表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

今日の街角も雨の匂い:2 太陽の国から帰ってきても湿った空気が懐かしい

ハロー

今日は休みだ

怠惰な気持ちが雲になっていくのをずっと見ている

仕事をしばらく休んでいる久霧里さんは

何回首を吊ろうと考えただろう

気休めにと始めたリストカットは

自身を破れたダンボール箱みたいにしていく

この

何もない感じ

価値も使命もない代わりに

意味も責任もないという気楽さ

久霧里さんは呼吸の仕方もよく分からずに

にやっと笑う

続けて

あへあへあへと笑うから

僕は久霧里さんの頬を平手打ちした

ぼろぼろぼろと泣きだして

「死ぬのは嫌!

 生きるのも嫌!」

と怒鳴る

そんな彼女はセックスに支えられている

僕が顔を歪ませて抱きしめると

「どうしてそんな顔をするの」と

声を震わせる

久霧里さん

明日もし晴れたら

僕と半日くらい雲を眺めていよう


 ◇


月を眺めていたら

見知らぬ人に追いかけられた

僕はこの逃亡を知っている

民族迫害ってやつだ

そうして僕は月を見るのをやめた

町を流れている川に太陽が反射して

その眩しさがいつも胸をいっぱいにする

月が浮かぶくらーい水面とは大違い

その満ち欠けに合わせて生活することなんてできないし

そうするべき義務も捨てていい

だけどたまに月が衝動のもとになっている人もいて

僕はそんな人のひとりに追い回された

捕まらずに朝まで逃げ切ることができたからまだいい

久霧里さんは捕まって暴行を受けた

その日の夜明け前に

彼女は最初の首吊りを考える

中学生の時からいじめられっ子で

ひとりも友達ができないまま高校を卒業した

ありとあらゆる酷い仕打ちを受けてきた彼女は

今さら暴行されたことにそこまでショックを受けたわけじゃない

「無視される喜び」

と彼女は言う

だから

まだ自分が何者かに意識されて彼の欲求を解消するのに使われたこと

つまり

自分がまだ世界に必要とされていることがたまらなく辛かった

僕が太陽に向かうようには

久霧里さんは生きることも進むこともできない


 ◇


やけに今日の香奈理子は悲しそうだ

いつにも増して

彼女のまつ毛と二重まぶたが感情に濡れている

昨日は久霧里さんと寝た

「今日はよりいっそう太陽が眩しいねえ」

と僕はぎこちなく話しかける

「またあの人なのね」

と香奈理子は冷たい

爪をかちかちと鳴らし合ったのはそんなに昔だっただろうか

今なら

少しの抵抗だけ乗り越えられたら

僕は彼女の手を掴むことができる

でも

そうしない

香奈理子の名前を呼ぶのが恐いからだ

その時彼女は僕の名前を呼んでくれるだろうか

そう考えると手が震える

いくつもの雨を見てきた

そのなかには香奈理子もいて

彼女はやっぱり悲しそうな顔をして

ゆっくりと暖かな手を伸ばしてくる

久霧里さんは何かを得ることを恐れている

僕は人並みに何かを失うことを恐れている

香奈理子の綺麗な白い手首に

薄ピンクの鋭い傷が付いていたらどうしよう

だから

僕はもっと光が欲しい

彼女の手が見えなくなるくらい

視界を光で白くしたい

よし

太陽を追いかけよう


 ◇


今日も太陽に置いていかれた

また死に損なってしまったということだ

それでも眠りに抵抗できるわけではないから

僕は深夜の冷たさのなかで布団に入る

夜型の生活なのは仕方がない

久霧里さんも夜型で

寝る前に電話をしてもたいてい出てくれる

「明日も目を覚ますんだよ」

と言うと

彼女は嬉しそうに息を漏らして

「おやすみ」と言ってくれる

彼女は

女神かもしれない


 ◇


道具は必要性を持って生まれてくる

と考えるのはなんだか性に合わない

世界を支配するために

世界を人間用に作り変えたものが道具だ

道具が欲しかったわけじゃない

力を示したかっただけだ

僕は香奈理子まで近付けることを証明したかった

だけどそんなことに何の意味もないことを

彼女は見通していた

僕に徒労をさせないように

彼女は自分から降りてきてくれた

二段ベッドの上階から無言で忍び寄ってくるように

香奈理子はいつの間にか僕の隣にいたのだ

「下駄箱での出会いが懐かしい」

と言うと

「今日もまた

 雨が降りそう」と

小さな声で彼女は喋る

たまには雲で覆われた空を見てみたい

夕方には無数の車が

ヘッドライトをぴかぴかさせて道路を走る

僕らは陸橋の上に立ってそれを眺める

すると恐れよりも寂しさを感じて

僕は香奈理子の名前を呼んだ

彼女の手首はまだ綺麗

「自分を傷付けたくなることってあるの?」

と訊くと

彼女は遠くを思い出すような目をして否定した

だけど

「人間が人間を道具にしていく」

と言う彼女はきっと

どうしようもなく悩んでいる


 ◇


また夜がきた

すると誰にも見られていないと思って

好き放題やるやつが現れる

それもかなりの数

彼らは互いに自分たちの悪行を知っているから

ある程度のことには目をつぶる

そんな世界の犠牲者が久霧里さんで

犠牲にはなっていないけれど心を痛めているのが香奈理子

僕は適当かもしれない

ちょっと生き方がいい加減かもしれない

そんなことは久霧里さんにとってはどうでもいいことで

香奈理子にとっては

ああ

香奈理子にとってはどうなのだろう

ともかくカツアゲする不良と政治家とどっちが好きかな

お腹のどのあたりにお金を蓄えているのだろう

僕らはパンに変えた

それが必要だったからだ

明日は晴れるかな

天気予報を見れば分かるのに調べるのが面倒くさい

どんな天気でも僕は困らないけれど

今日の気分からすると晴れて欲しいかな

そんないい加減な僕は太陽が見たい

できれば

誰かと一緒に


 ◇


久霧里さん

僕はいつか

久霧里さんと一緒に太陽が見てみたい

だけどそれは否定される

部屋のカーテンをずっと閉め切って

君は僕の目に残っている太陽の名残くらいしか

光を見ていないのじゃないか

今日の食事は何?

君はお金を出して食料を買うということをずっと悩んでいた

それが誰のためになる行為なのか

自分が必要とされるということに結びつくとしたら

彼女は買うことを放棄するつもりだった

むしろそう考えて放棄した

だから彼女の食事は

いつも僕が用意している

久霧里さんはセックスをするために

食事をしなければならない

でもね久霧里さん

僕はずっとここにいられないから

君の新しい彼氏候補を紹介しようと思うんだ

彼の名前はプラトン

一緒に正多面体を作って

君の部屋を新しい世界に作り変えてほしい

たまに呼んでくれたら

その時は喜んで行くよ

でも僕はきっと

君の新しい世界に泣いてしまうだろう

だって僕は

人並みに何かを失うことが辛いんだ

久霧里さん

またいつか

セックスをしようね

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ