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今日の街角も雨の匂い:3 真昼間のデートの楽しみ方

手相なんて信じていなかったけど

感情線が気になってしょうがない

僕はどんな感情を持って生きているのだろう

これまで頭に入ってきたものが

姿を見せることなく感情の構築にせっせと働いている

なんだか機械みたいだ

僕は自分の感情を見つけたい

僕が日本に生まれたということは

日本の感情が生き方そのものになるはず

だけどどんなに探しても日本が見つからないから

直接感情を覗くことにした

正午を十五分過ぎたところで

僕らはカフェの屋外テーブルにつく

すぐ側の人通りがちょっとうるさい

だけど香奈理子とデートするのならこのくらいが丁度いい

僕がコーヒーを注文すると

彼女は紅茶を注文した

少しだけためらって

僕は彼女の手を取る

香奈理子の感情線は先が力強く枝分かれ

どんな人にでも優しくできる人

彼女は人見知りをするわけではなくて

ただ無口なだけ

でも出会った時から思っているのは

彼女とは表情で話をすればいいということ

言葉は無力

いやそんなことはない

「暖かいのね」

と言った彼女のそれだけの言葉が

僕にとってはまるまる惑星ひとつ分だ


 ◇


雨の匂いが空から降りてきて

お店はざわざわと忙しい

僕はコーヒーの水面に雨粒が落ちるところを見てみたい

そうすれば

自分の居場所をひとときだけでも感じられる

香奈理子は残りの紅茶をひと息に飲み干して

空を見上げた

たぶん

僕らは同じようなことを考えている

たった一粒でいい

僕らは空から水が落ちてくるのを待っている

カフェがしまわれてしまうその前に

たった一粒だけでも……

ぽた

ぽたぽた

ぽたぽたぽた

僕のコーヒーは波紋を立てて

音が香りを広げた

香奈理子のカップに落ちた雨粒は

まるで孤独な旅人のようだった

彼女は悲しそうに笑う

僕は

彼女が直面するどうしようもなさを

全てこの身で受け止めたい


 ◇


数字を書いていると物質が希薄になってくる

全てが細い線で表現される近未来の町並み

スタイリッシュでクール

つまり

面白みがなくて暖かみもない

僕らはロボットに憧れた

どこでどう考え方を間違ったのか

人間がロボットに近付くことを目指し始めた

生身の体で人間らしい血と肉を持っている人なんて

町中ではほとんど見かけない

僕はどこまで人間っぽく見えるだろう

時々自分が何なのか疑うことがある

香奈理子のほうがよほど人間らしい

僕はとりあえず

携帯電話の新しくした番号を彼女に渡した

定期的に番号を変えるようにしているのは

自分に不確定さを感じたいからだ

香奈理子は十一個の数字が並んだ紙切れを受け取って

そのまま小さなバッグにしまい込む

それはいつものこと

彼女が僕と繋がる魔法の数字に興味を持つはずもない

自分で言うのもおかしいけれど

携帯電話の番号なんて

黒魔術の儀式と同じようなものだ

でも今日の香奈理子はちょっと考えこむような仕草をして

「気が向いたらかけてもいい?」

と訊いてきた

その目にはいつもの賢さがなくて

彼女と出会う前の

もっともっと幼い頃の彼女が現れたような

そんな気がした


 ◇


傘は何を遮っているのだろう

雨のなかを傘なしで誰かに会いに行くというのは

特別な人間にしかできない行為のように思う

僕にはどうだろう

ちょっと不安だから今日は香奈理子と会えない

「かけてもいい?」

なんて期待させる言葉は信用しちゃいけない

彼女に限ってそんなことはないと思うこともできる

これは単に

言葉の問題だ

僕がどう思おうと

それで誰かの何かが変わるわけではない

少なくとも香奈理子はそんな人間だ

そして僕は

人間とはそういうものなんだという期待を抱いているから

いつも町のど真ん中の真昼間に

自分の居場所を見失うのだ


 ◇


香奈理子の口から食べかけのピクルスが落ちた

「ごめんなさい」

と言ってピクルスを片付けようとする彼女の手を遮って

僕は落ちたピクルスをじっと見つめる

しわしわになったきゅうりの皮部分

それから

香奈理子の歯型がついた内側の部分

この曲線も数字で表すことができて

言ってしまえば物質とは数字の羅列だと考えることもできる

だけれど僕がどんなに集中して数式を思い浮かべようとしても

あらゆる具体化を香奈理子の歯型は拒むのだった

人体のなかの

最も生命から遠い部分ですら

本来ロボットに憧れてなどいない

「僕はもっと

 香奈理子を具体的に把握したい」

と言うと

「考えれば考えるほど

 抽象化していくから」

と返された

「私の手は何?」と彼女は訊いてくる

「香奈理子の

 優しさだ」

と答えると

彼女の目からまたしても賢さが消えて

一瞬

僕は彼女がどこにいるのか分からなくなった


 ◇


ねえ香奈理子

二人でいる時に雨が降りだしたら

僕らはどうすればいいだろう

昔むかし

二人がまだ制服を着ていた時は

相合傘すらできなかった

今ならもちろんそれくらいすることができる

だけど本当にそれでいいだろうか

君は自分が濡れることをどう思っている?

香奈理子と同じ匂いがするから

僕は雨が好きだ

君という雨粒を手に入れてから

僕は普通の生き方ができなくなってしまった

ぽた

ぽたぽた

ぽたぽたぽた

それは心臓に落ちてくる香奈理子という水滴の音

僕は自分の血のなかに

確かに君という存在を感じる

そんなことになってしまったやつが

自分の欲求を正当化するために言葉を使っているような

そんな大人たちのなかで言い争いなんてするわけないだろう

だから僕はいつだって

いいカモなんだ

だけどね香奈理子

君から出てくる言葉の発光する場所以外に

僕が正義を見つけられるところはないんだ

だから

僕は君の言うことに従う

よし

君の部屋まで濡れて帰ろう

それから僕はさらに濡れながら

君を思っているよ


 ◇


感情を表現するのって難しい

日本語には感情を表す言葉が非常にたくさんあるけれど

「嬉しい」って言ったって

人間の感情がいったい何段階くらいあると思ってるんだ

だから僕は

香奈理子に対して感情を偽っていないかどうか

真剣に考えることがある

そういえば

僕の感情線ってどうなってるんだろう

見てもよく分からない

どこから始まっているかもよく分からなくて

ただなんとなく

日本列島のように見えなくもない

「香奈理子はどこで生まれたの?」と訊くと

彼女は無言で空を指差して

懐かしそうな寂しそうな顔をした

空の彼方には永遠の命を持った歌姫たちの楽園があった

という話を聞いたことがある

しかし歌姫たちは禁忌を犯して永遠の命を失い

地上に降りてきたのだと

なんだか人間に似ている

僕らは歌声で感情を伝えることができるだろうか

そういえば香奈理子が歌うところなんて聴いたことがない

無性に聴きたくなってせがむと

「いつも聴いているでしょ」

と言われた

ああ

そういえば

雨音に混じって気付かなかった

僕は彼女の感情を

よく知っている


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