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夕日が沈み辺りがすっかりと暗くなった頃、私たちは再びリビングに集まった。
もちろん、あのエルザとコンドラッドが作ってくれた強化服を身につけて。
服は落ち着いた青を基調とした布地で作られていた。
皆、それぞれ少しずつ形が違うのにそれでいて統一感があった。
エルザにこんな才能があったなんて知らなかった。
エルザは頑張ったのよ、の一言で済ませていたけど、それだけで済ませるのはもったいないくらいだ。
そんなにも素晴らしいこの服に着替えた私たちは、それだけ志気が高まっていた。
「最終決戦に相応しい格好ね」
皆を見渡しながら、エルザが総括するようにそう言った。
そう、これで最後なんだ。
机がどかされ広くなった床には大きな魔法陣の描かれた布が敷いてある。
ここに足を踏み入れれば、エクソシス王国にあるキースの家へとつながる。
本当におわりのはじまりはもうすぐそこにまで来ている。
そう思いながら、その複雑に描かれた模様を眺めていた。
「じゃあ、行こうか」
誰もが最初の一歩を躊躇してしまいそうなこの場面で、何ともなしに足を踏み出したのはキースだった。
そして、魔法発動時に現れる少しの光と共にその姿は消え、早々と転移していった。
消えていったキースの影を見てから、私たちは顔を見合わせて苦笑した。
そんな清々しいほどの行動を見せられてしまっては、誰も不安に思うような暇はない。
踏み出す足取りは軽いものだった。
転移は初めてのエルザはコンドラッドと共に。
その後は私、ヒース、ウィリアム様、ジェラールの順で滞りなく転移していく。
わずかな浮遊感の後、目を開くとそこには先日も訪れたキースの家のリビングがあった。
「……ヒース?」
転移が終わってほっとしたのも束の間、エルザが心配そうな声を出した。
何の問題もなく全員で転移できたと、そう思っていた。
だが、ここに着いてからヒースの様子がおかしかった。
じっと押し黙って俯きながら、小さくがたがたと震えていた。
魔法酔いかと思い薬の入った鞄に手を入れようとしたが、その表情を見てそうじゃないことに気づいた。
これは身体の問題じゃなくて、心の問題だ。
きっとヒースは悲劇的な出来事が起こったこの場所、自分の家に来たことでその時の記憶を思い起こしてしまったのだろう。
あの時のキースみたいに。
だったら、すこしでも落ち着けるように心を静める薬湯を作ろう。
そう思って準備をしようとしたとき、そんなヒースに向かってキースがばっと腕を広げた。
そして、温かく優しい顔で微笑んだ。
「おかえり、ヒース」
「うん。ただいま……お兄ちゃん」
キースのその言葉を聞いたヒースはぱっと目を開き、その大きくなった瞳からは涙があふれ出した。
不安で青白かった顔にほんのりと赤みが差し、安心したような表情をしていた。
そして、笑ってそう答えたヒースはキースの腕の中に収まった。
ヒースの震えはもう治まっていた。
薬なんて必要なくて私が役に立てることはなかったけど、人の力だけで治してしまう、そんなことが嬉しかった。
「あー、もう。また恥ずかしいところを皆に見せちゃったなあ。もっとしっかりしようと思ってたのに」
「あら、良いじゃない。別に泣いたって。ヒースはもっと皆に甘えても良いと思うわよ。今まで一人で頑張ってきたんだから」
ひとしきりキースの中で泣いた後、涙を拭うとヒースは罰が悪そうにそんなことを言った。
それに対してエルザはヒースに温かい笑顔を向けた。
ヒースはそんなエルザの態度に頬を緩めてはいたけれど、どこか複雑そうな表情をしていた。
「でも……僕、見た目はこんなだけど、君たちより実年齢は上なんだよ。そんな僕が子供扱いされるのは何て言うか……」
「まあまあ、何も損することなんてないんだから、そのまま受け入れれば良いじゃないか。それに、若く見られることで得することも結構あるしね」
ヒースよりは年上に見えるが、十分子供に見る事が出来るコンドラッドがそう言ってきた。確かに、コンドラッドはその見た目を存分に利用していそうだなあとなんとなく納得してしまった。
というか、魔法でも呪いでもなく、そんな年齢不詳の見た目のことの方が怪奇に思えるんだけど……
まあ今はそのことは置いておくとして、一方でヒースの方はというと、その見た目はキースと同じで悪魔の呪いによるものだった。
考えれば分かることではあるが、ヒースは悪魔に取り憑かれた時のまま身体の時間は止まってしまっている。
リビングに飾られている写真の中のヒースから全く成長していない。
その写真が12年前のものであるから、本当であれば当時8歳だったヒースは今は20歳になっているはずだった。
私とウィリアム様は17歳、エルザは18歳と生きている年数的にはヒースの方が長いので、私たちに対してそういう態度を取ることに抵抗を感じるのかもしれない。
でも、8歳から誰も本当の自分に話しかけてくれる人なくいたなんて辛すぎる。
きっと、知識や考え方は身についたとしても、心の成長は年月に追いついていないだろうと思う。
だから、ヒースのことをもっと甘やかしたい。
年のことなんて気にしないでもっと何も考えずに頼って欲しい、とそう思った。
“コンドラッドの言ってることは同意すべきか迷うんだけど……年のことなんて気にしないでもっと私たちを頼って欲しいな。だって私たちは仲間なんだから。辛いときに励ましたり、寄り添うことなんて当たり前でしょ”
私はそうして欲しい、そうしたい。
ヒースの今までの苦悩は私たちには計り知れない。
それでも、話を聞いてもらえない、話をする相手のいない辛さだけは分かる。
幼少期、図書館でウィリアム様と出会う前の私がまさにそうだったから。
それは私の努力が、勇気が足りなかった結果ではあるのだけれど、ウィリアム様に話しかけてもらうまで私は孤独の中にいた。
でも、自分が寂しかったんだっていうことに、そのとき初めて気が付いた。
ヒースはこれから、今までの時間を取り戻すっていうわけじゃないけど、いっぱい話し合って、いっぱい頼って、いっぱい甘えてくれれば良いんだよ。
そんな気持ちでヒースのことを見ていた。
「うんうん、そうだね。じゃあ、君には僕のことも年の差なんて気にしないで、寛容な心で見て欲しいなあ」
コンドラッドはそんな良く訳の分からないことを独り言のように呟いた。
何のことだろうと思って問いかけようと思ったけど、そんな暇もなくコンドラッドは私から離れて扉の方へと歩いて行った。
そして、エルザの背を押すようにそっと手を当てると外へと足を踏み出していった。
「それじゃあ、行こうか。そっちは君たちに任せたからこっちは僕たちに任せてくれ。僕が責任を持ってエルザと成功させるから。くれぐれも、心配なんてしないでくれよ」
振り返ってそう言ったコンドラッドは何故だか、特に私の方に向かって言っているようにも見えた。
私がエルザのことを気にしていると思ったのだろうか。
実際、私はエルザのことを心配していないといえば嘘になる。
でも、彼がいるなら大丈夫だと思えていた。
私はコンドラッドに向かって力強く頷く。
そんな私の返事にコンドラッドは目を細めて、私に頷き返した。
二人の寄り添うような後ろ姿を私たちは見送った。




