんだったな
◇
悔しそうで
悲しそうで
でも僕は同級生が持つそんな感情にどこか違和感を持っていて
きっとそれは
香奈理子を見ていたから
地上に真実なんてないっていうのは
もっともっと小さな頃から感じていて
僕の目の前で人間が抱く感情だって例外じゃない
はずだった
香奈理子の感情は地上の感情ではないように思ったし
彼氏をなくしてしまった声浴ノさんの表情も
僕には特別なもののように思えた
彼女は騎乗位が好きで
僕は下から彼女の顔を見ていた
忘れたいんだろうなと思いながら
僕はその手伝いができればと思って
僕なんてこれっぽっちも見ずに腰を振っている彼女を
思いっきり突き上げてやった
ひどく乱暴なセックスだったけれど
彼女は最後に泣きながらしがみついてきて
「ありがとう」
と言ってくれたんだった
◇
まさかの尻軽ビッチ復活
僕のなかのスクリーンにはそんなテロップが表示されて
飲屋街のただなかにあるラブホテルがきらきら輝いていた
もしかしたら僕は一晩中寒い道路で待ちぼうけになるかもしれない
だけれどそれ以上に
声浴ノさんの今を知りたいと思ったのだ
隣にいた男は若い茶髪のにいちゃんで
その男が声浴ノさんの恋愛対象になるとはどうしても思えない
これってストーカー?
彼女は僕の元彼女ではないし
言ってしまえば一晩だけの関係
それに執着しているように思われたら僕は情けない男だし
いやいやそうじゃなくて
僕には香奈理子がいる
それでも見つけてしまって気になってしまったら
それって運命っていうやつじゃないの?
きっと長くて二時間待てばいい
と考えていたら
一時間くらいで二人はホテルから出てきた
「やあ声浴ノさん
久しぶりだけど覚えてる?」
声のかけ方がストーカーっぽかったかもしれない
でも一番びっくりしていたのは彼女ではなくて隣の男
複雑な空気のなかで彼が理解したのは
自分が単純に遊ばれただけということ
声浴ノさんが僕の腕に抱きついてきたから
男は「尻軽ビッチ!」なんて罵倒にもならないことを言って
どこへともなく消えていった
声浴ノさんは僕を引っ張ってもう一度ホテルへ
「さっき中出しされたけど入れてくれる?」
なんて言うもんだから
「もっとすごいのを入れてあげるよ」
って返答した
彼女はこれまでの身の上なんてぜんぜん喋らないまま
本当に嬉しそうにはしゃいで
僕も何も訊かないまま
「あの時を思いだすなあ」
なんて呟きながらセックスしたら
着替え終わった帰り際に声浴ノさんは背中から抱きついてきて
「置いていかないで」
と静かに泣きはじめるのだった
◇
人間ってどこまで本当のことが言えるんだろう
時間のなかで生きている以上
僕らの言葉は抗いようもなく嘘になっていくし
だからと言ってそれが悪いわけじゃない
その時に嘘じゃなければいいなんて言うかもしれないけど
人間って「永遠のなんとか」を求めたがるじゃん
せめて自分の言葉に責任を持てなんて言われるけど
その期限っていつまで?
臨機応変なんて返してくるのはいい加減だと思う
「今日も野菜炒めをするよ」
って言ったのに台所に立つと気が変わる
僕は嘘をついたのかな
そんな些細なことまで気にするなって言うのは大人だけで
子供にとっては深刻な問題
香奈理子
君にとってはどうだろう
僕は君に嘘をつけないけれど
嘘になってしまう僕の言葉は君の存在を薄めてしまうだろうか
「いつでも嘘が物語を面白くするけど
結末は悲劇ばかり」
なんて香奈理子は怖いことを言う
ちなみに
僕は君に隠し事もできないから
「昨日同級生の声浴ノさんとばったり会ってセックスした」
と告白する
顔を真っ赤にして怒鳴り散らして平手打ちを喰らわせるような
もちろん香奈理子はそんなことしない
怒ることもなければ嫉妬することもない
でも
ちょっとだけ寂しそうな顔をする
声浴ノさんのことは君も知っているよね
僕にとっては香奈理子よりも近付きやすい人だったけど
君と同じくらい分からない人
今日は焼きそばを作ったよ
とりあえず水を汲むから
一緒に飲もう
◇
香奈理子はいつでも火を持っている
あんなに雨が好きで
雨の日をずっと待って
雨のなかを傘も差さずに歩いていくような
そんな君はとても強く光り輝く火のために
雨や星が降り続くこの地上だって歩いていける
でもだからこそ
君はそんな目をしているし
君に近付く人もあまりいない
それは不憫なことじゃない
むしろ羨ましくてみんなの憧れ
つまり
人間は「やつら」といることを選んで火を断念した
もっともっと違うものも断念していくのだろうか
どんどん嘘になっていく
それがいいことか悪いことか
香奈理子
僕は耳を澄ましておくから
どうかゆっくり教えてほしい