今日の街角も雨の匂い:1 傘を学校に忘れた 誰か代わりに使っておくれ
風は風を追い越すことがない
僕も誰かの背中を通り過ぎてしまわないように
人の歩く気配に気を付けながら
本を読むようにしたい
それは全く正常なこと
だけれどどう足掻いてもそうすることのできない者が
目を回しながら吐き気を訴えている現代
僕の足元には波紋が広がっていて
その円形模様はいつだって内耳機能を狙っている
ああ
ポテトの匂いがする
日本ってどこにいったんだ?
◇
色とりどりのコード類
中身の銅線にどれだけの技術が詰まっているかなんて
僕の誕生日と同じくらいどうだっていいことだ
プレゼントは全部
ほとばしる電流によって黒焦げ
影も形もないってことじゃなくて
地上にあるものなんてどれもこれも黒い影みたいなものでしょ
ということ
ところでセックスって気持ち良い?
ああ
時々思うのは
たかだが肉体同士のこすれ合いに夢中だなんて子供っぽい
ということ
でも「こすれ愛」なんて言い換えて正当化することもある
最後はいつも
僕らにはまだこれくらいしかできない
と落ち着いておく
いのちいのちって……
言ってることが抽象的な人たちの
「人殺しよくない」という戦争反対キャッチフレーズ
この胸で触れるいのちを持ってこい
◇
糞でも投げ付けられたかな
ぽかーーんとしている
無意識って眠っている時だけじゃないんだと意識できたら
僕はちょっと無意識を永遠化できる
眠いってどんな時?
夢のなかでとっても眠くなる時
僕はノンレム睡眠への移行に抗っている
それとも無意識を意識しようと頑張っているのかな
香奈理子って女の子が夢の廊下をうろうろしていた
変な名前だけれど
「かなりこ」って読むらしい
僕にとって大切なものは学校の下駄箱にあるのかもしれない
そこってとても青春の匂いがする
きっとポテトよりも魅力的
上履きと雨傘の匂い
僕の記憶のずっとずっと深いところに落ちていったものが
宇宙と繋がって法則化されていく
そして
香奈理子はとっても賢そうな顔をしていて
とっても悲しそうに笑う
ああ
僕を笑っているんだ
如何ともしがたいクズさ加減を君は
それでも目を背けずに見てくれる
そんな顔をしながらずっと見ていてくれる
僕はとってもバツが悪くて
「今日は満月なんだなあ」と言って自分の性格を月のせいにする
実際
あの月は怖い
◇
僕はずっと日本を探している
日本がヨーロッパになったのならば
ヨーロッパが日本になっているのかもしれない
そうだ
ロシアではアニメやコスプレが大流行り
物語の内容は西洋風でも
これを作り上げたのは日本だと言えるかな
雅楽とか和風ロックとか
それって昔の話じゃないの?
僕の生きているところに日本を見つけたい
でも純粋な日本はもうどこにもありませんっていうのが本当だったら
僕の旅は無駄に終わる
だから
僕は仏教じゃなくてキリスト教のなかに日本を探すし
アジアじゃなくてドイツやイタリアに日本を探す
◇
香奈理子は上履きのまま学校を出て行って
町が見下ろせる丘に登った
そこには昔からの墓地があって
その真ん中で香奈理子は大きく深呼吸をする
彼女の体に入っていったものは
きっと彼女を汚していくだろう
もしまだ彼女が健康でいられるとしたら
それは若さのおかげではなくて
彼女自身の賢さに依っている
香奈理子は青空のなかで僕の名前を呼ぶ
僕は風になびく彼女のスカートを見ながら
近いうちに僕らはセックスをするだろうかと考えた
まだ手を繋いだこともない僕らは
爪の先だけを火打ち石のようにぶつけ合って
無邪気な欲求を燻らせている
「鉄が必要なんだ」と言うと
香奈理子はやっぱり悲しそうに笑って
「金がないとだめ」と言った
帰り道で僕らは
いくらかの銅とパンを交換して
二人で半分ずつ食べた
「雨が降りそう」と香奈理子が呟いたので
「僕の傘を使っていいよ」と言った
相合傘ができるほど僕らは仲がいいわけじゃない
それに
そんなことをしたら彼女が濡れてしまうし
今日はなんだか雨に濡れてみたい
◇
一切はひとときのブーム
けっこうみんないい加減だし
そのように生きることが何の疑問も持たれないという世界の仕組み
だからと言って世界まで適当な双六遊びをしているわけじゃない
街角にはプラカードを持った若者が立っていて
「戦争反対」とか
「今こそ政権打倒」だとか叫んでいた
彼はいつの間にか自分自身に熱量を見出せなくなって
そこに立つのをやめた
疲れたような顔をして
言い訳を並べるようなことも特にしない
本当は疲れていないのに
それが
やめるための無言の方法
雨が降っても合羽を着て立っていたのに
そこにはもう風が吹いているだけ
「大きな声や熱い想いとは反対に
彼の手はとても冷たそう」
と
香奈理子は言う
立たなくなった彼の悲壮よりも
軽くうつむく彼女の寂しそうな目のほうが
戦争を実感させてくれた
彼は
街角から消えることで
一番大きなメッセージを残した
反して
まだ飽きもせず訴えている人たち
彼らのレールは固そうだ
そこに延々と乗っているということは
半分自分をなくしているということ
彼らの方が
いい加減でからっぽの内面
◇
とても晴れた雲ひとつない日の真昼に
香奈理子は傘を返してくれた
僕は彼女のことを分かっていなかった
彼女を濡らしたくないと思ったのは
きっと僕のフェミニズムの投影だ
香奈理子という小宇宙を
僕は認められなかった
「あなたも傘を使うのね」
と香奈理子は言う
今日は必要ないと返答したら
彼女は真っ直ぐ見つめてきて言った
「私が雨になるから」